第25話 8/26 花火

 仮設トイレに着くと、数人並んでいた。近くのコンビニに行くのとどちらの方が早いだろう? 僕と同じ考えの人がいてもおかしくないので、そっちもきっと待つことになるか。


「順番抜かして入っちゃおうかなー」

「プライバシーの侵害」

「冗談だよ。ちゃんと並びますー」


 そう言って、栞は最後尾に並び始めた。数分暇かもな、と思っていると、なぜかこちらへ戻ってきた。


「どうしたの?」

「私の番って一生来ないよね?」


 一瞬、どういうことか理解できなかったけど、彼女が並んでいることを誰も見えていないのだから、順番を抜かされ続けることに気づいた。


「やっぱ、すり抜ける?」


 僕は冗談で言った。


「すり抜けません! 一緒に並んでくれない?」


 それ以外に方法はなさそうなので、頷いた。


「ねえ、初恋についてもっと知りたいんだけど」


 並び始めて数秒後、僕の袖を持ち、見上げる形で栞は訊いてきた。


「何を話せばいいの?」

「何もできない私をどうして好きになったのか、聞きたい」


 ずっと考えていたことだけど、明確に何に惹かれたのか覚えていない。目を見て、楽しそうに話を聞いてくれるところには惹かれたはずだけど、それが決定打となったのかはわからない。僕の恋愛に対する関心って、今までそんなものだったのだ。何かしら理由があったのだろうけど、それが不明。


 かなりあいまいなので、僕はぼかすことにした。


「あんまり覚えてないんだよね」

「それって本当に初恋なの? 私の名前も忘れてるし」

「多分......」


 僕の中では初恋として、処理されている。確かに名前も忘れてしまっていたし、話し相手として好きだっただけなのかな? あの頃は友達としてなのか、異性としてなのか、その判別をしっかりできていなかったと思う。それなら、僕の初恋は、十七の夏が初めてということになるのか?


「そういう栞は僕の名前覚えてた?」

「もちろんだよ。覚えていたからこそ、苗字が違うせいで、この人じゃないって思い込んじゃった」

「なるほどです......」


 本当に僕のは初恋と呼べない気がしてきたのと同時に、僕だけが覚えていない事実に罪悪感が湧き上がってきた。


「まあ、今は初恋とか関係なしに好きになってくれたんだよね」

「うん」

「即答で嬉しいなぁ。あと明日から数えて、五日しかないんだね。少ないなー」

「......延長できないの?」


 無理だとわかっているのに、離れたくない思いが一層強くなった僕は、そんなことを訊いてしまった。


「うん。無理、かな。九月になったら、成仏するって念を押されたし」

「誰に?」

「説明は難しいんだけど、私が死んだときに死後の案内をしてくれた生物に? かな。秋太くんにも見せてあげたいよ。全体が黒くて、赤い目みたいなのが二つついてて、口はなさそうなのに、ちゃんと説明は受けることができたんだぁ。もしかしたら、私の心に直接話しかけてたのかも」


 とても現実味のない話だけれど、僕は完全に信用している。彼女が言うのなら、そうなのだろう、と。


「そういう案内人さんはタキシード姿だったり、動物の姿だったりをイメージするけど、全然違うんだ」

「全然違うよ! それは完全にフィクションの世界の話だね。私が見たのは、愛嬌のかけらもない、おぞましいものだった......」


 彼女はビクビクしながら、言った。ちょっと気になってしまう。僕もいつか会えるだろうか?


