第19話 8/19 二日目

 目を覚ますと、見慣れぬ真っ白の天井が見えた。起き上がり、辺りを見渡すことで、状況を把握した。そうだ。栞と旅行に来ていたんだ。


 隣のベッドを見ると、めくれ上がった掛け布団がそこにはあった。僕が寝ている間に彼女は、どこへ行ったのだろう。ベッドから降り、軽く捜索していると、浴室の方からシャワーの音が聞こえてきた。手違いで一ヶ月経たずして、彼女が消えてしまったのかと思い、少し焦った。

 彼女がいることに安堵の息をつく。歯磨きとか済ませたいけれど、今入ることはできない。というわけで、着替えだけ済ませて、彼女が出てくるのを待つことにした。


「起きてたんだ。おはよ」

「おはよう」


 さっぱりした髪を揺らしながら、部屋を歩く。かなりラフな格好なので、目のやり場に困る。僕は彼女に意識が向かないように、洗面所の方へ移動した。


 歯磨きをし終え、適当に髪を整えると、洗面所を出た。


「どう?」


 彼女はすでに着替え終わっていた。いつもと髪型が違う。普段は長くて、黒い、艶のある髪を下ろしているのに、今日はポニーテールにしていた。どういった心境の変化だろう。


「似合ってると思うけど、急にどうしたの?」

「たまには気分を変えて、こういうのもありかなーって。ドキドキする?」


 彼女はわざと後ろを向き、白いうなじを見せてくる。そんなことされなくとも、ドキドキしてしまう自分がいた。


「少しだけ、ね」

「彼女をちゃんと褒めて欲しいなー」


 栞は少しむくれた。機嫌を損ねたようだけど、すぐに戻ってくれるだろう。


「朝ごはん何時からだっけ?」

「八時じゃなかった? えっ、もうこんな時間!?」


 時計を見ると、七時五十五分だった。


 彼女は俊敏な動きで、軽く荷物をまとめている。


「別に急がなくても、朝ごはんは逃げないよ」

「そうなんだけど。せっかくの一日を無駄にしたくはないじゃん?」


 栞が言うと、とても説得力があるな。彼女にとって、一日一日はとても貴重で、一分一秒も無駄にしたくないんだろう。僕だって明日交通事故で死ぬかもしれないのに、そういう意識が薄い。もしかしたら、彼女よりも早くにこの世を去るかもしれないのに。


「よしっ! 食べに行こっか」

「うん」


 

 朝食を食べ終わり、部屋に戻ってきたのは九時前。部屋を出る前に荷物をまとめてあったので、スムーズに部屋を出ることができた。

 部屋の鍵を返し、ホテルを出ると、また嫌になる暑さが僕を襲う。


「暑いですねー」


 彼女は平気そうな顔で、言った。本当に暑いと思っていれば、僕のように苦い顔になるはずだ。やっぱり、彼女は暑さ、寒さといった温度を感じないのではないか? 僕は試してみたくなった。


「ちょっと飲み物だけ買ってもいい?」

「うん」

「栞は何か飲む?」

「私は大丈夫だよ。ありがと」


 彼女からの許可をもらったので、小走りでホテル前の自販機へ飲み物を買いに行く。冷たいお茶を一本購入した。

 雲一つない、真っ青な空を彼女は見上げていた。遠くから見ると、絵になるな。


「お待たせ」

「いえいえ」

「あそこにパンダいない?」

「パンダ!?」


 誰が聞いてもわかる嘘だけど、彼女なら騙せると思い、適当に言った。僕の予想通り彼女は見事に騙され、僕が指差した方角を見た。背を向けながら、いないよー、という彼女のほっぺにさっき買ったばかりのお茶を優しく当てた。


「ひゃっ。冷たい」

「なんだ、冷たいってやっぱり感じるんだ」

「私を何だと思ってるんですか!」

「人間?」

「確かに今の私は人間かどうか怪しいけど、一応人間だと思ってるから! どこにでもいる女子高生だから!」


 彼女くらいの美貌を持ち合わせた女子高生がどこにでもいるわけない。そこを訂正するのは少し恥ずかしいので、僕の心の中だけで訂正しておこう。


「ごめんごめん。いつもこの暑さでも涼しい顔をしてるから、やっぱり温度感じないんじゃないかと思って」

「前にも言ったけど、ちゃんと感じます! 次やったら怒るからね」

「悪かったよ」


 すでに少し怒り気味であることを指摘するのは、火に油を注ぐようなものなので、つっこまないでおこう。


 遊園地以外に目的はなかったけれど、新幹線に乗るまで時間に余裕があったので、近くの商店街に向かった。色んなお店が立ち並んでいたけれど、僕の好奇心をそそるようなお店はなかった。


