第21話 8/21 アルバム
栞は今日も玄関をすり抜け、僕の部屋をノックした。やあ、という呑気な声と共に、部屋の扉が開いた。
まだ僕は気持ちの整理が済んでいない。大井と話した後、家に帰って、部屋で考えてみた。僕は栞に伝えるべきか、否かを。よくよく考えれば、付き合っているという設定になっているので、別に僕が告白をしたり、想いを伝えたりしなくても、いいのではないか、と思えてきた。伝えて、彼女を困らせるくらいならば、自分の心の中だけに留めておくのもありな気がした。
それにあと数日で消えてしまう彼女への想いをこれ以上募らせたくもなかった。言葉にすれば、より気持ちは強くなってしまう、そんな気がした。
今の僕は彼女に消えて欲しくない、そう思うようになってしまった。
彼女は僕の気持ちなんていざ知らず、部屋をぐるぐると見回す。
「ねえねえ、アルバム用意してくれた?」
「アルバム?」
「忘れたの? 私のお願い」
数日前まで記憶を遡ると、彼女とした約束が思い出された。僕が罰ゲームを回避したことで、彼女の言うことを一つ聞かなければならなくなった。そんな楽なものでいいのか、と思った記憶までちゃんと蘇ってきた。
「思い出した。ちょっと待って、多分そこに閉まってるはずだから」
僕は言って、立ち上がり、クローゼットを開いた。服も数着かかっているが、物置ともなっているのだ。卒業アルバムを閉まったであろう段ボール箱を見つけ、僕は取り出す。アルバム以外にも小学生の頃に制作した物が入っているため、持ち上げるには少々力が必要だった。貧弱な僕の腕で何とか段ボール箱を外に出すことができた。
何年も放置されていたものなので、当然埃に包まれていた。軽く払い、段ボール箱を開いてみる。風鈴やソーラーカーが入っており、懐古する。目当てのアルバムは底に敷かれてあったので、一つ一つ中身を取り出していると、かなり部屋が散らかってしまった。後で片付けよう。
「どうぞ」
栞は壊れ物を扱うかのように、優しく受け取った。
「見ていい?」
「ダメって言っても見るでしょ?」
「まあね。私のお願いだもん」
彼女は一ページ一ページ、丁寧にめくっている。
「この子、秋太くん?」
「そうだよ。よくわかったね。自分で言うのも何だけど、かなり印象変わってるはずなのに」
集合写真の中の僕を彼女は見つけた。そこには今では見せないであろう、全力で笑う僕がいた。別に笑顔を封印したわけではないけれど、あの頃よりは確実に笑う回数は減ったな、と思う。そんな僕を見つけてくれたことに、少し心が踊ってしまう。
「やっぱり、そうだったんだ」
どういう意味だろう? 何か含みのある言い方をした、彼女。
僕が考えていると、ページをめくる彼女の手が止まった。どうやら個人写真のページで止まっているようだった。
「秋太くんは何組だったの?」
「三組だったと思う」
確か小学校の頃のクラスは全部で、四クラスあったと記憶している。
一組で止まっていた手が、動き出した。二組のページを飛ばし、三組のページを開いたことがわかった。
「
彼女は不思議そうに訊ねた。
「離婚したことで、苗字変わったんだよね。佐竹ってのは、母さんの苗字」
僕が言うと、栞はアルバムを閉じた。清々しい表情だった。加えて、やりきったような、達成感に満ちた表情だ。
「君だったんだ」
彼女は言った。どういうことかと問う僕に微笑み、彼女は持ってきていたカバンから一枚の写真を取り出す。
その写真には、優しそうなご両親の間に挟まれ、病院のベッドで笑う少女がいた。僕はその子を知っていた。
「見覚えあるかな?」
彼女は不安そうに訊いた。僕が忘れている可能性が充分にあったから。
「あるよ......でもどうして栞がそれを?」
「だって、これ私だもん。生前の私の写真だよ」
生前の栞を僕は一度も見たことがなかった。彼女は一度も生きてる間の話をしなかった。僕が訊かなかったこともあるけれど、彼女自身も避けていたように思える。