「あ、空いたよ」


 扉が開き、中から人が出てきた。僕らの番となったので、彼女に入るように促す。


「え、一緒に入んないの?」

「いや、僕は入らなくてもいいだろ」

「多分、後ろの人に文句言われるよ?」


 怪しまれない程度に後ろを振り向くと、三十代ぐらいの女性に訝しげな目で見られていた。当然か。全然中に入ろうとしないし、独り言をペラペラ喋り続けてるんだから。そろそろ声をかけられても、おかしくない。


 僕は渋々、中に入った。二人で入るにはかなり狭い。故意ではないが、彼女と触れてしまうことがあり、気が気じゃなかった。

 何だか出会った頃を思い出した。僕らの出会った本屋でもそんな感じだった気がする。痴漢と間違われたのではないか、という僕の勘違いで話しかけたことから始まった。


 そういえば、彼女があの場にいたのは、偶然なのだろうか? 偶然、彼女が漫画を読んでいるときに、僕が本屋を訪れた。偶然ではないだろうな。


「おっわりー。ごめん。またハンカチ借りてもいい?」


 僕は先ほどラムネを拭いたハンカチを渡す。染みてないかな?


「ありがと」


 栞が手を洗う間、手に持っていたラムネと交換する形で、ハンカチを受け取る。


 他にも待っている人がいたので、すぐにトイレから出た。

 あと二十分ほどで花火が始まる時間になっていた。時間が経つのが、早すぎるな。もっと遅くても、いいのに。


「そろそろ花火を観る場所、確保しとく?」

「おお。もうこんな時間だったんだ。早いねえ。そうしよっか」


 僕らは先ほど焼きそばを食べるときに座った土手で観ることにした。そんなに人はいなかったし、少し高さもあるため、よく見えると思う。向かう途中のゴミ箱で飲み終えたラムネ瓶は捨てた。

 

 土手の下に着くと、生えている雑草の上に座る人がちらほらいた。まだまだスペースはあるので、僕らも人の少ない場所に座ることにした。


「気になったんだけど、僕らが出会った場所覚えてる?」


 僕は先ほど芽生えた疑問を解消したかった。


「病院?」

「じゃなくて、なんて言えばいいのかな。幽霊になった後?」

「えっ。私、今、幽霊なの?」

 

 以前に自分でそんなことを言っていた気がするけど、いつだったかな。別に深く考えずに、彼女は言ったんだろうな。


「わからないけど、いい表現が見つからなかった」

「幽霊ってちょっと酷いと思いまーす」

「悪かった。じゃあ、彷徨う魂」

「魂だけじゃなくて、ちゃんとここに存在してるからね? しかも、彷徨ってないからね?」


 栞は目を細め、唇を尖らせている。屋台から少し距離があるため、少し暗いけれど、隣に座る彼女の顔くらいならよく見える。


「なんか話ずれてるね」

「誰のせいですか!」


 彼女はむくれた。そんな表情も、可愛かった。


「ごめんごめん。さっきの話だけど、本屋で出会ったこと覚えてる?」

「うん」

「そのとき僕らが出会ったのは、偶然?」


 彼女はお怒りモードだった表情を崩し、口角を上げた。


「だと思う?」

「思わない」


 確かに僕は本屋が好きだし、かなりの頻度で行く。けれど、栞が生き返った初日に、ちょうど出会う確率ってどれくらいなのだろう? 時間までぴったり合ってないといけない。僕らが出会ったのは必然だと考えるのが自然だろう。


「正解。よくわからない生物さんに言われたの。あの時間の本屋に行けば、私のことを見つけてくれる人がいるよ、って」

「もしかして、未来が見えるのかな? それとも、未来を思い通りに変えることができるのかな?」

「どうだろ? 私を生き返らせることができるんだから、そんな能力持ってても不思議じゃないかもね」

「うん。でも、僕らのこれまでのやりとりが初めから決まっていたことだと思うと、何だか釈然としないな」


 神様のような存在の思い通りに動いていたとなると、まるで操り人形のようだ。まあ、彼女に出会わせてくれたと思えば、感謝すべきなんだろうけど。


「確かにねー。でもね、私は秋太くんと出会えたことが嬉しいし、出会わせてくれたことに感謝してるよ」

「同じこと考えてた」

「えっ。本当?」


 彼女は目を大きく開き、驚いていた。僕も彼女と同じ考えを持っていたことに、自分自身に驚いている。

 僕は同意を示すため、軽く頷いた。


「何だか思考も似てきたのかな。私たち」

「これだけ一緒にいれば、そうなってしまったのかもしれない。残念だけど」

「残念とか言わないで欲しいんですけどっ! そりゃあ、生まれ変わっても、秋太くんは私みたいになりたくないのかもしれないけどさー」


 栞は意味を取り違えた。彼女の方が僕に似てきてしまったことに対して、言った。僕はいい性格をしている方ではないと思っているので、彼女は僕のようにならないで欲しいな、と思う。

