act.3 [砂漠のどこか/ジェリコのアジト]

[砂漠のどこか/ジェリコのアジト]


 天然の柑橘類が自生する豊かな場所に、彼のアジトはあった。殺人的に厳しい砂漠の環境において、文字通りのオアシスである。さすがに水の確保だけは、外部の文明に頼らねばならないものの、電気もガスもなければないで快適に過ごしていける。


 砂地を海岸に見立てて桟橋が架かる。波のない静かな砂の海に、一隻の航砂船が浮かんでいた。後部座席には幌を被った銃座がある。もやいロープと錨で固定しているのは、たまに流砂が移動してくるからだ。


「ふっ……ふっ……」


 風通しのいい板の間の住居から、軽快な息遣いが聞こえる。

 ジェリコは毎日のトレーニングを欠かさない。長身というほどではないが、均整の取れた恵まれたスタイルをしている。剥き出しの上半身からも分かるように、まるで針金をよじって作られたかのような、引き締まった筋肉の鎧をその身にまとっているのだ。


 割れた腹筋に汗がしたたる。床はすでに水溜りのようになっていた。

 鋼の筋肉に加え、かなりの柔軟性をも併せ持つ。壁の上部に片足のかかとを落とし、そのままペタンと、身体を前に倒すことができる。I字バランスとでもいうのだろうか。優れた身体能力の一旦を垣間見ることができた。


「くあぁ~! 休憩、休憩っと」


 あざな 通りの灰色の髪をかきあげて、ジェリコがテーブルのうえのプロテインドリンクを飲み干した。洗いざらしたタオルが瞬く間に汗を吸収していく、トレーニングパンツもぐっしょりと湿っていた。


 テーブルのうえにはドリンクの他に、惑星間通信C・ネット対応型の携帯端末に紙媒体の新聞、タバコとライター。それから彼の愛用の拳銃と、その弾丸が無造作に置かれている。高い天井を仰げば、風力で動くシーリングファン扇風機。風が風が生み出すという、なんとものどかな光景だ。

 独身貴族、悠々自適という言葉がしっくりとくる生活空間である。


「さて、ともう一汗かきますか――」


 ジェリコが腰を下ろしていたイスから、立ち上がろうとしたまさにその時。

 テーブルのうえで、携帯端末のコール音が鳴った。


 四角四面の深緑の構造体。おもな装置はモニター画面とスピーカー。アンテナは内蔵型で、無駄なでっぱりはない。しかし惑星間通信ともなると、それほど小型化も利かず「携帯」とは名ばかりの立派な据え置き家電であった。エネルギーはもっぱらカートリッジ式を採用しており、自宅にコンセントのないご家庭でも、敷設は可能である。


 その携帯端末がである。コール元を非表示にしたまま、ずっと鳴り続けていた。モニターは通信を開始しないと相手先の映像を送ってこない。ジェリコはなにやら嫌な予感がしていた。


 しかしいつまでも手をこまねいていても仕方がない。汗の引いた彼の指は、やおら携帯端末の受信ボタンを押す。


「やぁ“レイヴン”。久しぶりだな。それにしても電話は早く取りたまえよ。コール音三回以内は、世間の常識じゃあないのか」


 モニターに現れたのは軍服姿の男だった。の映像であるらしく、バストショットではなくきちんと机に座った姿で映し出されている。浅黒い肌に、整った目鼻立ち。壮年であることは見た目からも分かるが、歳相応の色気を感じさせる。軍服を着て司令室にいるよりかは、夜の街のほうがずっとお似合いだった。


