第18話 8/18 ホテル
ファミレスを出た僕たちは今日泊まるホテルに向かった。その途中、自販機で栞にりんごジュースを買った。僕も喉が渇いていたので、麦茶を購入。
日はすっかり沈んでおり、じめじめとした空気に包まれている。昼間のカラッとした暑さの方がマシに思えてくる。
ファミレスから数分歩いたところで、ビジネスホテルが見えてきた。アプリを見ながら進んだので、迷わずにたどり着くことができた。
チェックインを済ませ、今回泊まる部屋に向かう。どうやら八階にあるらしく、エレベーターで上がることにした。エレベーターを降りると、真紅に染まった綺麗な絨毯と白を基調とした壁が目に入り、清潔感が滲み出ていた。少し歩くと、僕らの部屋があった。
扉を開け、中に入る。想像していたよりもかなり広かった。ちゃんとベッドも二つ用意されていた。オートロック式であるので、鍵の扱いには気をつけないと。
「うわーっ」
栞は子どもみたいにベッドにダイブした。少し前までの大人っぽい印象は徐々に上書きされていっている。こっちが本当の彼女の姿なのかもしれない。
「秋太くんもおいでよ」
栞は手を上下させ、招いた。
「子どもみたいなことしないよ」
「高校生なのに大人ぶっちゃってー」
少し腹立たしい言い方をしてくる彼女の発言をスルーする。
「お風呂先に入っちゃってもいい?」
「ん? 別にいいよー」
許可を貰えたので、ユニットバスへ向かった。
「次どうぞー」
「はーい」
栞はテレビを点けて、ゲラゲラ笑っていた。どうやらお笑い番組がやっていたようで、それを見ているらしかった。
「入らないの?」
「もうちょっと、あとちょっとで入るから」
中々動こうとしなかった。
「一日動き回った服で寝ると、ベッド汚れるよ」
「なっ。私は汚くないから大丈夫です! 今のちょっと失礼だからね!」
怒らせるつもりはなかったけれど、怒らせてしまったようだ。彼女はスッと立ち上がり、ユニットバスへ向かった。
そのまま入るのかと思いきや、こちらを振り返った。
「覗いちゃダメだからねー」
「バカ。早く入って」
クスクス笑いながら、栞は扉をすり抜けていった。僕には彼女のような能力は備わっていないので、絶対覗けるわけないんだけどな。
「気持ちよかったー」
シャンプーのいい香りと共に、栞は出てきた。パジャマを着ている。見たことがなかったので、新鮮だった。
彼女は僕が座っていたベッドの隣に座った。
「もう一つベッドは空いてるけど」
「いーじゃん。こっちでも」
さっきより香りが強くなる。少しドキッとしてしまったことに気づかれてないかな。彼女は何の気なしにテレビを見ているので、おそらく大丈夫。
やっぱり同じ部屋はやめた方が良かったかもしれない。意識するな、というのは無理がある。女の子と同じ部屋で寝たことなんてあるわけない。今度は緊張が伝わらないか、心配になる。クーラーが効いており、涼しいはずの部屋の中で変な汗が吹き出てくる。
「ねえ」
いきなり話しかけられたせいで、自然と背筋が伸びてしまった。
「なに?」
僕の質問には答えず、彼女は自分の持ってきたカバンの方へ歩いて行った。何かを探しているようだ。見つかったのか、「おっ」と一声発した。
「じゃじゃーん。これしようよ!」
彼女が手に持っていたのは、『罰ゲーム』と書かれた四角い箱だった。カードゲームっぽい。
「罰ゲーム? とは」
「罰ゲームは罰ゲームだよ」
まだやると言っていないのに、彼女は箱を開け始めた。
「こういうのって大人数でやるものじゃないの? 絶対二人でやるものじゃないと思うんだけど」
「まあ普通はね。でも誘える人なんていないし、私たち二人でやるしかないでしょ?」
「別のゲームにするっていう考えはないの?」
「ない! 憧れだったの!」
見るからに過酷そうなゲームに憧れる彼女は、どうかしている。断りたいけれど、キラキラした彼女の目を見ると、やらない、とは言えなかった。
「わかった。ルール説明よろしく」
「えっとね、このサイコロで大きい目を出した人が勝ちっぽい。負けた人がこのカードの束から一枚引いて、そのお題をクリアする。っていう単純なゲームらしい」
サイコロで大きい目を出し続ければ、回避できるのか。運だからそう上手くいかないだろうけど。やると決めたからには、罰ゲームをできる限り受けないようにしたい。
ベッドに座っていた僕は、小さなテーブルに移動した。ベッドの上ではさすがにやりにくい。
