第10話 8/13 かき氷

 今日も暑さに辟易しながら、真昼間の外を歩く。平気そうな顔をする隣の彼女は平常運転だ。何だか僕の方がスタミナがないことに少し悔しくなる。僕が鍛えたとしても、そこそこのスタミナを手に入れたときには、月をまたいでしまっているだろうな。


 僕たちは無意味に、当てもなく歩いているわけではない。この暑さだ。さすがに僕もただの散歩なら、却下したくなる。

 目指す場所は、小さなかき氷屋さんだ。町のはずれにあって、地元の人しか知らないような場所に店を構えている。小さい頃、今は亡き祖母に連れて行ってもらったことが何度かあったので、道順は覚えている。


 栞が昨日、かき氷が食べたい、と言ったので、連れて行ってあげることにした。暑い中数十分歩くのは躊躇われたが、僕の記憶が正しければあのお店のかき氷はとても美味しかった。その美味しかったという記憶を信じて、僕は外へ出る決心をした。


「楽しみだねー。かき氷」


 言った後に、ふふっ、と笑う栞は、心の底から楽しみにしていることがわかった。喜んでくれると嬉しいな。


「暑い日にはやっぱりかき氷は最高だよね」

「秋太くんはかき氷好きなんだ」

「嫌いな人はほとんどいないでしょ。栞は?」

「どうだろ。好きだといいんですけどね」


 栞の言い方に、違和感を覚える。彼女との会話の中でたまに感じるやつだ。


「もしかして、かき氷、食べたことないの......?」

「ないよ」


 何だと......。雷に打たれたような衝撃とはこのことか。ラーメンのときと言い、彼女は生前どういった生活を送っていたんだ? もしかして、親がとても厳しい人で、好きな物をあまり食べさせてもらえなかったとか?


「僕はびっくりしてる」

「真顔で言われると、本当にびっくりしてることが伝わるね」

「君の生前の食生活を見てみたいよ......」

「ふふっ。またいつか、教えてあげます!」


 なんとか『氷』と書かれた看板が目立つ、かき氷屋さんにたどり着いた。お店の中に入ると、記憶が蘇ってきた。そうだそうだ。こんな感じだった。

 扉を開けると、まずは四人掛けの赤いテーブルとイスが目に入る。その奥に座敷があって、そのエリアにもテーブルが一つ置かれている。僕ら以外にお客さんはいないようだった。