 逆に、栞はいつも真っ直ぐ物事を見ていて、感じたことがすぐに顔に出てしまうような人間だ。いわば僕と正反対に位置する人種だ。僕は基本的に感情を押し殺して、表に出さないようにしている。なんだか自分の内側をさらけ出しているようで、気持ちの悪い感覚に陥ってしまうのだ。


 栞はそんなことを平気でやってしまう。僕にない部分を持っているからこそ、彼女に惹かれたのかもしれない。


 彼女の方を見て話していると、眩しい光と共に破裂音が聞こえた。どうやら花火が打ち上がり始めたようだ。僕の方を見ていた彼女も、視線を花火の方へ向けた。


「うわー」


 色とりどりの花火があがる。とても綺麗で、迫力満点だった。


 花火の光で栞の表情がよく見える。反応を見る限り、花火も初めてのことだったのだろう。満足してくれているのが、感想を直接聞かなくてもわかる。


 気づいてしまった。今は花火を観るべきだ。それなのに、無意識のうちに、隣に座る彼女の方を見てしまう自分がいた。思わず、視線をそらすが、気になってしまい、すぐに視線は戻ってきてしまう。


 僕は、栞に消えて欲しくない。そう強く思ってしまう気持ちは本当に大きくなってしまったようだ。



「綺麗だったね」

「うん、すごかった。来れて良かったよ」


 全ての花火が打ち終わり、余韻に浸りながら、僕らは駅を目指していた。

 

 駅へ向かう群衆の中に紛れて、歩いている。会場に着く前とはかなり心持ちが違う。数週間前と同じように、他愛ない会話をしている。この時間がずっと続けばいいのに。

 電車に乗っても、会話が途切れることはなく色んな話をした。栞が生前に好きだった漫画の話とか。彼女も漫画を読み始めたきっかけは、入院生活が暇で仕方がなかったから。また一つ、彼女についての情報が増えて、嬉しくなる。


 最寄駅に着き、電車から降りる。改札をくぐり抜け、駅前に出る。


「今日は楽しかった。誘ってくれて、ありがと」

「これは誘ったって言うのか?」


 僕が一方的に日時を告げただけなので、あまり誘ったという感覚はない。


「誘ったってことでいいんじゃない?」

「そういうことにしとくか」

「うん。また明日も会ってくれる?」

「もちろん」

「やったね。じゃあまた明日行くね。ばいばい」


 彼女は手を振って、歩き始める。僕も小さく手を振る。


 このまま帰していいのだろうか。きっと栞は僕が知らないような場所で今日も寝るのだろう。考えてる時間はない。僕が迷っている間にも、彼女はどんどん遠くなる。もう少しで暗闇に消えてしまう。


 僕は小走りで栞の元へ向かい、言う。

 

「どこに帰るの?」

「わっ。びっくりした。足音が近づいてくるから、ちょっと怖かったよ」

「ごめん」

「ううん。私が誘拐されることはないし、心配する必要なんてないんだけどねー」


 彼女は笑えない冗談を言った。


「それで、何だっけ? 帰る場所だっけ?」

「うん」

「まだ決めてないなー。これから探すつもり」

「栞さえ、嫌じゃなければ......うちに来ない?」


 彼女の口元がぷるぷる震えている。まるで、喜びを隠しきれないように。


「いいの?」

「うん」

「じゃあ、お邪魔しちゃおうかなぁ」


 僕たちの間に気まずい雰囲気はもうなかった。

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