第3話 詩人
影少年は、ビルとビルのあいだを歩いていた。墓と墓のあいだを歩く、蟻みたいだった。影のように黒い蟻。蟻の行列は、影の葬列だ。死骸を運搬する影の群れ。
街に人気はなかった。無人の大通り。影の世界は静かで寂しい。生気を吸いつくされた残り滓の空間。街灯、電柱、信号機。電気仕掛けの卒塔婆たち。影少年は、てくてく歩く。
歩を止めた。大通りを外れた路地裏から、がさごそと音がする。飢えた野良猫でもいるのだろうかと、影少年はのぞきみる。
猫ではなかった。つば広の帽子をかぶった影の男が、身をかがめて、ポリバケツのゴミ箱をあさっていた。紙クズやら空き缶やら骨やらを取り出しては、ぽいぽいと周りに放り捨てて、なにかを探すようにゴミ箱をまさぐっている。
「なにをしてるんですか?」
影少年はたずねてみた。その声に男は振り向き、手を止めて、不思議そうに少年を眺めた。
「きみはだれだい?」
「ぼくも知りません」
「迷子かな?」
「迷子ではありませんが、どこに行けばいいのかはわかりません」
「それを、迷子っていうんだと思うけど。おれの知ってる意味がたしかなら」
「あなたはだれなのですか?」
男は身を起こし、帽子に指をかけた。
「おれかい? 名前はエリアン。詩人だよ。もっとも、何年も詩は書いていないけどね。開店休業中の、インチキ詩人さ。ゴミ箱をあさっているようなろくでなしは、たいていが詩人だよ」
「なにか探していたのですか?」
「だから、詩を探していたんだよ。内側に詩が見つからなくなると、外側に詩を探さなくちゃならなくなる。で、きみは? きみもなにか、探し物かい?」
「死の意味を探しています」
「そりゃあ、けったいなものを探しているね。見つかりそうかい?」
「さあ。よくわかりません」
エリアンは影少年をまじまじと見つめた。
「ふうん。きみは、ずいぶん物静かな迷子だね。面白い。詩を呼びそうな体質だよ」
「そうなんですか」
エリアンは、なにかを思案するように、虚空をあおいだ。そしてまた、影少年に視線を向けた。
「よかったら、きみのお供をさせてくれないかな。きみは死を探す。おれは詩を探す。旅は道連れ、世は情け。一人旅より二人旅の方が、新たな言葉も生まれるし、詩も招かれやすいかもしれない。どうかな?」
影少年は、それについてちょっと考えてみた。影少年が一緒にいたいのは、影少女だけだ。魂の伴侶としたいのは、影少女だけだ。とはいえ彼女はもういない。また会えるのかもわからない。だったら、隣にだれかがいようがいまいが、影少年にはどうでもいいことだった。
「あなたがそうしたいというのなら、別にそれでかまいませんよ」
「よし、なら決まりだ。ありがとう、迷子の少年。ところで、きみの名前は?」
「名前はありません」
「名前がない? それは困ったな。死の意味を探すよりも先に、自分の名前を探した方がいいんじゃないか?」
「必要ないです」
「なぜだい?」
「だって、名前なんて嘘じゃないですか」
詩人のエリアンは指先でぽりぽりと頬をかいた。
「妙な考え方をするね。しかしそれだと、おれはきみを呼ぶとき、なんと呼べばいいのだろう」
「じゃあ、あなたが名前を決めてください」
「おれが? きみの名前を? おいおい、それはよした方がいい。詩人がつける名前なんて、どうせろくなもんじゃないよ」
「でも、名前というのは他人からもらうものでしょう?」
「まあ、たしかにそうではあるな」
「それなら、あなたがぼくを名づけてください」
エリアンは腕組みして考えた。
「……ナナシというのはどうかな?」
「いいですよ、それで。じゃあ、ぼくはいまから、ナナシです」
「きょうが名前の誕生日ってわけだ。よろしくね、ナナシくん」
「よろしくお願いします、エリアンさん」
名前なんて嘘だと、影少年はいまでも思っている。
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