第28話 8/30 思い出巡り

「今日はどうするの?」


 今日も二人で歯を磨きながら、訊いてみた。


 ここ数日、起きたときに栞がいることに安堵する。明後日の朝には確実にいない、その事実から目を背けることはできない。心の準備はできていても、耐えられるかどうかは怪しい。


「今日は行きたいところあるんだよ」

「どこ?」

「私の実家」


 納得。明日でこの世から消えてしまうのなら、両親に会っておきたいはずだ。彼女からしか見えないのが、とても残酷に思える。いくら彼女が感謝の気持ちを伝えても、両親に届くことはないのだから。

 中途半端な生き返らせ方をせずに、僕以外の人にも見えるように現実世界に生きる人間と同じような扱いをさせてあげたかった。そうすれば、きっと僕と彼女が交わることはなかったと思う。それでも、今は彼女の一番の幸せを願うようになっていた。


 僕らは支度を済ませ、家を出た。彼女の家までの道順は以前行ったときに、覚えていた。


 まだまだセミの鳴き声がうるさい。あと数週間はこの音を聞くことになるのだろう。八月が終わると言うのに、夏らしさは全く消えてなかった。この暑さなら秋になった、と感じる人は少数だろう。九月になると、世間を夏においてきぼりにし、まるで僕だけが夏から秋へ移行するようだ。

 今年の夏だけは、特別だ。僕があと何年、何十年生きるかわからないけれど、今年以上に印象深い夏を体験することはないだろう。そんな僕の夏は彼女がいなくなる、八月三十一日で終わる。


 栞の家の前まで来た。


「僕が代わりにメッセージを伝えようか?」


 彼女の言葉はどうしても、伝わらない。それなら、僕が代行するという手もあるはずだ、と思った。


「ううん。大丈夫。私の言葉で、声で、言いたいの。たとえ、伝わらなかったとしても。それに一応、死んじゃう少し前にお母さんたちには手紙を残してあったから、伝えたいことはちゃんと伝えてある。今日は、どちらかと言うと、最後に顔を見たいっていう気持ちが強いのかな」

「わかった」

「ありがと。お母さんたちにも、『ありがとう』を言ってくるね」


 ニコッと笑って、栞は入っていった。僕の姿は近隣住民から見えているのだから、家の前で居座るのは不審者だと勘違いされかねないと思い、軽く散歩することにした。同じ道を行ったり来たりするだけ。


 暑さのせいもあり、消耗が激しい。疲れたので、やはり彼女の家の前で待つことにした。数十分が経ち、出てきた。


「お待たせ」


 彼女の目は赤かった。別れとは、こういうことなんだと思った。


「次、ラーメン屋に行かない? 秋太が教えてくれたとこ」


 今までと違う呼ばれ方に、慣れないな。


「構わないよ。あと数回しかない食事の一つがラーメンでいいの?」

「いいよー。思い出の場所だし」


 僕らはラーメン屋に向かうことにした。三十分もしないうちに、着くはずだ。財布の中身を一応確認してみたけれど、二人分はありそうだ。


「私の死因って事故死か病死、どっちだと思う?」


 私の、と修飾して死因を使う場面を初めて見た。間違ってないけれど。

 答えづらいが、彼女からクイズを出してきたのだから答えよう。


「病死、かな。さっきメッセージを残したって言ってたから、自分の死に時がわかってたみたいだし」

「正解。秋太は今まで私の死因について訊いてこなかったよね?」

「そりゃあ、自分の死んだ瞬間のことなんて、思い出したくないと思って」

「優しいねぇ」


 彼女にとって、僕が優しい人間であるなら、それに反論するつもりはなかった。


 ラーメン屋に着き、以前と同じメニューを食べた。どれだけ外が暑くても、ラーメンの味は変わらなかった。今回も満足し、店を出た。


「次は、食後のデザートにかき氷を食べたいですね」


 栞は背伸びをし、言った。


「もしかして、僕と一緒に行った場所を巡ってる?」

「そうだよ。この一ヶ月の出来事なのに、懐かしさを感じるんだぁ」


 濃い一ヶ月だったため、数週間前のことでも懐かしく思えるのは僕も同じだった。


「食べ終わったら、ショッピングモール?」

「そのつもり。さすがに遊園地には行かないから、安心してね」


 数十分歩き続け、かき氷を食べに来た。今日は他にお客さんがいたので、栞が話しづらくないか心配してくれたが、僕は全く気にせず話し続けた。その結果、痛い視線を浴びることとなった。目の前のあと少ししか関わることのできない、彼女と話したかった。


