act.10 [ダハール新市街/オリバー邸]

[ダハール新市街/オリバー邸]


 宮殿を去り、市井に下ったとはいえ、オリバーのつい棲家すみかはなかなかの邸宅であった。

 一等地とまではいわないが、ニグ族の伝統的様式をふんだんに汲む意匠の建築に、厳粛なかつての王室の生活スタイルを取り入れていた。


 屋敷に着いたコルトは、オリバーのもてなしも早々に泥のように眠ってしまった。度重なる緊張からの解放と、また懐かしい王室の香りに触れたことで気が緩んだのかもしれない。


 ジェリコは、オリバー老人の勧めで地酒をちびちびとやっていた。アルコール度数七十度を超す殺人的な代物だったが、味自体はよく。ジェリコは作戦に支障が出ないよう、呑み過ぎには注意を払った。


「フリーの軍事ジャーナリスト?」


 名刺とジェリコの顔を交互に見て、訝しげな表情をするオリバー。亀の甲より年の功、さすがになにかを感じたらしく、ジェリコも作り笑いで精一杯だ。


「まあそういうことにしておいてやろう。姫様のことは感謝する。おぬしが 殿しんがり を見ておらなんだら、捕まっておったかもしれん」


 オリバーは神妙な顔つきで、深々とジェリコに頭を下げた。


「やめてくれ。こっちはフダツキだ、滅多に頭なんか下げるもんじゃない」


「ふん、なかなかいうではないか。さっき年寄り扱いしたのは許してやろう」


「そいつはどうも。お近づきのしるしに葉巻はどうだい?」


「おお、ペレ産か! 宮仕えの頃は、私もよく口にしたもんだ……と、すまんな」


 懐に入れていた葉巻はそれで最後だった。ジェリコは吸い口をカットしてやり、それをオリバーに手渡した。長柄のマッチをするオリバー、くゆらせ方も堂に入っている。とてもジェリコには真似できそうにない。


「実にうまい! おぬしはやらんのか?」


「ああ、さっき試してみたが性に合わん。タバコは紙巻が一番だ」


「しみったれとるのお」


「どっかの誰かみたいなことを……」


 そのどっかの誰かを思い浮かべ、ジェリコは露骨にしかめっ面をする。


「なんかいったか?」


「いんや別に。それよりも爺さん、この街はずっとこんな状態なのか? ちょっと見回しただけだが、貧富の格差がひどい。貴族はなにをしている、このままでは民衆は飢えて死ぬぞ」


 不意にジャーナリストの仮面を被り、市井の真実を探る。


「国王は、民衆が力を持つことを恐れておる。昔はあんな男ではなかったんだがのう……前王妃を愛し、つつましくとも幸せな家庭を築いておった。痩せた土地でしか貴族に報いてやれぬことをなによりも恥じておった。せめて自分が、砂漠の王でなければといつもいっておったな。それがいまでは私欲に凝り固まってしまって。ようやく痩せた土地以外で、臣民を食わせていけるようになったのにのう」


「カスパニウムか」


「そうじゃ、すべてはあの石ころカスパニウムが王を狂わせた。元々あった野心に火をつけてしまったんだな。彼は出世に目がくらみ民を省みず、日夜、百大王家の機嫌を取ることだけに腐心した。自らもその末席に座らんと欲し、まるで憑かれたように金をばら撒いた。そのうち、王妃は心労がたたり身罷みまかられてしまった。あの頃の殿下のことを思い出すと、胸が痛むな。姫様はまだお小さかったから、ご記憶にないだろう。思えば国王の狂気が日に日に増していったのも、もしかすると王妃の死がきっかけだったのかもしれんな」


「狂気――“鉢割り”のことだな?」


「さよう。あれは本来、土木器具だ。柔らかい砂地を絞め固め、建築の礎を支えるためのな。それを国家の礎たる、臣民を恐怖で牛耳る道具にするとは……歴代の王がこのことを知ったらどれほど嘆かれることか。それをお諌めできなんだ私にも責めはある。公開処刑を見せられるたびに、ふつふつと後悔の念が沸いてくるわ」


 オリバーの悲痛な表情から、そのすべてが伝わってくるようだ。


「処刑されているのは貴族だけか?」


「そうだ。それも比較的、身分の低いな。処刑を強制的に見せ付けることで、民衆の逆らう気力をそぎ、高い身分の者には、貴族でも裏切れば容赦しないということを暗に含ませているのだ。これにより、王は国力を落とすことなく人心をコントロールすることができる。実に巧妙に仕組まれたシステムだよ」


「一体誰がそんなことを思いついたんだ」


「王本人さ。古い文献を読み漁り、必死に保身の術を考えたのだろう。その努力をいとわないのなら、もっと他にやることはあったろうにの」


「臣民の声に耳を傾けろ、か」


「まあ無理な話じゃろうな、今日の処刑など、本当にくだらん理由で行われたというのに」


 と、ジェリコはピンときた。


「そういや野次馬の誰かがいってたな。王主催のパーティを欠席したとかなんとか」


「ああ、この情勢にも関わらず、王は自分の権威を示すために月に数回、夜会を催しておる。どんな理由であれ、ダハールの貴族ならば強制的に参加せねばならん。でなければ不敬罪とみなされ処罰されるのだ、今日の男のようにな」


 腐敗した生ゴミでも目にしたかのように、オリバーが首を振った。不快感を露にし憤慨している。


「無茶苦茶だな」


「最近では殿下ユギトらの襲撃を恐れて、大型クルーザーで砂上の宴を開いておるのだ。まったくなにを考えておるのだか」


 眉間に刻まれた深いしわが、オリバーの苦々しさを示していた。


「ちょい待ち、王が国を離れるのか? 王妃も連れて?」


「まあ離れるといってもほんの数時間、長くても一晩空けるくらいだからな。それから国王はティムチャート妃を寵愛しておるから、彼女も当然一緒じゃろう」


「ふーん……」


 伸び始めた無精ヒゲをじょりじょりとさすりながら、ジェリコは物思いに耽る。


「貴様、なにを企んでおるのだ?」


 オリバーもなにやら気になる様子だ。


「そういう風に見えるかい?」


「まあな」


 ジェリコはケータイを取り出して、バレットへとつないだ。


「バレットか、俺だ。ちょっと頼みがある。大至急だ。……爺さん、次のパーティの日取りって分かる?」


「確か明日の夜だが」


「バレット、今晩仕掛ける。ちょっと人を捜してほしいんだ。それと女。とびきりの美人をひとり頼むぜ」


 二三、簡単な用件を済ませるとジェリコは通話を切った。ケータイをしまい、代わりにタバコを一本取り出す。


「なにをするつもりだ?」


 オリバーが怪訝そうにジェリコを見た。


「まあ、仕上げをごろうじろだ」


 紫煙を噴出しながらジェリコが笑った。明らかに悪いことを企んでいる時のあれである。生身のほうの目が怪しく光った。口元には、顔の筋肉だけで作った笑みが浮かぶ。


〈つづく〉



























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