第17話 ルイ

「お父さん、寝ちゃったね」

 実の親子ではないのだろうと思いつつそう言うと、収集物の棚を見つめていた子どもは無言で振り返ってうなずいた。

 連絡員はその日、何だか自棄やけ気味の上機嫌で、自分で持って来た日本酒をほとんど飲んでしまい、壁にもたれて眠り込んでいた。

「あの様子じゃ朝まで運転は無理だ。君もゆっくりして行くといいよ」

 紅茶を二杯入れて窓際のテーブルに置き、「お茶を飲む?」と声をかけると、子どもはまた黙ってうなずいた。

 椅子に座り、防砂服のフードを不器用に下ろし、ほどいた髪をはらりと垂らして、長いまつ毛を伏せながらティーカップのふちに唇をつけた子どもの姿は、家庭や学校がまだ機能していた頃の子らとは何かが大きく異なっており、言うなればかつて「現実」だと思っていた何かをそっくり欠いているように見え、それゆえに美しかった。

「君は、この棚の物に興味があるの?」

「はい」澄んだ声で答えて、子どもは目を上げた。「知らない物や、話に聞いただけのもの」

「よければ、手にとって見てごらん」

 こくりとうなずくと、子どもは紅茶が半分残ったカップを置いてくるりと立ち上がり、棚に駆け寄って、ガラスの外れた目覚まし時計とか、キャップの無いひからびたサインペンとか、券面が真っ白になったバスの定期とか、前半分だけ残った運動靴とかを、つぎつぎに取り出しては眺めていたが、しばらくして「これは、何ですか」と、小さな機械を両手に載せて持ってきた。

「自転車は知ってる?」

「見たことがあります」

「これは自転車の前につけるライトだよ。この部分が発電機になっていて、この部分が光る」

「こちら側は重い機械なのに、この部分はきらきらしています。痛くて、きれい」

「欲しければ、あげるよ。どうせここに自転車はないし」

 子どもは瞳と頬をぱっと輝かせた。

「ほんとう?」

「ただし、人には見せないようにね。本当は県庁に渡さなければならないものだから。万一見つかってしまったら、ここでもらったと正直に言えばいいよ」

 子どもは、紙袋に入れたライトを大事そうにバックパックにしまってからテーブルに戻ってきて、紅茶の残りを飲み干した。

「もう一杯飲む?」

「ありがとうございます。おいしいお茶です」

 静かな子どもだと思っていたが、いったん口を開くと、名前を「ルイ」ということ、県庁の子どもたちが大抵そうであるように名字というものは無いこと、十歳までは県庁で週一回の授業を受けていたが、先生がいなくなってからは図書室の本で知識を得ていることなどいろいろ話してくれた。

 二杯目の紅茶を飲み終えると、ルイはまた棚に戻って、あれこれと品物を手に取りながら、角度を変えて眺めたり、窓からの光にかざしたりを続けていたが、やがて制服と眼鏡に目を留め、こちらを振り返ってあらためて尋ねた。

「これも、触ってみていいですか」

「そっとね。眼鏡は知ってる?」

「はい。ここにガラスが入っていたんですね」

 蝶の標本でも扱うみたいに、ルイはおずおずと眼鏡を取り上げたが、壊すといけないと思ったのか、すぐに棚に戻した。

「こうするんだよ」

 ルイのそばに行ってフレームを取り、テンプルを開いて、両手で蝶番ちょうつがいの部分をつまんで見せた。

「こっちを向いてごらん」

 顎の先までの長さの髪を、耳当モダンの先でそっとかき分けながら、目をつぶった小さな顔にフレームだけの眼鏡をかけさせると、サイズはぴったりと合い、素通しのリムの奥で二つの目を細めてルイは微笑んだ。

「不思議です。このほうがよく見える人がいるなんて」

「それはレンズが入っていないからね」

 ルイは上下左右を見回し、しばらくはフレーム越しにいくつかの収集物を眺めたり、畳んだままの制服や、自分の両手を見つめたりしていたけれど、またすぐに顔を近づけてきて目を閉じた。

「ありがとうございました。もう外してください。大切なものなのでしょう?」

 それからルイの関心は本棚に移り、外国の古城の写真集をテーブルに持って来て、はじめのうちは熱心にページをめくっていたが、やがて眠気におそわれたらしく、頭がゆらゆらしはじめた。

「眠いなら、ベッドで寝るといいよ」

「はい……」

「僕はあっちの部屋にいるから、何かあったら声をかけて」

「……ん」

 ルイはとろんとした目でふらふらと立ち上がって、上下つなぎになった防砂服をもぞもぞと脱ぎ、ネイビーブルーのタンクトップとショートパンツの姿になると、人形みたいに滑らかで長い腕と脚を投げ出すようにベッドに寝転がって目を閉じ、動かなくなったので、そっと毛布をかけてやると、ほんの少しの間だけ目を細く開けて、そして眠ってしまった。

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