僕の初恋の相手は栞だった? 受け入れなければならない事実を僕は、上手く飲み込むことができなかった。
「ごめんね。混乱してるよね」
「うん。まだ頭が追いついてないみたい。栞はその......知ってたの? 僕と出会ったときから、小学生の頃話したことがある男の子だってことを」
「ううん。知らなかったよ。見た目も大人っぽくなってたし、名前は同じだったけど、苗字が違ったから別人だと思ってた」
「じゃあどうして、気づいたの?」
「旅行で初恋の話してくれたよね? 状況がすごく私にそっくりだったし、もしかして、って思ったの。秋太くんのご両親が離婚していることも思い出して、苗字が変わったんじゃないかって考えた。最終確認と思って、今日アルバムを見せてもらったんだよ」
だから彼女はあんなお願いをしたのか。別にああいう形でお願いされなくても、僕は見せただろうけど。
「じゃあ、栞を認識できる唯一の人物に僕が選ばれたのも、偶然じゃなかったんだ......」
「そうだろうね。必然だったと思う。私にとって秋太くんの存在は大きかったの。元気をもらえた。私の病室でマジックを見せてくれたこと、覚えてる?」
「そんなことあったっけ?」
「あったよ。無邪気そうに笑う、足を怪我した君に笑わせてもらった。私、小さい頃からあんな生活してたんだ。どうして、私だけがこんな目に遭うんだーって毎日神様を恨んだよ。小学生なんて外で遊んだりしたい時期でしょ? それができない私は生きてるのが苦痛だったんだよ。楽しくなかった。そんなときに、君が現れて、数日の間だったけど、私は生きてると、楽しいこともあるんだって初めて思ったの。君がいなくなってからも、私は最後まで死にたいなんて思わなくなった。ポジティブでいられるきっかけを作ってくれたんだよ」
「僕はそんなすごいやつじゃないよ......」
「秋太くんの意見は聞いてません。私の中ではヒーローみたいなものだよ。私は救われたんだから」
僕を見る彼女の目は、今まで見てきたどんな目よりも優しかった。
「私はずっとありがとう、を言いたかった。でも、言えずに死んじゃったんだ。それも生前の悔いだったかなぁ。うってつけの人物を神様は選んでくれたっぽいね」
彼女は一呼吸置き、口を開く。
「ありがとう」
僕に彼女を救ったという意識はない。救いたいから、彼女の病室に足を運んだわけではない。善意で行ったわけではなく、僕はただ話したいとか、会いたいとか、それくらいの気持ちで行っただけだと思う。
そんな僕は彼女からの感謝をどう受け取ればいいのだろう。欲に忠実だっただけなんだ。初恋だったから。それが結果的に、彼女を救うことになった。
それに僕が好きになってしまった人が、初恋の相手だったことに関しても、消化しきれていない。今は別に初恋に未練があるわけではなかったけれど、事実を知ってしまうと、色々思案してしまう。
考えがまとまらない。整理できていない。話が行ったり来たりしている。冷静に……なることはできなかった。
「秋太くんは優しいから、助けたって意識はないって思ってたりする? それで、自分には感謝される義理はないとか思ってる?」
彼女はつい見入ってしまうほどの大きな目で、僕を見た。目を合わせると、心の中を覗かれているような感覚に陥る。
彼女にそういった能力は備わっていなくとも、僕の考えてることを言い当てたのは傍から見てもわかるくらい、顔に出てしまっていたのだと思う。
「僕は君が考えるほど、優しい人間じゃない。前にも言ったけど、初恋だったんだ。だから、ただ会いたくて、行っただけなんだと思う」
さっきまで考えていたことをそのまま伝えた。十年も前の心情を正確に思い出すのは不可能だけれど、好きだったという気持ちだけは覚えている。
「君は意外と譲らないところあるよね。モテないよ?」
「余計なお世話だよ」
「前にも言ったと思うけど、評価っていうのは自分で決めるものじゃないと思うよ? 他人から思われていることが正しい評価なんだよ。きっと」
