第9話 8/10 言い合い

 ショッピングモール内の再奥に本屋はある。フードコートからは少し遠かったが、栞と話しながら歩いていると、あっという間に着いた。


 僕が見たかったのは、漫画コーナーなので一旦栞と別れることにした。栞は雑誌なんかも見たいらしい。連絡を取り合えないので、出会えなかった場合、三十分後に本屋の入口集合にした。


 最後に本屋に来たのは、八月に入ったばかりのときだった。栞と出会ったあの日だ。

 あの日、僕が本屋に行ってなかったら、彼女はどうしていたのだろう。自分のことが見える人物を探していたのだろうか。そう考えると、あの日本屋に行く選択をとった自分に感謝する。あの時間に行ったから、彼女と出会うことができた。

 

 もしかしたら、神様がそう仕向けたのかもしれない。神様なんて信じていなかったけれど、一度死んだ彼女が僕の前に現れた時点で、神様のような存在がいても、不思議ではないようなそんな気がした。

 

 最寄りの本屋と違って、かなり規模の大きい本屋なので、漫画コーナーも充実している。初めて見る漫画も何冊もあって、心踊る。表紙を見たり、裏のあらすじなんかを見たりするだけで、楽しくなる。新刊も発売されているようで、数冊買って帰りたいな。僕は時間を忘れて夢中になった。


 バトル漫画をいくつか見ていると、肩を優しく叩かれた。振り向くと、目を細め、明らかに怒った様子の栞がいた。スマホで時間を確認すると、三十分を過ぎていた。


 しまった......。


「や、やあ」

「遅い!」


 僕にしか非がない。完全に僕が悪い。どんな叱咤でも、僕はちゃんと受け止めよう。


「ど、どうしたの?」


 罵倒する言葉を連発されるのかと思っていたが、彼女の口は閉ざされたままだった。気のせいかもしれないが、少し目が赤い気がした。


「見捨てられたのかと思ったんだよ......」


 彼女の声は先ほどと違い、小さかった。


「そんなことするはずない」

「でも、時間通りに来なかったから、帰っちゃったのかと思った」

「それは......ごめん。漫画に夢中になりすぎた」


 言い訳をつらつらと並べて、これ以上自分の過ちを大きくしたくなかった。


「いや......ごめんね。私はわがままに付き合ってもらってる立場なのに......邪魔だよね。秋太くんの枷にはなりたくないから、私──」

「邪魔なわけない! さっきのは僕が悪かった。君に付き合う選択をしたのは僕だ。僕の意思で栞と会ってる。誰かに命令されたわけじゃない。最後まで君に付き合う。だから、自分のことを枷だなんて言わないで欲しい」

 

 彼女の言葉を遮り、僕は言った。そういえば、僕もさっき自分のことを足枷とか言ってしまったな。彼女が怒った理由も、今になってよくわかる。どうしてあんな風に言ってしまったんだろう。


 僕は勘違いしていたかもしれない。彼女は決して一人でも平気な、強い女の子じゃない。きっと毎日、怖いんだと思う。彼女はあと数週間後には消えることが確定している。一日たりとも狂わない余命を宣告されているようなものだ。

 それなのに全く怖がるそぶりを見せなかった彼女は、そういう意味では強いのかもしれない。でも、それは見せかけの、上っ面の、ただの強がりで、彼女の本質ではない。


 もし僕が彼女の恐怖を和らげる存在となっているのなら、その僕が消えたら彼女はどう感じるのだろう。自分に置き換えればいい。もし僕が信頼している人全員がいなくなったら、僕はどう感じるのだろう。

 そんなこと考えなくてもわかることだ。辛い、とかそんな言葉では、表せないくらいの悲壮感を覚えるはずだ。僕はそのことを自覚していなかった。


 栞は、僕を彼氏としたけれど、本当に好きなわけではないと思う。それでも、彼女とこうして話せるのは僕しかいないのだから、僕を頼る以外の選択肢がないのだ。


「うん......ごめん」

「謝らないでくれ。悪いのは僕だから」

「ううん。私も悪いから」

「そんなはずないだろ。百、僕が悪い」

「違う! 私も悪いから!」


 意地になって、ラリーを続ける。僕は周りから視線を集めていることに気づいていたけれど、全く気にならなかった。頭のおかしいやつって絶対思われているだろうな。もしかしたら、店員さんを呼ばれるかもしれない。それはちょっとまずい。