「よし、じゃあやるよっ」
「ちょっと待って。罰ゲームは絶対?」
「絶対。と言いたいところだけど、さすがに無理ってのがあったら、逃げてもいいよ。そのときは私の言うこと聞いてもらうけどねー」
「それは僕も同じ条件だよね? 栞が拒否したら、僕の言うことを聞いてくれるってこと?」
「まあ、そういうことだね。私が拒否することはないけどね」
自信満々の彼女はサイコロを振った。
「げっ。2だ」
これならさすがに勝てる。余裕綽々の表情を浮かべながら、僕はサイコロを振った。
「......嘘だ」
「ふふっ。最高だね。ほらほら、引いて引いて」
1を出してしまった僕は、絶望しつつカードをめくった。
「自分の一番恥ずかしかった思い出を話す。だってさ」
「おぉ、気になる!」
恥ずかしかった思い出かぁ。記憶をたどるけれど、そんなに恥ずかしいと感じた思い出が出てこなかった。小さな羞恥は味わっているだろうけど、どれも大したことないので、一番を決めるのも難しい。
「小学生の頃、調子に乗って木から飛び降りて足を骨折したときは恥ずかしかったと思う」
「えー、意外! やんちゃだったんだ」
「あの頃は社交性が今よりも優れていた気がするね」
「過去の自分を見習わないとね。よし、次!」
彼女が振り、次に僕が振る。
「うわっ、私が引く番か」
彼女が恐る恐るカードを一枚引く。
「隣の人と手を繋ぐ。だって」
「隣に誰もいないし、もう一度引いてもいいよ」
「いやいや、目の前にいるじゃん!」
「僕は前にいるのであって、隣じゃないから......」
自分でも屁理屈を言っているのはわかっているけれど、回避できるものならしたかった。
「また私手つなぐの断られるのかぁ」
そういや改札出るとき、そんなやりとりをした気がする。遊園地でつないだのは、ノーカウントなのかな。
「わかったよ。ん」
いたって冷静を装い、手を差し出した。心の中はぐちゃぐちゃになっているのに。
「失礼しまーす」
陽気な彼女は、僕の手を躊躇なく握った。
とてつもなく、恥ずかしい。一番恥ずかしかった出来事は今なのかもしれない。それぐらい顔が熱くなっているし、他に何も考えられなくなっている。中学の頃に付きあっていた子がいたけど、その子と手をつないだときはこんなにも緊張しなかったと思う。栞と手をつなぐのがどうしてこんなにもかき乱されるのか、わからない。
僕らは愛しあって、付き合い始めたわけではない。だからこそ、付き合っているという感覚は薄く、友達として接する部分がある。友達と気楽に手をつなぐという、アメリカ人ばりのフレンドリーさが僕にはないので、こんなに動揺しているのかもしれない。
彼女の方はどう感じているのかと思い、顔を見ると、タコのように真っ赤になっていた。
「恥ずかしいの?」
僕が訊くと、すごい勢いで頷いた。僕らは手を離した。
「実際つないでみると、とっても恥ずかしいですね!」
「まあ、うん」
これでよく駅内で手をつなぐことを提案したな、と思う。誰にも見えていないので、注目を浴びることはないだろうけど。
「初めて男の子と手をつないだので、心臓バクバクしてます......」
やはり遊園地で手を握ったのは、カウントされていないらしい。ジェットコースターでつないだときは、恐怖でそれどころじゃなかったんだろうな。
「前から思ってたけど、君の今まで誰とも付き合っていないというのは、設定じゃないの?」
「違いますー。だから本当は男の子と喋るのもあんまり慣れてないんですよ」
小さく、「女の子もだけど」と彼女は付け加えた。
「出会ったときから、普通に会話してた気がするけど」
「自分でも不思議何ですよね。秋太くんはなんかいけちゃった」
「僕は褒められてると思っていいのかな」
「うん。褒めてるよ」
笑顔で彼女はまたサイコロを振る。
「ふふっ。勝ちました!」
これで九戦目だ。二戦目に出た手をつなぐやつ以外は、スキンシップをとるような罰ゲームはなかった。あれって勝った人も罰を受けることになるんだよな。出ないことを祈る。
ここまでで出たやつは、『秘密を一つ教える』とか『腕立て伏せを十回する』とか、その程度のものだった。『デコピンをされる』というのもあったけれど、デコピンはスキンシップとは言いがたい。
「言われなくても、わかってるよ」
僕はカードを一枚めくる。
「初恋の話。だって」
「恋バナってやつですか! これが!」
「僕の初恋の話なんて面白くないと思うけどね」
