Ex.2 [右から二列目、前から五番/彼女の進路希望]
[右から二列目、前から五番/彼女の進路希望]
一日の授業も終わり、下校までの平和なひととき。コルトは自分の席に座って、いまだ決まらぬ進路について悩んでいた。目の前にある進路希望の調査用紙には、第二第三までの進路は埋まっている。だが残る一番上の記入欄は、依然空白のままで止まっていた。
「コ~ルト。なにやってんの?」
そこに彼女の友人が現れる。とても快活そうな背の高い女子だった。
「あ、ミラ」
「『あ、ミラ』じゃないわよ。とっくに下校時間よ? アンタ部活もないんだから、さっさと帰んなさいよ。優しい優しい兄上さまが、またアンタの帰りを首を長~くして待ってるはずよ」
と、キリンのように首を伸ばすしぐさをしてミラが言った。
「やめてよミラってば。何度もいうようにウチの兄キはシスコンじゃないって!」
コルトはむきになって否定する。
「でもだってほら、コルトは姫だから」
「なによそれ?」
ミラの言葉に眉をコルトはひそめた。
「だってそうじゃない。調理実習で目玉焼きひとつろくに作れた試しはないし、いつもフライパンのうえでボヤ騒ぎ起こすじゃない?」
「う、あれはその……」
「それに成績はいいのに割と世間知らずだしさ。ウチの学校、結構偏差値高いのに、難なく編入試験に合格したんでしょ?」
「たまたまよ。それに知り合いにこの学園のコネがあって。試験のほうもちょろ~っとオマケしてもらっただけ」
片目をつむり。右手の親指と人差し指との間で、すこしのジェスチャー。
「それよそれ! それが姫の証じゃないのよ! まったく天然ちゃんには敵わないわね。庶民との格の違いというのを、無意識にひけらかしてしまうんだわ!」
ミラは眉間にしわを寄らせてやれやれのポーズ。顔からそこはかとなく「まったくもう」感がにじみ出ていた。
「うぅ……いやないい方~」
途端に肩身の狭くなったコルトは、眉尻を下げて友人の顔を見上げた。
「あはは。冗談よ。アンタがお姫さまなわけないじゃない。大学付属の小中一貫校っていってもウチは市立だからね。コルトが本物の大金持ちなら、今頃私立か、一流の家庭教師でもつけて在宅で単位取ってるでしょ?」
「まあ……、ね」
「あーあ。私もお金持ちに生まれたかったなぁ~。そしたらケータイだって、すぐにあたらしいのに買い換えるのに!」
ミラはポケットから携帯端末をとりだした。そしてうなじにある電脳モジュールから、通信ケーブルを引き伸ばして携帯端末と接続する。
「なに聞いてるの?」
「昨日の深夜ラジオ録音したヤツ。おきにのバンドが出てたんだけどさ。部活の朝錬キツいから起きてらんなくて」
「ふーん」
「あ、そうか。コルトはまだ電脳化してないんだよね? 『しゅーきょーじょーのりゆー』とかいうヤツだっけ? すればいいのに。便利だよ?」
携帯端末から流れる音声はミラにしか聞こえていない。
目と鼻の先にいるはずのコルトには、ノイズひとつ耳に届かなかった。
「皆そういうんだけど私はちょっとね。なくても別に不便じゃないし」
「そっか。ならいいけど」
「ねえ。電脳化ってどんな感じ?」
コルトがやや聞きづらそうに訊ねてみた。予防接種の順番待ち「痛かった?」と聞く渡辺君のような心持ち。
「うーん? どうって別に普通だよ。ほらたとえばイヤホンで音楽聞くじゃない? あれがイヤホンなしで直接耳の中に音が鳴ってる感じ。ケータイの操作とかもさ、こうやって手でやるんじゃなくて考えただけでカーソルとか動くのよ」
ミラは左手で携帯電話を持っているのに、わざわざ右手でケータイのエア操作をした。
「へー」
「別に手でやればいいじゃんって思うかもしんないけど。一度なれちゃうと手放せないよ?」
「ミラは小学生の頃にはもう電脳化してたんだっけ?」
「うん。だからもうかれこれ四年? 再来年には高校だし。そろそろあたらしい
「……それって恐くないの?」
コルトは露骨に眉をひそめた。
「チップの交換のこと? 平気よ。別に脳みそいじられるわけじゃないんだから。ちょっとここの頭蓋骨に穴開けてチップを入れるだけよ。あとはチップが勝手に神経細胞と融合してくれるんだって」
ミラは耳の上あたりの側頭部を指差したあと、コインの大きさ程度に指でわっかを作って、コルトにチップの大きさを示した。
一方コルトは、頭に穴を開けるという表現を聞いただけでもすくみ上がる。