「お一人? そっちどうぞ」


 店員の人が座敷の方を指した。僕らは靴を脱ぎ、座敷に座った。店員さんは奥の方へ消えていった。この空間には僕らしかいないので、話しやすい。


「どれにする?」


 僕が訊くと、彼女は眉間にしわを寄せ、悩んでいる様子だった。味の種類はシンプルで、いちご、メロン、レモン、ブルーハワイ、練乳、みぞれの六種類あった。


「秋太くんはどれにするの?」

「いちごかな。どの味で迷ってるの?」

「いちごとレモン!」

「じゃあレモン頼めば? いちごは僕が頼むし、味見できるよ」

「おお。ナイスアイディア!」


 彼女は、『ディ』にアクセントを置き、英語ができる感を醸し出して言った。


「すみません。注文いいですか」


 僕が言うと、さっきの店員さんが奥から出てきた。


「はい。どうぞ」

「いちごとレモンを一杯ずつお願いします」

「いちごとレモンですね。一人で二杯も食べるのかい?」

「ま、まあ。外暑かったんで」

「お腹は壊さないようにするんだよ」


 二杯頼めば、当然僕が二杯食べると思われる。いくらかき氷が好きでも、一度に二杯はきつい。


 栞は物珍しそうに店内を見回している。確かに今時珍しい内装をしている。ここだけ何十年も時代が変わっていないような、そんな風に思わせられる。

 開いた窓から入り込んでくる風とセミの鳴き声が夏らしいBGMとなっている。エアコンはついておらず、扇風機が回っているだけ。それでも外と比べると、大分涼しかった。


 すぐに店員さんがかき氷二杯分を持って帰ってきた。


「おまちどーさま」


 僕の前に置かれたかき氷の一杯を栞の方へ移動させた。彼女は少し口を開き、目をキラキラさせている。楽しみにしていたことが伝わってくる。


「溶けないうちに、食べようか」

「うん! いただきます!」

「いただきます」


 銀色のスプーンで少し掬い、口に運ぶ。僕の記憶は正しかったようで、美味しかった。ふわふわの氷が口の中の温度を一気に下げる。上から順に、体温が徐々に下がっていくような気がした。来て良かったな。


「......最高です!」


 彼女にもご満足いただけたようだ。彼女はかなりハイペースでかき氷をかけこむ。そんなに急いだら......。


「頭が痛いです......」


 予想通りの反応に思わず、笑ってしまう。


「そんなに急がなくてもいいのに」

「溶けると思って......」


 確かに溶けるけれど、最後にお皿に残った液体を飲み干すのも、またかき氷の楽しみ方の一つなのではないかと思う。


「秋太くんって何人家族?」


 栞は頭を押さえながら、言った。


「二人だけど。どうしたの、急に」

「いや、秋太くんのお母さんの姿はよく見るんですけど、お父さんは一度も見たことないな、と思いまして......」


 二人、と言った僕の言葉に、彼女は少し気まずそうに言った。


「僕は母さんと二人暮らしだね。父さんは僕が中学の頃に出て行ったから。僕らの生活費は今でも送ってくれてるらしいけど」

「なんか、ごめんなさい」

「謝らなくてもいいよ。別に父さんのことは何とも思ってないし。会いたいとも、会いたくないとも思ってない。どうでもいいんだよ。母さんは昔よりも活き活きしてる気がするし、僕は良かったと思ってる」


 毎日夫婦喧嘩をしていたわけではない。傍から見れば、円満に見えていたかもしれない。けれど、実際は全く違い、一番近くで見ていた僕には二人がそう長くは続かないことを感じ取っていた。二人ともどこか遠慮しているというか、自然体ではなかった。常に気が張っているような状態だった。

 夕食を食べるときも、会話は弾まなかった。僕がテストで良い点数をとったときは、大抵母さんだけが褒めてくれた。父さんは、そうか、の一言で済ますことが多かった。徐々に僕も父さんからは愛されていないのかな、と思い始めた。


 三人で楽しくどこかへ出かけた記憶はほとんどない。だから、僕にとっても父さんはどうでもいい人なんだ。


「そうなんですね......秋太くんってあんまり自分のこと話さないし、間違ってるかもしれないけど、知れて嬉しかった」

「自分の情報をオープンにするような趣味はないからね」

「なんか秋太くんは生きてるはずなのに、私より死人度高くないですかね?」

「死人度って言葉を初めて聞いた。僕には未練なんてないから、そう見えるんじゃないかな。この世に執着するものがないから、死んでるように見えるのかもしれない。かと言って、僕は別に死にたいわけじゃないけどね。まだまだ生きたいなって思うよ」

「なんだか寂しいねー」


 言った彼女は、一口かき氷を食べた。目を細めて、顔のパーツが中心に寄ったような顔をした。


「そうかもね」


 僕もそれだけ言って、かき氷を食べた。ちょっと話しすぎたかもしれない。かなり溶けていた。



「いちごもレモンも美味しかったなー。もっと早く教えてくれても良かったのにー」

「僕ももっと早くに提案すべきだったと後悔してる。また行きたいね」


 僕は言ってから、『また』は来ないんじゃないかと思った。残り期間でもう一度あのお店を訪れることはない気がする。


 彼女もそのことをわかっていたかもしれない。けれど、彼女は満面の笑みで、「そうだね」と言った。日に日に彼女といられる期間が短くなっていると思うと、形容しがたい気持ちになった。

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