「げえ! 大佐!」


 ジェリコは彼を、驚きと共にそう呼んだ。


「随分なご挨拶じゃないか。実に五年振りだというのに、つれない奴だ。もっと歓迎してくれてもいいだろう」


 大佐と呼ばれた壮年の色男は、指をいやらしく組み合わせてそういった。


「できれば一生会いたくなかったぜ。ついさっきまで、あんたという存在自体を記憶から抹殺していたからな」


 乾いたはずのジェリコの肌が、今度は嫌な汗で湿っていく。表情からして分かるのだが、露骨に迷惑そうだった。


「変わらんな君は。“Wingsウィングス”にいた頃の、悪ガキのままじゃないか」


「そういうあんたも相変わらずお盛んらしいな。ほれ、ここんとこにキスマークが」


「え?」


 大佐は咄嗟に自分の首筋を触った。


「マジかよ、オイ」


「あ、こいつひっかけやがった!」


「あんた風にいえば、『騙されるほうが悪い』ってんだろ。……で、用件はなんだ。まさか昔話をしにきたわけでもあるまい」


 すると大佐はすこし雰囲気を変え、


「いや。昔話をしにきたのさ“レイヴン”。お互い、あの頃が一番楽しかったな」


 遠い目をするようにしてそういった。遊び人ではなく、深みのある歳相応の態度で。


「俺にとっちゃ、毎日あんたらにしごかれて地獄のような日々だったが?」


 ジェリコは吐き捨てるようにいう。


「ははっ。そのお陰でいま食っていけてるんだから感謝したまえよ。“横取り屋インターセプター”なんぞと気取ってはいるが、要はコソ泥の尻の毛を抜く商売だろう? 冷戦時代に特殊工作員として、敵国に潜伏していた頃を思えば楽なものだ。あのひりつくような感覚……よもや忘れたとはいわんだろうね」


 大佐の表情が三度変わる。今度は殺戮者の目でジェリコを見た。


「忘れたさ……」


「なに?」


「俺の戦場は、この右目と共になくなった。いまの俺は“レイヴン”じゃなく“灰色鴉”だ。あんただっていまやタイタン連邦特殊工作部隊(TSU)の長官だろう。いつまでも冷戦引きずってちゃ若い連中に示しがつかないんじゃないのか」


 義眼である右目を押さえ、侮蔑するようにいうジェリコに対し、大佐は妖艶で自嘲気味な笑みを浮かべる。


「それは違うぞジェリコ。いくら時代が移り変わろうとも、人間の本質は変わらない。人が闘争を求める限り、我々の任務は続いていくのだ。階級が上がり、ジャングルからコンクリートの司令室へと引きこもっても、俺の魂は常に戦場にある。あの銃弾飛び交う前線で、ターゲットの頭を撃ち抜くことだけを考えてな……」


 大佐はすっと狙撃銃ライフルを構える仕草をした。


「俺の戦争は終わってはいない。今現在、ここがフロントライン最前線さ」


 そういいながら彼は目の前にある司令室長官の机を指差す。


「忘れているなら思い出させてやるまでだ、ジェリコ・クレイヴ少尉」


「は?」


気をつけアテンション!」


 唐突だった。端末モニターの向こう側で、大佐が起立をして叫ぶ。


「い、イエッサー!」


 反射的にジェリコの身体が動いた。上半身裸、下はトレーニングパンツのいう恰好のままで敬礼をする。身体に染み付いた気をつけの姿勢。何年経っても忘れることなどない。


「ハッ、この馬鹿野郎、一体なにやらして……」


「“灰色鴉”に依頼がある。これは連邦政府を通した正式な要請だ。心して聞くように」


 座りなおした大佐が、声の調子を重厚なものにしていった。


「依頼だぁ?」


 ジェリコの声には当惑というよりも、嘲りの色が混じる。怪訝な表情だ。それに対し大佐はいたって冷静さを保っている。どちらがいま、この場の主導権を握っているかなど、誰の目から見ても明らかだろう。


「君にはいまから二十四時間以内に、ニグレスカ砂漠にあるラッダハート王国へと行ってもらう。潜入作戦だ、連邦こちらからのサポートは一切ないと思え」


「ラッダハート? あそこはいま内戦中じゃないか。連邦が軍事介入するんなら、いまさら潜入もクソもないだろう」


 すると大佐は即答する。


「表立っての介入ができんから、まったくの第三者である君に助力を願おうというのだ。君はここ数年の、ニグレスカ砂漠の騒動について知っているか」


「ああ、カスパニウムの採掘に関する利権問題のことか? 百大王家がすべて独占しているせいで、国際的にモメてるらしいな」


「そうだ。奴らはすべての共和制民主国家を市場から締め出して、すでに主力エネルギーとなるまでに普及してきたカスパトロンの原料、カスパニウム鉱石を恒久的に独占するつもりでいるのだ。エネルギーの有効活用は、人類全体の問題だ。それを奴らの思い通りにさせるわけにはいかない」