「あたらしいチップが融合されれば、古いほうは自然と溶けて体外に排出される仕組みなんだってさ。まったくよくできてるわよね~」
「そんな気持ち悪いことよく平気で話せるよね」
コルトは信じられないといった表情で、自身の両腕を抱いていた。
「どこが気持ち悪いってのさ。これが普通よ。ウチらからすれば、いまどき電脳化もしてないアンタのほうがおかしいんだってば。スカートの丈だって皆より長いしさ」
「それ関係ないでしょうよ!」
「でもいいよねー。コルト脚長いから、それで充分だもん。ホントうらやまし過ぎる!」
ミラは自らの制服のすそを持ち上げて、たくましい太ももをアピールした。
コルトは苦笑いをにじませてそんな友人の顔を見る。
「これ以上短いと兄キがうるさいんだよね。でもその代わりに、靴下だけはゼッタイ履かないって決めてるけど」
「なんなのよそのこだわり? でもやっぱほら、姫じゃん。守られてんじゃん!」
「もうっ。うるさいなっ」
うがーっと顔を真っ赤にしてコルトが憤慨した。長い手足をここぞとばかりにぶん回す。
「わかったわかった。ごめんごめん。で、さっきから一体なにやってんの?」
これはたまらんと思ったのか、ミラが彼女の動きを制して訊いた。
するとコルトは机上の用紙を持ち上げて、暮れかかる教室の天井に透かしてみた。
「進路希望の調査用紙埋めてんの。提出期限明日でしょ? 急がなきゃ」
「ぶ! アンタまだ出してなかったの? 私なんかもらった当日に出したわよ」
「いーなー。やりたいことが決まってる人は。私、進路とか言われてもまだピンと来ないもん」
口を尖らせて、コルトは鼻の下にペンを挟む。整った顔立ちでそれをやるので、ひょうきんさのニュアンスがまたひとつ違う。
「でも第二第三は書いてあるじゃない。なになに……第二希望、市立アイリス学園高等部への進学。第三希望、回商会に就職。なによこの、かいしょうかいって」
「かい、じゃなくてホイだよ。
「なによ。しっかりコネ入社狙ってんじゃん!」
ミラは声を荒げた。
「だからぁ、そういうのもどうかなって思うしぃ。あと兄キが高校くらい出とけって、いつもうるさいのよねぇ」
コルトは机につっぷした。
「どこの親もおなじねぇ。あ、保護者か」
「だからちょっと第一希望だけ悩んじゃって」
「別にいいじゃん。第二希望を繰り上げて第一にすれば。あとはテキトーに書いときゃ皆納得するって」
「うーん」
カツカツと机の上をツメの先で叩きながらコルトがあいまいな返事をする。
ミラは友人の気持ちをなんとなく察した。
「なによ? それともほかにやりたいことでもあんの?」
「ない……わけでもない」
「はあ?」
コルトはゆっくりと起き上がり、伏目がちに用紙を見た。
「兄キの仕事手伝いたいって思ってて……」
ため息交じりに吐いたセリフは、自分でも驚くくらいストレートで。
「また兄キ? アンタも相当なブラコンじゃない」
「違うってば! ただウチの兄キの仕事ってちょっと変わってて、家を開けることも結構多いのね?」
「うん」
「だからその……もうちょっと一緒にいたいかなーって……」
「おいおいおい」
「ちょ、違っ。もう! だからいいたくなかったのに!」
コルトは赤面して、手元にあるものをやたらとミラに投げつけた。
「わっ! こら暴れない! わかったから。ブラコンじゃないってわかったから!」
ミラも慌ててこれを否定する。
「ほ、ホントに?」
「ホントに」
「絶対?」
くどいくらいに確認してくる友人に対して、ミラのやることはただひとつ。そのすらりとした長身を活かして、まるで男装の麗人のようにコルトを見た。
「絶対。ほら、私の目を見て。ウソついてる人が、こんなにもキラキラとした瞳をしていると思うかい?」
「ミラ……」
「コルトはブラコンなんかじゃない。それは私が保証してあげる」
「ありがと~」
「ただちょっと頭がイタイだけよ」
「ミラっ!」
とんとんと自分のオツムをつついてミラは、コルトを薄目でねめつけた。
からかわれていることにようやく気がついたコルトは、颯爽と逃げようとする彼女を追いかける。なにも進展することなくその日はタイムリミットを迎えた。学び舎がにわかにクラブ活動のにぎわいを見せる。
コルトはひとしきりはしゃいだあと、ミラと別れた。
いまいちすっきりとしない気持ちを抱きつつ、そのまま家路へとつく。
〈つづく〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます