act.9 [ダハール新市街/上流層居住区]

[ダハール新市街/上流層居住区]


 バレットの店を出たジェリコは、ダハールの新市街地を散策した。見事になにもない街だった。特にひどかったのは低所得者や浮浪者などが、いっしょくたに押し込められている貧民街である。


「ひでえもんだ。これじゃ旧市街とあまり変わらんな」


 市場には活気というものがなく、商品も並ばず。国の特産である柑橘類オレンジですら、まもとに出荷できないという有様であった。


 仕事もなく、貧困と空腹にあえぐ民衆達は、こぞって軍の配給にすがっていた。

 街角に乗り付けられた国王軍のトラック。土嚢によるバリケードに囲まれた配給所には、今日も民衆達がずらりと列を成した。皆一様に顔を沈ませ、まるで生きながらにして死人のような様子である。病人、老人、子供達。皆道路の隅でうずくまっていた。


 それでも燦々と照りつける太陽。遠く旧市街のほうからは、耳鳴りのような銃声が聞こえた。民衆達の日々の暮らしは壮絶で、そしてここも戦争と無縁ではなかった。


 貧民街からダハールを縦断すると、やがて国王が住まう宮殿が見えてくる。そこいら一帯は、貴族、聖職者、高所得者達の暮らす居住区だ。まるで貧民街の地獄のような荒廃ぶりがウソのように、そこは首都と呼ぶに相応しい一応の華やかさを保っていた。


 あまりの地域格差にジェリコはおもわずゲンナリとした。人の価値を貴賎貧富で推し量ろうとする君主制の汚点を、まざまざと見せつけられたような気分である。


 街はまるで厳格な戒律を、具現したような造りだった。いたるところにある礼拝堂と、彫刻の施された水汲み場が印象的で、大通りは男性のみしか通ることを許されなかった。女性達は長い布を頭から身体に巻きつけ、みだりに肌を露出させないようにして出歩き、街の隅のほうだけを使って移動していた。


 男達は、皆ゆったりとした民族衣装に身を包み、豊かなヒゲをたくわえている。これらはすべて伝統と格式による規範であり、誰も逆らうことは許されない。

 ジェリコはつるつるとした自分のあごを指でさすりながら、眉根を寄せ思案した。


「俺もヒゲ生やさねえとダ~メかぁ?」


 この国で行動を起こそうとするならば、まずは郷に入っては郷に従えというわけだ。


「なにしてんのさ」


 宮殿へと続く大通りをジェリコが歩いていると、ふいに誰かから呼び止められた。聞いた声だった。すぐにピンとくる。振り向くと、そこには男性用の民族衣装を着たコルトがいた。頭からはフードのような物を被り、顔を隠している。遠めに見れば、確かに少女とは思わない。


「コ……」


 ジェリコは言葉を呑んだ。いま街中で彼女の名前を呼ぶのは危険だと判断したからだ。咄嗟のことだったが、誰も彼らには注目していない。それでもジェリコは注意深く周囲を見回す。


「そっちこそなにやってんだ。それよりもどうやってこっちにきた? 旧市街地から、こちらへくるには“人民街”を通らなきゃならんだろう。あそこの出入りはすべてセキュリティゲートをくぐらなければいけないはずだ。バレたら普通、ただではすまんぞ」


 するとケロッとした顔でコルトはいう。


「私を誰だと思ってんのさ。この国の子なら皆、抜け道のひとつやふたつ知ってるよ。それにウィニーじゃあるまいし、警備兵なんか別に恐くないもん」


「とんでもないじゃじゃ馬だな」


 ジェリコが辟易としてつぶやいた。


「なんかいった?」


「いいえ、本日も姫殿下にお目通りが叶いまして、恐悦至極でございます」


 冗談めかし、恭しくこうべを垂れる。


「あら、そういうこと口にできるタイプだとは思わなかったわ」


「基本記者ブンヤってのは、口八丁に長けた人間のことをいうんだよ」


「へえ。知らなかった」


「本気にすんなっての。ほれ、茶でもしばくぞ。どこがいい?」


 十四歳の女子に対する言葉ではない。ましてや王族に対する態度ですらないが、コルトのほうはその扱いが気に入った様子で。


「じゃあ、あそこのアイスクリームが食べたい」


 珍しく歳相応の少女の顔をして、繁華街にあるジェラート屋を指差した。ワゴンを改装した屋台で、店先に数脚のテーブルが用意されている。日よけに大きなパラソルが立ててあるのが目印だ。


「バレるなよ」


 ジェリコは眉をひそめて釘を刺す。


平気へーきだってば」


 コルトはまるで危機感を抱いていない様子だった。自分の扮装によっぽど自信があるらしい。


 二人はジェラート屋のテーブルにつくと、アイスとコーヒーを注文した。やってきたのはカップに入った三種の山盛りアイスクリーム。バニラ、チョコ、ラズベリー。それほど甘い物が得意ではないジェリコは、おとなしくコーヒーをすすった。まるで泥のような味だった……。


「これも取材の一環?」


 満足そうアイスを頬張るコルトが、まるきり子供の笑顔で訊いた。


「いんや、ただのデートだ」


 目を丸くしてコルトの手が止まる。


「ジョークだよ。仰るとおりだ、ちょいと市内の様子を探りにきた」


「な、なんだっ……ふざけないでよっ」


「お、かわいいね。あとは減らず口が利けなくなりゃもっといいのに」


「べーっだ。残念でした。でもアイスはおいしいから許してあげる」


 舌を出し、そのあと二コリと笑って再び口のなかへとスプーンを運んだ。


「とんだ出費だな。あとで兄上に請求しよう」


「ちょ、やめてよっ。怒られちゃう」


「はは、さすがに兄貴には弱いんだな」


 コーヒーに期待を裏切られたジェリコは、ジャケットの内側をまさぐり葉巻を一本取り出した。バレットの店に、大佐から届いたあれである。ジェリコは密輸したナイフで、葉巻の先端と吸い口を切り、ものは試しにと一服つけてみた。しかし一口吸って露骨に渋い顔。頭のなかでは、憎たらしい大佐とバレットの顔がぐるぐるとワルツを踊っている。