「それは分かるが、連邦が表立って介入できないとはどういうことだ。国王派のバックに百大王家がついているのなら、連邦軍は反乱軍と連合して共闘するのがセオリーだろう」


「それができるのなら、君なんかに泣きついたりするものか。現在の戦況では、国際法で定められた他国への戦争支援が適応されないのだ」


「つまりその……紛争の規模が小さ過ぎるってのか?」


「その通りだ。戦場は首都ダハールの旧市街地に限定されているし、国王軍といっても元々王の私兵だしな。ゲリラ兵を相手にしても、いい勝負をする程度に無害なものだから、なお始末が悪い。百大王家も“治安維持軍”と称した小隊を派遣するに留まっている。その目的はあくまでも戦争教唆ではなく、人道支援だ。まあ限りなくグレーに近い対応だがね」


 大佐が呆れたような口調でつぶやく。


「ガキの喧嘩に、の出る幕はねえってことか」


「根本的に趣旨は違うが、言い得て妙だな。つまりはそういうことだ。こちらとしてはリベラルな外交をマニフェストとして掲げている、ユギトレス王子の勝利を願ってやまないところだが、なにせ相手はあの“鉢割り”だからなぁ……」


 と、ガラにもなく大佐が身震いするような仕草を見せた。眉間にしわを寄せ、くわばらとでもいわんばかりの顔である。


「今時、恐怖政治を敷いてるらしいな。ゴシップなんかじゃ、後妻に迎えた王妃のせいで狂人になったと叩かれているが、真相はどうなんだ?」


「さあな。それに関しては報道管制が布かれていて、ティムチャート妃に関しては、写真一枚すら出回っていないんだ。しかしか、ぜひ一度お目にかかりたいものだな」


 大佐の顔が、プレイボーイのそれに戻る。ジェリコは呆れた。


「おい、鼻の下伸びてんぞ。ったく、で、結局俺になにさせようってんだよ。話の展開がまるで見えん。あらためていっとくが、俺は政治家でも王族でもなんでもねえ、“横取り屋”なんだよ」


 語気を強めてジェリコがいう。

 胸元に向けた親指で、自分が何者であるかを主張する。しかし、それすら大佐はのらりくらりとかわしてしまう。会話は依然、平行線を維持していく。


「そう焦るな。まずは報酬の話をしておこう。と、その前に、君がこの仕事を受けるかどうかだけはハッキリさせておきたいな」


「内容も知らずにそうそう安請け合いができるか。まずは依頼内容、その次に報酬の順番が普通だろうがよ」


「いや、本件は非常に特殊な案件なので、外部に情報が漏洩する危険性は最小限に留めたい。従って君がやるかどうか、それが極めて重要な条件となってくるんだ。君が首を縦に振らない限り、内容を伝えるわけにはいかないな」


「じゃあ知らなくていい。この話はなかったことにしよう。よそ当たってくれ」


 ジェリコの結論は早かった。間髪を入れず、端末のスイッチを切ろうかという時。


「では君を逮捕するとしよう。逃げようとしても無駄だぞ。すでに君のアジトのまわりを、連邦軍の小隊が包囲している」


「なにぃぃ!」


「君がこれまでに犯した略奪行為が、我が連邦政府圏内でいくつ累計されていると思う? ここ五年間だけでも二〇〇〇件だそうだよ。年間約四〇〇件、一日一回以上のペースだ。昔は勤勉とは無縁の男だったが、変われば変わるものだなぁ」