自己評価なんて言葉があるけれど、あてにならないことが多い。彼女の言う通り、自分の評価は他人に決めてもらうものというのに、僕は妙に納得してしまった。数日前に言われたときと同じように。
ニコッと微笑んだ彼女は、続けた。
「私は秋太くんに感謝してるし、それに関して秋太くんがどう思っていようが自由だよ。でも、私が君に抱いてる感謝の気持ちは受け取って欲しいな」
「......どういたしてまして。で、いいのかな?」
「それでいいんだよ。本当にありがとう」
僕はどこを見ればいいんだろう。彼女を直視できない。気恥ずかしさで、僕はいっぱいになる。
「あとね、もう一つ言いたいことがあるんだ」
視線を戻した。先ほどまでの晴れやかな表情とは打って変わって、少し寂しそうな、物憂げな表情をしていた。あまり聞きたくない内容であることを覚った。
それでも僕に拒否する権利はなく、彼女は口を開いた。
「別れよっか。私たち」
衝撃を受けたはずなのに、電流が走ったような、そんな感覚に陥ることはなかった。彼女が発した言葉の意味を少しずつ、一つずつ、理解しようとする。けれど、脳のスペックが急激に落ちてしまったのか、短い言葉を理解するのにかなりの時間を要した。
僕はやっとのことで、「どうして?」とお腹から声が出ていないのが丸わかりな声を発した。
「それは......」
「嫌いになった?」
「......そうだよ。だから、私はもう来ない」
彼女は僕の隣に置いてある、アルバムに視線を向けながら、言った。
「約三週間。私は本当に嬉しかった。彼女として扱ってもらえて。感謝してもしきれない」
「じゃあ......どうして?」
「嫌いにならなくちゃ、いけないから」
「だから、どうして!」
声を荒げた。こんな態度をとってしまったのは、初めてだ。僕を嫌いにならなければならない理由が知りたい。彼女が現世に戻ってきたときから、決まっていたルールだったのか? 最後は嫌いになって別れろ、と。そういえば、彼女は三つルールがあると言っていた。そのうちの一つは、教えてもらえなかった。
もしかしたら、そういうルールがあったから、彼女は僕が手伝いをしたくなくなる、と言ったのだろうか。行き場をなくした怒りが、ふつふつと湧いてくる。僕はこの怒りを誰に向けるの適切なのだろうか。
「ごめんね。ありがとう」
彼女が言うと、踵を返し、ドアノブに手をかけた。ゆっくりと扉を開き、彼女は振り返らず、扉を閉めた。
僕はその姿をぼんやりと、見つめることしかできなかった。たとえ、彼女を追いかけたとしても、絶対に捕まらない。彼女には能力があるから、撒かれるに決まっている。他人の家に上がりこまれでもしたら、僕はお手上げだ。彼女とこんな別れ方をしたくない、と望んでいるはずなのに、体は腰が抜けたように動けず、ただただ去る姿を目に焼き付ける以外に何もできなかった。
何もできなかった。何もできなったけれど、もう一度、彼女に会えるようなそんな気がした。
彼女は嘘をついた。去り際の彼女の左手の甲には、赤くなっている部分があった。白い手をしているため、とてもよく目立っていた。彼女は話しているとき、常に右手で左手を覆っていた。そのときは気づかなかったけれど、赤くなっているのを見て、彼女が嘘を言ったことに気づけた。
僕のことを嫌いになった、と彼女は言った。たった三週間だけど、彼女のことを色々知れた。彼女は平気な顔で他人を傷つけられるような人間ではない。自分の腕を傷つけることで、耐えていたのだと思った。
彼女の消えた後の部屋は閑散としていた。考えたいことはいくつもある。あるけれど、ちょっと疲れた。僕はベッドに倒れこむように、横になった。まだ昼間だと言うのに、疲労からか眠気が襲ってきた。いつの間にか怒りは消えていて、僕はすぐに眠りに落ちた。
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