 彼女は食べ物に目がないようで、コロッケや肉まんなどを注文した。僕の財布は時間が経つにつれて、軽くなっていった。本当にお金は返ってくるんだよな......。貯金も底をつきかけているし、戻ってこなかったら僕は漫画も買えない極貧生活が待っている。

 お気楽な彼女を見ていると、少し不安だ。


 手に持っていた串カツを食べ終えた彼女は、雑貨屋に入りたがった。まだ少し時間はあったので、寄っていくことにした。

 南国を想起させるBGMがかかっており、せっかくの涼しい店内とミスマッチな気がした。


「ねえねえ、これ可愛くない?」


 栞が手に持っていたのは小さなよくわからないキャラクターのキーホルダーだ。見たことないし、オリジナルだろうか。


「僕には可愛さがあんまりわからないんだけど」

「えー、感覚死んでるんじゃないですか?」

「君に言われると、変な気分だな」


 黄色い丸い球体に、目が二つ。髪の毛にも見えるし、手にも見えるような黒くて、細いものが目の上のあたりから二本飛び出ている。あと鼻か口か判別がつかないものもついてる。やっぱり、あんまり可愛くないな。


 結局、僕はそのキーホルダーを買うこととなった。お揃いがいい、と彼女が言ったので、僕は仕方なく二つ購入した。彼女に対して、甘いな、と思う。あと、数週間で消えるわけだし、これくらいしてあげてもいいだろ、と自分に言い訳をする。


「そろそろ駅に向かう?」

「そうだね。満足!」


 駅には迷うことなく、着いた。席についたら、彼女は早速キーホルダーを僕が昨日渡した端末につけていた。彼女は、「おお」と小さく声をあげ、感激しているようだった。感激し終えると、彼女は僕を見つめた。言葉を発しなくとも、僕は彼女が言いたいことがわかった。スマホにつけろ、ということだろう。


 渋々スマホにつけてみたが、少し大きくて邪魔だ。せめて、もう少し可愛ければ良かったのだけれど。


「なんかやっとカップルっぽいことできたね」


 彼女は言うと、無邪気に笑った。


「二人で旅行って時点で、めちゃくちゃカップルっぽいけどね」

「......確かに」


 無駄話をしていると、時間はあっという間に過ぎた。新幹線から乗り換えたと思えば、いつのまにか地元に帰ってきていた。彼女といると、時間は一瞬だ。彼女がどう感じているかわからないけれど、もし僕と同じように感じているのであれば、それはあまり好ましいことではない気もする。

 

「明日はちょっと休憩しよっか。旅行で疲れたでしょ?」

「まあ、多少は」

「次は明後日に秋太くんのお家におじゃまさせてもらうね」


 彼女なりの気遣いだろうか。彼女の方からそんなことを言ってくるとは予想していなかったので、ちょっとびっくりしている。明後日には会うわけだけれど。


「じゃあまたね」

「うん。また明後日」


 僕たちは別れた。今日も彼女は僕の知らない場所で、寝るのだろう。同じ部屋で一度寝たわけだし、僕の家に招いても良かったのかもしれない。僕らの間には何もなかった。いたって健全だった。僕の部屋に泊めても、何も起こらないことはわかっている。それでも、理性がそれを拒んでいる。


 彼女との距離をこれ以上縮めたくない。親密になりたくない。近くにいる期間が長くなればなるほど、認めたくない感情が表に出てきてしまう。いつかダムが決壊するように、一気に溢れてしまうんじゃないか、と思う。そうならないために、制御すべきだ。


 最近の僕の生活は彼女中心に回っている。彼女が普通の人間とは違う環境にあるから、というのもある。でも、それ以上にあらゆる物事を彼女に結びつけて考えてしまう自分に気づいてしまったのだ。


 それはつまり、そういうことになるのだろう。

 

 一日の終わりを告げる茜色の空。日に日に日没が早くなっていることを感じる。夏がもう少しで終わる。夏の終わりは、彼女との別れを意味する。


 僕はぐちゃぐちゃになった心が整理されないまま、帰路についた。

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