「秋太くんの初恋を聞いて、面白くないはずないんで、大丈夫です!」
無駄にハードルを上げられたな。
初恋はきっと小学生の頃だ。
「僕がさっきした骨折の話覚えてる?」
「当然」
「そのとき、一ヶ月くらいかな。入院することになったんだよね」
「かなり酷かったんですか?」
「手術もしたし、僕の人生で一番の怪我だったね」
今考えると、どうしてあんなバカなことをしたのだろう、と思う。小学生の身長を考えれば、かなり高さだったように思える。ああいうのを見栄っ張りというのだろう。
「入院してると、とにかく暇なんだよ。ベッドの上で何もすることなくてさ。やることがなさすぎて、多分漫画にもハマることになったんだと思う」
栞は興味深そうに、頷く。こんなに興味を持ってくれると、こちらとしても話しやすい。
「足にギプスしてたんだけど、昔はやんちゃだったこともあって、ベッドから降りて抜け出すことがあったんだよね」
「それは本当にやんちゃですね」
「今ではお医者さんにも迷惑かけたなって思ってるよ。一応松葉杖があったから、それでウロウロしてたんだけど、あるきっかけで出会った子がいたんだよね。その子が僕の初恋だったと思う」
「一目惚れ?」
あの頃の僕の心情を覚えていないけれど、多分違う。今と性格は違うかもしれないけれど、本質みたいなものは変わっていないはずなので、その子の振る舞いとかそういう部分に惹かれたんだと思う。
「違うと思う。話していくうちに徐々に好きになっていったんだと思う」
「普通の恋愛をしていることに、私はびっくりしてます」
「僕を何だと思ってるの? まあ、いいや。その子が今どうなってるかはわからないし、プライバシーを考えると、あんまり言うべきではないのかもしれないけど......」
「他言無用って言葉があるよね。私以上に信用できる人いないと思うんで、安心してください」
僕は少し笑って、続きを言う。
「その子は確か何かの病気で、身体を自由に動かせなかったんだ。いつも母親に車椅子で押してもらって移動してた。基本的にベッドの上にいたから、僕が抜け出して、会いに行ってた」
彼女は今、何をしているのだろう。まだ病魔と闘っているのだろうか。連絡先を知らないので、知りようがないのだけど。あの頃に携帯を持っていれば、何とかなったかもしれないと後悔する。
「そ、そうなんだ! その子の名前とか覚えてないの?」
「十年も前の話だから覚えてないんだよね」
「初恋の相手が泣いちゃうよ」
「うーん。やっぱり、思い出せない」
「そうなんだ......」
彼女は少し元気がなくなったような、そんな様子。そんなに知りたかったのだろうか。
「どうしたの?」
「え、いや何でもないよ! その子とはどうやって出会ったの?」
「なんか病院内に子どもたちが遊べるスペースみたいなのがあって、そこで出会ったと思う。どういう風に話しかけたとかはさすがに覚えてないけどね」
「秋太くんの意外な一面がいっぱいだね」
「過去の話だけどね。こんなものでいい? 初恋の話」
「うん!」
彼女は笑顔に戻り、サイコロを振った。6が出た。負けが決定した。
「引いて!」
「隣の人とハグする。ってのが出た」
十戦目にして一番ハードなやつが出てしまった。栞とハグ......?
「どうぞ」
彼女は両手を広げ、全てを受け止めてくれそうな優しい笑みを浮かべた。さっきの手をつないだときのことを思い出したのか、彼女の頰が紅潮している。
さすがにこれは......ダメだよな。
「回避するよ」
「私は全然構わないのに」
「僕が構うよ......」
十戦終えると、疲れがドッと襲ってきた。
「そろそろ寝ない?」
「いい時間ですしねー。寝ますか」
僕らは別々のベッドに飛び込んだ。ふかふかですぐに眠りに落ちそう。
「あ、私のお願い聞いてもらうね」
覚えていたのか......。忘れてくれて良かったのに。
「なに?」
「帰ったら、卒業アルバム見せて欲しいです」
「そんなのでいいの?」
「はい! 小学生の頃の秋太くんを見てみたいです」
助かった。無理難題を命令されるのかと思って、ビクビクしていたが、それくらいならいくらでも見せてあげよう。
「また見せるよ」
「ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
消灯し、僕らは眠った。
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