「ここは僕が悪いということで、手を打って......」

「どうしてそうなるんですか!」


 怒り心頭と言った顔が、崩れた。彼女は笑い出した。


 僕がキョトンとしていると、「ごめんなさい。周りのお客さんの目つきを見てると、面白くって」と言った。


「僕がヤバいやつだと思われるのが、そんなに面白いか?」

「そういうわけじゃないんですけど。とりあえず、出ましょう。通報されてもおかしくないよ?」


 僕たちは本屋を出た。近くにあったベンチに腰かけた。


「さっき笑ったのは、あれです。あの状況で話し続ける秋太くん、面白かったんです」

「前にも言ったけど、僕とこれから一生関わることのないであろう人からどんな目を向けられても、気にならないから。まあ、大井とか、クラスメイトに見られたらちょっと気まずいけど」

「ふふっ。でも、私が笑ったのはただ面白かっただけじゃない......よ?」

「何?」

「嬉しかったんです。別に私をいないように扱えば、あんな目を向けられることがないのに、いっつも私をそこに存在するものとして扱ってくれるのが」

「彼女を無視する彼氏っている?」

「いないですね。何だか彼氏っぽくなってきましたね。心置きなく、成仏できそうです」


 

 行き道と全く同じルートで、帰る。一度通った道なので、迷うことなく、駅に着き、電車に乗り込む。来たときと変わらぬ時間電車に揺られた後、降車した。

 僕たちと同じ駅で降りる人はそう多くなかった。目で数えられるくらいの人数しかいなかった。改札を出て、駅前で別れることになった。彼女は数時間前の悲嘆に満ちた表情とは打って変わって、昨日と同じ優しい笑みを浮かべ、別れを告げた。僕も昨日までと同じように、手を振り、「また明日」と言った。


 夕日に染まった茜色の空をぼんやりと見ながら、僕は一人で家を目指した。

 僕はどうして彼女のために、ここまでするのだろう。考えてみたことはあったが、ピンと来る答えは出なかった。まだ出会って一ヶ月も経たない彼女に、どうして真剣になれるのだろう。僕は薄情なやつではないと自覚しているが、慈愛に満ちた、聖人というわけでもない。人並みの親切心を持った、人間だと思っている。

 

 一般的に、僕のような立場に置かれたら、どういう行動を起こすものなのだろう。僕のように彼女に付き合ってあげる人もいれば、冷たく突き放す人もいるだろう。別に後者をとる人間がいても、薄情だとは思うが、そういう人間が一定数いても不思議ではない。

 だって、全く関わりのない女の子から彼氏になって欲しい、と言われて付き合うようなお人好しの方が少ないんじゃないかな。相手がいくら美少女であったとしても、一ヶ月の間、ほぼ毎日会って、彼女と行動して、生前の願いを叶えてあげる。そこまでしてあげる人はきっと少数派なんだと思う。別に自分のことを素晴らしい人間だと思いたいのではなくて、どうして僕はその少数派になってしまったのか、ということを知りたい。


 彼女に一目惚れ? 何度も頭に浮かんだことだけど、それはない、と断言できる。確かに容姿は抜群に良いけれど、一目惚れするほど僕も軽い男ではない。でも、彼女のことが嫌いというわけではなくて、二択であれば、好きと答える。きっとそれは友達に対して言うような好きと同じ性質のものだと思う。多分。

 

 じゃあ、僕が彼女を助けようとするのは、同情から? これも何度も考えてはしっくり来ないと、捨てた考えだ。同情する気持ちはあるけれど、それだけではない、という気がしてならないのだ。


 結局いつも答えは出せないままだ。無意味に頭を使ったような気がして、どっと疲労感に襲われる。この変な、釈然としない感覚をいつか拭たらいいな、と思いながら、自宅の扉を開けた。

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