 感慨深げにそう口にする大佐に対し、ジェリコは動揺を隠せない。さすがに自暴自棄になって取り乱しはしないものの、明らかにさっきまでとは態度を軟化させる。


「ちょ、ちょっと待って!」


「なにかな?」


「なにかなってお前……あ、あれぇ、俺騙されてんのかなっ?」


 わざとらしく知らぬフリをしてみるものの、


「や、純然たる事実だ。データが物語っている。これらがすべて起訴されれば、間違いなく終身刑は免れないだろうなぁ」


「お、おおう……」


 反撃の余地なく大佐に切り返され、なす術もなく床に崩れ落ちる。これまでの悪行を数え連ねているのか、頭を抱え灰色の髪をかきむしった。


「しかし幸運なことに、私はそれを回避する術を持っている」


 その意外な言葉に、ジェリコはおもわず端末モニターの大佐を仰ぎ見た。


「君は今回の依頼に対し『イエス』とだけいえばいい。それで君が犯した過ちの、およそ九割は最高評議会書記長の名で不起訴処分としよう。成功すればもちろん、金銭的な報酬も支払う。どうだ、悪い話ではあるまい?」


 大佐の肌色に艶が増したようだった。


「ま、まさか最初からそのつもりで……?」


「切り札は最後まで取っておくものだ。交渉術のカリキュラムで教えたはずだが?」


 完全な優位に立った大佐はほくそ笑んだ。


「で、どうなんだ? 『イエス』か、それとも『ノー』か」


 選択の余地がないことはお互い知っている。ジェリコはアジトでひとり打ちひしがれ、


「い、イエス……」


 と小さくつぶやいた。


「うーん。よかった! 君ならそういってくれると思ったよー。いますぐ包囲は解くからね、安心して依頼内容を聞きたまえ。まあ一服でもどうだ?」


 と、モニター越しの大佐は満足げに葉巻をくわえた。疲れた表情のジェリコも、つられてタバコに手を伸ばす。


「なんだ。まだ紙巻なんぞ、しみったれた物を吸ってるのか。男なら葉巻をやりたまえ、葉巻を。これは惑星メルキオレのペレ産だ。今度送るから、試してくれ」


 大佐は上機嫌である。それとは対照的に、ジェリコは数年分、老けたような印象すらある。


「もういいから、早く仕事の内容聞かせて……」


「そうかい? じゃあ――」


 大佐は一度溜めて、


「国をひとつ横取りしてほしい」


 といった。


「なん、だと?」


 驚いたというよりも、意図を計りかねてジェリコは訊ねた。


「それはどういう意味だ?」


「そのままの意味だ。国王派でもなく、王子派でもなく、どちらをも勝利させずに紛争を終結させてほしい。紛争さえ終われば、平和維持の名目で連邦政府として現地入りすることができるのだ。まったくの第三者である君が、紛争に関与したところで誰も咎められんしな。そして我々と連携を図り、紛争終結後、迅速に暫定政権を樹立させることが目的だ。百大王家ともこれで対等な交渉ができるようになる」


 とうとうと語る大佐の言葉に、ジェリコの表情が見る間に青くなった。


「おいおいおいおい、いいたいことは分かるが、それは無理だぜ。何度もいってるが、俺は政治家でもなんでも――」


 しかし大佐はいたって大真面目である。


「やってもらわねば困る。それに後方かく乱はお手の物だろう。冷戦時代を思い出せ。それが君のミッションだ」


「俺の、ミッション……」


 わずかだがジェリコの心が揺さぶられた。ミッション、その懐かしい響きに忘れてしまったなにかを呼び覚まされる。日課のトレーニングで流した汗も引いて、身体はもう充分冷えているのに、どこからか沸き上がるふつふつとした感情に、自分でも驚くくらい高揚していた。


「作戦立案から、現場でのあらゆる行動の一切を君に委ねる。以降、作戦終了までこちらから連絡をすることはない。くれぐれも我々の関係は知られるな。では健闘を祈る」


 携帯端末の通信が一方的に切られた。


 映像が途切れ、次第に稼動時の熱を失っていくモニター画面を見ながらジェリコは、大きなため息をついた。そこには不鮮明に自分の姿が映り込んでいる。立ち尽くすジェリコは、いま自分が笑っているのか、それとも怒っているのかさえ判断がつかなかった。


 ただ握り締めた拳銃の、銃爪トリガーを引いていたことだけは確かである。


 ジェリコは、大佐との通信を終えたばかりの携帯端末に、二発の弾丸を撃ち込んだ。


〈つづく〉


























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