第20話 沈む

 翌朝、ルイから聞いた場所に一人で行ってみると、八輪砂上車は餌を漁る水鳥のような格好で砂に頭を突っ込んで垂直になり、荷台の尾部だけを残して既にあらかた砂に埋もれてしまっていたが、周囲の流れを見ると車体はさらにまだ少しずつ沈み続けているようで、運転席を掘り出すのが困難なのはもちろん、近づくことすら危険そうだった。

 部屋に戻り、ベッドに横たわったまま目だけをこちらに向けたルイに状況を説明したが、子どもは小さくうなずいただけで何も言わずにまぶたを閉じ、そのまま眠ってしまった。しばらくはベッドを貸すことになるだろうからと思い、物置きにしている部屋を整理し、ダンボールを並べるなどして自分の寝床にするためのスペースを整えた。

 午後になって、パンをひたしたスープを持って行ってやったら、いつ目覚めたのか、子どもは赤い目でこちらをじっと見ていた。

「食べたほうがいいよ」

 ルイは自分で体を起こし、柔らかくなったパンを時間をかけてひとさじずつ口に入れ、三分の一ほど食べたところでまた横になって目をつぶった。

 緊急無線のスイッチを入れっぱなしにして、テーブルで繕い物や道具の整理などをしていると、もう眠ったのだろうと思った頃にルイが口を開いた。

「わたしは、また……ひとりになったのですね?」

「大丈夫。県庁からいずれ誰かが来てくれるよ、さっきから緊急無線を発信してるから。それまではここにいるといい。何も心配いらない。君のお父さんもみつかるだろう」

 などと口では言ったものの、そう信じるのは難しかった。車の周囲をずいぶん探してみたけど、彼の影はどこにもなく、遺留品も、スキーの跡など自力で脱出した形跡も無く、おそらくそのまま運転台で砂に埋まってしまったのだろう。

 再び眠りに落ちたルイの腕や脚が、毛布の端からはみ出していて、作業の合間にふと目を向けると、それはまるで蔓性の植物を思わせるほど、あまりに細くて美しく、その度に幾度も胸苦しさを覚えるうちに、やがて日は傾きはじめ、子どもは静かな寝息を立てるばかりで目を覚まさず、緊急無線にも全く反応が無いのでバッテリーを温存するため一旦切ることにした。

 日が暮れてしまう前にと思って、もう一度連絡員の八輪砂上車のところまで行ってみたが、もう車体は全く見えず、車を飲み込んだ砂面にはまだ長円形の痕跡がはっきりと見て取れ、中央に向かって沈み込むように砂が流れていることから、さらになお深い場所へと車が沈み続けているのが分かったけれど、その運転台にいるであろう連絡員に思いを致しても、気持ちはただ静かで、悲しみも恐怖も感じることができなかった。

 あと六日だ。

 六日後には島田りさ子とともに、同じ深みへ旅立つことができる。そうしてその場所で再び香穂と出会い、砂になった手を握り合い、胸も胴も四肢も、肩も頭も心臓も、意識も全て砂となって混じり合い、今までに失ってきた全ての人や言葉や物事どもと一緒に、この浜そのものになり、香穂そのものになり、この街の全てを抱きしめて、この身のうちに沈めてゆけばいいのだ。みんながそこにいるし、みんながそこに来るだろう。

 だけど、その日までに、あの子どもは、ルイだけは県庁に帰してやろう。

 もはや季節さえ分からず、太陽がどちらに沈んだかも分からない世界に、どちらから来たのか分からない、色のない夕暮れが降りてくる。ちょうど追い風が来たのでスキーに乗り、帆を立てた。

 島田りさ子がどこかで見ている。

 頻繁に彼女の視線を感じるようになったのは数日前のあの再会以来だけど、どうやらそれはほんとうは今に始まったことじゃなくて、ずっと以前から、たぶん何年も前から続いてきたことで、おそらくいつか感じた何かも、時々訳もなく落ち着かない気持ちになることがあったその原因も、りさ子の視線のせいに違いなかった。

 監砂台に帰り、鉄塔の上の照明を点けて部屋に戻ると、ベッドの上で身体を起こしていたルイがこちらを向き、目が合った瞬間、何かを悟ったらしく視線を落とした。

「起きてたんだね」

 わずかにうなずいた子どものつややかな髪が、窓の外から差し込む電灯の明かりになめらかに輝き、さっき眠っていたときと違って、今は頭の後ろできれいにまとめて留められていることに気がついた。

「ひとりにして悪かった。卵とソーセージなら食べられるかな。スープの残りがまだあるから温めよう」

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