第4話 砂委員

 砂委員は、上級生と下級生の二人一組で一週間つとめるのが通例で、下級生はその間、毎日二時間以上も先輩とほぼ二人きりでいっしょに作業をしながらやり方を教わることになっていたから、割り当てられた相棒が好みの女生徒だったりすると、男子生徒たちは張り切っていいところを見せようとしたし、その逆もまた似たようなものだった。

 最初の年に砂委員の仕事を教えてくれた上級生のことは、今でも印象に残っている。二人ともビニール袋を頭にかぶり、タオルでマスクをしていて、お互いに顔なんてほとんど見なかったから、目鼻立ちなどは思い出せないけど、先輩の割に背が低くて、当時まだ小さかった香穂とあまり変わらないくらい小柄なのに、タオル越しでもよく響くほど元気な声で話す女生徒だった。

「最初は天井からね」

 放課後の教室で先輩はそう言った。たしか季節は秋で、先輩は冬用のジャージの袖口を、砂が入らないようにゴムバンドでくくっていた。

「細かい砂は天井にもついてるから、この長いほうきで払い落とすの。見てて」

 彼女が竹ざおにくくりつけたほうきで天井を掃くと、霧のように細かい砂が教室中にさらさらと降る。香穂ならば銀のシャワーをうっとりと顔に浴びていたかもしれないけど、先輩は目を細め眉をしかめながら、ただ自分の務めを果たそうと一生懸命だった。

「分かった? じゃ、もう一本あるから同じようにやってみて」

 ほうきとスコップとちりとりを手に、二人で手分けしたり協力したりして、担当していた三階から一日分の砂を集めると、ほぼ満杯になった手押し車を荷物用エレベータに乗せ、搬出口へ運んだ。

 かわりばんこに車を押して校門からの坂を下り、オペラ通りを左に折れ、家並みが途切れると、そこから浜の方へとぐっと曲がった道は、白茶けた枯れ草ばかりの空き地の間を緩やかに下降して、やがて砂に埋もれてしまい、その延長線上には赤い小旗の列が真っすぐに続く。

「絶対に、旗から五メートル以上離れちゃだめ。砂に呑まれちゃったら助けられないわよ、あたし、ちっちゃいから」

 先輩は笑っていたけれど、街の子どもなら誰でも、埋もれた家屋や自動車などの空洞に砂が流れ込んで大規模な陥没を起こす場合があることを口やかましく聞かされていたし、喉の奥にまで砂を詰め込んで窒息してしまった人々や、地下の暗闇の中に人知れず消えた人々についての話を、誰に教わるともなくみんなが知っていた。

 旗の列に沿って固められた砂を踏み、二人で車を支えてゆくあいだ、安全通路とは言っても、タイヤや長靴が砂に取られそうになることが何度かあり、一度などは転びそうになったところを先輩がとっさに手首をつかんで引っ張ってくれて、小さくて冷たい香穂の指とは違う温かさに頬が熱くなったりもした。

「もうちょっと近くに来たら?」と先輩は言った。「こっちからいっしょに押そう」

 百メートルほど歩き、鉄杭てつくいに結び付けられた旗の色が赤から黒に変わるあたりで砂を捨てるまでが、砂委員の仕事だった。黒い旗の列は、遠ざかるにつれてまばらになりながらも地平線の手前まで続いていたけれど、そこに立ち入ることは禁じられていた。

 軽くなった手押し車を押して帰る途中、赤旗の列に沿って、他の階の砂委員が下りて来るのが見えた。

「見て、あれ」

 先輩に肘でつつかれてもう一度見ると、男子と女子が揃いのマスクをして、くっついて腕をからませながら車を押していた。どっちが上級生でどっちが下級生なのかは見ただけでは分からなかった。

 無言で行き違ってしまってから、目だけの顔を先輩と見合わせた。

「砂にまれちゃえばいいのよ」

 小声で言って、先輩はくすくす笑った。

 オペラ通りまで戻ってくると、先輩はビニール袋の頭巾とタオルのマスクを取ってしまい、ほっと溜息をつき笑顔を見せた。

「金曜までいっしょにがんばろうね。やり方だいたい分かったでしょ?」

 香穂と違って男の子みたいに短いけれど、香穂と同じようにつやつやした黒い髪を、香穂と同じくらいの高さに見下ろしながら、女の子の髪はみんなクッキーのような匂いがするのかと思った。香穂と三つ歳が離れているのが残念だった。きょうだいや親戚同士がペアで砂委員になることもあると聞いていたから。そして今でも残念に思っている。もしも砂委員として香穂と組むことができていたなら、あの子の小さな冷たい手をしっかりとつかんで引き戻し、何があっても放さなかっただろうから。

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