第19話 金曜日

 島田りさ子との出会いから三日が経ち、連絡員が来る金曜になった。

 朝から日課の作業や部屋の片付けをしながら、ずっともやもやとして、彼女について知っている全てをそのまま連絡員に話すわけにもいかないとか、でも何も話さずに黙っているのもまずいかもしれないとか考えながら、ガスであぶったハムとパンに塩コショウを振っただけの昼食をとり、そろそろ八輪砂上車のエンジン音が聞こえてくるのではないかと落ち着かない気持ちのまま、窓際のテーブルでお茶を飲んで午後を過ごしていたのだけど、考えてみれば本当に思いを致すべきなのは今日のことではなく、一週間後の金曜日のことであるはずだった。

「十日後」と、島田りさ子はあの場所で言ったのだ。「来週の金曜日に、ここで待ってるから、それまでに決めておいて。このまま何も無い表面の世界に残るのか、わたしといっしょに、香穂ちゃんのいる深い世界に行くのか」

 夕方になっても、連絡員の車の音はなかなか聞こえなかった。少しずつ風が強まり始め、この分だと嵐になるのかもしれないと気にはなったけど、その時はまだ、風のうなりは低く、ガラスに砂が当たる音もしなかったし、連絡員の訪問に気づかないと困るから、とりあえずは雨戸を閉めずにおいて、昼と同じハムとパンの組み合わせに、缶詰の豆のスープを足して夕食を済ませた。今日もし連絡員が来なかったとしても今すぐ困ることはないとはいえ、物置部屋の食料はかなり減っているから、しばらくは単調な食事になると思うけど、一週間後にここを去ることになるのだとしたら、そんなことはもう、どうでもいいのかもしれなかった。

「人も物も、すべて、遅かれ早かれ砂に沈むの。そしてみんなひとつに混じり合うの。その前に、わたしは早く、香穂ちゃんと手をつなぎたい。そしてひとつになりたい。自分の意志でそれを選びたい。お兄さんだってそうなんでしょう? そのために『砂委員』をしてるんでしょう?」

 りさ子は、彼女たち非合法の盗掘者のことも、県の監砂員のことも、同じように「砂委員」と呼び、それは奇妙な言い方に聞こえたけど、おそらくそちらのほうが正しいのだろう。

 夕暮れの最後の光が薄れて消えて夜になり、風はさらに強くなってきたが、砂上車のエンジン音も、窓へのノックもいまだ聞こえず、この天候だし今日はもう来ないのかもしれないと考えながらも、雨戸を閉めずに待っているうちに、いつしか時刻は深夜に近づき、テーブルの前に座ったまま、砂と風がガラスを叩く音が次第に強まるのを気にしつつ、頭の一隅が痺れるような眠気がやって来て、意識が切れ切れになりはじめたころ、ふと何か不自然なものを感じて、耳をそばだてた。

 それは砂粒ではなくもっと大きなもの、風圧ではなく形のあるものが、窓ガラスに触れる音だった。

 窓の外に影が見える。人間の影。ひょっとして、約束の日を待たずに、りさ子の方からここにやってきたのだろうか。彼女が言うように、誰もがいずれは砂の世界に身を委ね、どこか深いところに沈んでいる香穂と手を握り合い、混じり合おうことが既に定められているのだとしたら、それが一週間後であっても、今夜であっても、大きな違いはないのかもしれない。

 だけど、塔の上から監砂台を照らす照明を背後にした細い影は、ゆらゆらと崩れ落ちながら、小さな両手のひらで窓に触れ、そのままするすると、ガラスに付着した砂を剥ぎ落としながら滑り落ち、窓枠の下に姿を消した。

 すぐに窓を開け、部屋の中に吹き込んで渦を巻く砂混じりの風に逆らって身を乗り出すと、窓の下にうつぶせに倒れた小柄な体の、髪は風にかき乱され、上下つなぎの防砂服は、腰から下はちゃんと着ていたが、上は袖も通さずにはだけていて、薄手の白いTシャツの細い背中が見えた。

「どうした。何があった」

 すぐに窓枠を飛び越え、子どもの肩を揺さぶったが、返事は無かった。

「ルイ」

 ぐったりとした温かい身体を抱えあげて、窓枠を越えてようやく部屋の中に運び込み、雨戸とガラスを閉めたころには、砂風はもはや嵐の様相となり、部屋の中には幾千万粒もの砂が天井近くにまで舞い狂い、ベッドや床やあらゆる家財はすでにビロードのような砂の層に覆われていた。

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