 かき氷で体温を冷やした後、ショッピングモールに向かった。歩数を計れば、今日一日とんでもないことになりそうだ。二人で懐古しながら歩いていると、不思議と足の疲労はあまり感じなかった。


「すずしー」


 想像通り、いや想像以上に店内は涼しく、半袖では少し寒いくらいだった。

 前に行った洋服屋や本屋を訪れた。服を買ってあげたら喜んでくれたこととか、大井と遭遇したこととか、僕が漫画に夢中になっていたら彼女を不安にさせてしまったこととか、色んな思い出が蘇ってきた。栞は来れただけで満足したようだ。何も買わずに、僕らは店を出た。


「あとは祭りかな?」

「そうだね。すっごい最近のことだけど、一番の思い出ってそれかもしれない」


 あの祭りがなければ、今頃僕らは別々の場所で悶々と過ごすことになっていた。あのときの選択が間違っていなかったと自信を持って言える。


 電車に乗り、祭り会場に向かった。

 最近通ったばかりだったので、会場までの道のりはよく覚えていた。あのときとは違い、人はほとんどいなかった。犬の散歩をしているおじさんが僕らの隣を通って行ったくらい。


「ここで私、好きって言われたんだよねー」

「今まで付き合ってたことになってたのに、一度も言ったことがなかったのってなんか変な感じだ」

「確かに。私のこと好きじゃなかった?」

「好きではあったけど、異性として、ではないよね」

「そりゃあ、そうだよねー」


 最近の出来事なので、鮮明に思い出せる。屋台が出ていた場所は、跡形もなくただの平地となっていた。以前にあったものがなくなるというのは、少し寂しいな。特にお祭りのような煌びやかな状況と比較すると、余計にそう感じる。

 

 僕らが一通り見終えた頃には、日が暮れ始めていた。夕暮れを見ると、自然と二人で行った遊園地の、観覧車を思い出す。どんな些細な出来事も、栞との思い出に繋げてしまうあたり、彼女のこと以外考えられない自分に気恥ずかしくなる。



「付き合ってくれて、ありがとう」

「僕も楽しかったから、全然いいよ」


 祭り会場の後、僕らが出会った本屋に行き、家に戻ってきた。家に着く頃には、すっかり暗くなっていた。日付が変われば、彼女と過ごせる最後の日。もっと早くに好きになっていれば良かった。そしたら、もっともっと一緒に過ごして、思い出を作ることができたはずなのに。


「明日はどうするの?」


 ベッドに座る僕は、訊いた。


「明日行きたい場所はもう決めてるよ。私の最後のお願い聞いてくれる?」

「僕が断ると思う?」

「ううん。君は優しいから、絶対に引き受けてくれる」


 僕は軽く笑みを浮かべ、言う。


「どこに行くの?」

「病院」


 どこの病院かは、訊かなくても何となくわかった。生前の彼女と僕が出会った場所。きっとそこだろう。


「最後に相応しいかもね」

「でしょ? 私と秋太を出会わせてくれた、大切な場所にお礼しに行かないと」


 きっと想像絶するほどの苦しみを味わってきた場所だろう。治療を受け続けたその場所に良い思い出はないはずだ。思い出したくもないのかもしれない。そんな場所であっても、最後まで感謝の気持ちを忘れないのは、彼女らしいと思った。


「お昼過ぎに出る?」

「そうだね。お昼食べてから、出よっか」


 最終日の予定が決まった。色々歩き回って、懐かしい思いをした三十日目が終わった。

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