第29話 眠りの中で

 眠りの中で突然何かに気づき、ぱちんとスイッチが入ったみたいに目覚めて跳ね起きると、深夜とはいえ鉄塔からの窓越しの光で部屋は明るく、ベッドの上には白くて細い自分の両脚が、そしてその向こうには収集物の棚がくっきりと見え、その中には他の品物と並んで女生徒の制服があった。

 そう。制服だ、どこかおかしいのは。

 何十日か前にここで初めて目覚めたころからずっと、以前とは何かが違うと思いつつ、いろんなことがあり過ぎて深く考えていなかったのだけど、眠りの中で得た気づきはやはり正しかったらしく、砂に削られて薄くなった紺色の制服は、以前と同じようにきれいに畳んで置かれているにもかかわらず、記憶にあるよりも厚みが増しているように見えた。

 ベッドから降りて近くでよく見ると、制服そのものにはやはり特に変化はなく、厚くなったように見えるのは、何か他の物の上に重ねて置かれているせいのようで、そっと両手をのばし、畳んだままの形で持ち上げて横にどかしてみると、下から出てきたのは、やはりきれいに畳まれた明るい色の小さな服、巳年七月の大砂嵐の時にたまたま身に着けていたために、すべてを奪われながらも唯一つだけ失わずにすんだ、香穂の夏物のワンピースだった。

 時間も意識も遠のいてゆくようなめまいを感じながら、ワンピースの両肩をつまんでそっと広げてみると、布の状態は比較的良く、裾と背中のあたりだけは砂に洗われてガーゼのように薄くなっていたけれど、色も、かわいい洋梨の柄もちゃんと記憶通りで、まだ十分着ることだってできそうだった。

 今夜もわたしは香穂ちゃんのお兄さんのTシャツを寝間着に着ていて、これは長年着慣れていた物のはずなのに、小さくなった体ではすぐに片方の肩がずり落ちてしまうほどだぶだぶなのだけれど、このワンピースを試みに体の前に当ててみると、幅も丈も今のわたしにぴったりみたいで、自分はそこまで子どもなのかと驚きつつも、ドアの向こうで眠っているはずのルイのことをちょっと気にしつつ、記憶に導かれるようにわたしはTシャツを脱ぎ、布や縫い目がやぶれたりしないようにそっと、何年ぶりだろうか、ワンピースに頭を入れ、腕を通してみた。

 サイズはぴったり、というより少し大きすぎるくらいで、そうだった、たしかこの服を買ってもらった時――オペラ通りの商店街がまだにぎやかだったころ、パパとママと三人でおしゃれなお姉さんがいる洋品店に行って、試着室のカーテン越しにママと話しながら、初めて袖を通したあの時――にはちょうどこれくらいだった、これから体が成長することを見越して少し大きめのサイズを選んだのだった、と思い出し、同時にわたしの脳裏には、もう長い間ずっと忘れていた二人の顔がはっきりとよみがえった。

 パパ、ママ。

 記憶がどっと押し寄せてきて、わたしはうめき声を上げながら、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

 思い出してしまった。巳年七月のあの夜、もうすでにほとんど砂面下に没していた舟入町の家の二階の部屋で、最初にどっと流れ込んできた多量の砂に両足をとらえられてもう身動きが取れなくなったパパとママの上に、天井板の隙間から少しずつ銀の砂が降り、ふたりはそれから何時間もかけて、腰の高さから胸の高さへ、そして肩から顎へと、少しずつ、少しずつ砂に埋もれてゆき、まず背の低いママが、それから1時間くらいあとでパパも、ふたりとも香穂ちゃんの名前を何度も呼びながら、できる限り呼吸を試みようとして天井に向けた鼻と口とを最後にすっかり見えなくなるまで、茶箪笥の上から見ていた香穂の記憶を。

 やっぱり行く。わたしもそっちに行く。わたしは夢中で窓を開けて、転がり落ちるように外に飛び出すと、砂の上に体を投げ出して、少しでも沈もうとばたばたしたけれど、手も足も、まるで蓮の葉の上の水滴のように弾かれて、まったく砂の中に入ってゆかず、行き場を失った激しい思いは胸の奥からのどへとほとばしり、噴き出した。

 巳年七月のあの夜以来はじめて、わたしは声を上げて泣いた。

 パパも、ママも、もういない。記憶だけを残して、みんな砂の中に失われてしまった。香穂ちゃんも、お兄さんも、りさ子ちゃんも、わたしは永遠に失ってしまった。

 成長がリセットされたようなこの体から、こんなに大きな声が出るなんて不思議だけど、何年分もの、何人分もの思いを全部投げ散らかすみたいに、わたしは砂の上に倒れて身もだえしながら、喉が破れて目も鼻も溶けそうなくらい、せき込み、むせ返って泣きじゃくった。

 いつの間にかルイがそばにしゃがんで、わたしの背中をさすり、頭を撫でてくれていた。ワンピースの背中はもう裂けてしまっていて、素肌に触れるルイの手は暖かく、滑らかで柔らかくて優しかったけれど、その手もわたしの心をなだめることはできず、わたしはルイの膝に噛みつくようにすがりついて、新しいひ弱な体が力尽きるまでずっと泣き続けた。

 わたしにはもう、誰もいない。わたしはもう、誰でもない。

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