「兄様だけが私を愛してくれたから……」


「ん?」


 不意なコルトのセリフに、ジェリコは自虐的な妄想から現実へと引き戻された。


「私のお母さん、身体が弱かったから、まだ私が小さかった頃に死んじゃって、どんな人だったかあまり覚えてないの」


 前王妃のことだなと、ジェリコはすぐに思いついた。


「親父はずっとあんなだし、周りは皆、私をその……普通には扱ってくれないし」


「まあ当然だな」


「だから、私には兄様しかいないの。ううん、兄様さえいてくれればいいの。それで充分だから、それで……」


 悩ましげな表情で口ごもる。アイスは次第に溶けていった。


「ウィニーがいるじゃないか」


「やめてよ、彼とはそういうのじゃないの。戦友っていうか、喧嘩仲間っていうか」


「彼はそう思ってないかもよ?」


「え?」


「いや、そういうこともあり得るってだけの話さ」


「新聞記者のカン?」


のカンさ」


「ヘンなの」


 訝しげなコルトの顔に笑みが戻った。


「んー、しかしそうなってくると、いまの王妃ってが性悪だって噂は本当だったか?」


「……なによそれ? どうしてそんな話になるのよ」


 コルトは表情を険しくして、すこし激昂したようだった。


「や、継母ままははとの関係がうまくいってないのかなーっと……」


 ジェリコもやぶ蛇だったかと、内心で舌を打つ。


「ばっかみたい! ゴシップの読みすぎよ! 母う……母上はそんな人ではないわ」


 自分の状況を忘れて、ついつい大声を張り上げそうになるのを彼女は自粛した。ジェリコは一瞬にして周囲を見渡す。義眼レイヴン・アイにも怪しい人間の姿はない。


「彼女はとても優しくて、女性らしい気配りのできる賢い人よ。同性として尊敬もしてる」


「あ? 前王妃から国王を寝取ったって話は」


「でたらめに決まってるじゃない! 実母ははうえが亡くなられて何年経つと思ってるのよ」


「じゃあ国王が恐怖政治を始めたってのは、純粋にオツムが壊れたからなのか? 時期的にたまたま後妻の輿入れが重なっただけで」


「母上……ティムチャート様は、自分のお国のためにラッダハートにきたのよ」


「というと?」


「彼女は隣国のバームス王国の姫君なの。王国といっても、砂漠に囲まれたホントに小さな国なんだけど、ここ数年のカスパニウムの騒動に巻き込まれて外国から圧力を掛けられていたの。貧しくて自衛の手段すらないバームス王国は、第三国からの不平等条約を突き付けられていた。そこで一計を案じたティムチャート様は、自らラッダハート王に身を捧げることを決意された。政略的に血縁を設けることで、百大王家の庇護を受けるためにね。わずかな領土でも、王族以外にニグレスカ砂漠を渡したくなかったラッダハート王も、快くその申し出を受け入れたわ。あの外道、兄様のお気持ちを知っていたくせに……」


 ふるふると怒りに震えるコルトに、ジェリコは疑問を差し挟んだ。


「ユギトの気持ち? なんだそりゃ」


「兄様は、国王から母上を取り戻そうとしているのよ。本来、この戦争はそのためにある。勿論、民衆のために立ち上がったというのもウソじゃないわ。でもね、本当はそうじゃないの」


「おいおいおい、兄貴のマザコンのせいでこの戦争は起きたってえのか?」


「馬鹿! そんなんじゃない!」


 コルトがそう叫んだ時だった。街のなかでどよめきが起こる。あたりは一気に緊張した、その中心には、恐怖に泣き叫ぶ男の声があった。


「なんの騒ぎだ?」


 ジェリコが葉巻の火を消して周囲を警戒する。騒ぎの発信源は宮殿のほうであるらしい。


「公開処刑よ! また誰かが国王に殺される!」


「お、おい!」


 コルトはアイスもほったらかして走り出した。ジェリコもすぐにそのあとを追う。


 宮殿を目前にひかえる広場には、黒山の人だかりができていた。その外側を、まるで集まった民衆達を逃がさないようにして、国王軍の兵隊が取り囲んでいる。皆強制的に連行されてきたかのような怯えがあった。そしてそのさらに中央、彼らに対し絶対の恐怖を与えている物が存在する。


「これが“鉢割り潰頭台”か……」


 コルトを追って人垣をかき分けながら、広場の中央へと出たジェリコが、それを目の当たりにして吐くように呻いた。


 低い矢倉のような組木の柱に、滑車で吊るされた巨大なつちが引き揚げられている。その槌は極太の丸太でできており、金属を組み合わされ重量を増し、先端は幾度も地面へ叩きつけられた影響で外側へとめくれ変形している。そしてさらにタールで塗り固めてあるかのように、槌の断面はどす黒く変色していた。


 そこに、ひとりの紳士が引き立てられてくる。国王軍の兵士に両脇を担ぎ上げられ、必死の抵抗もむなしく、丁度槌の真下に頭がくるようにうつぶせに組み敷かれた。

 泣き叫ぶ紳士。身体は地面に固定され、逃げ出すことさえできない。


「なんでも王主催のパーティに出席しなかったのが、不敬罪にあたったらしいぞ? 他に用事があって行けなかっただけかも知れないのに、かわいそうなことだ……」


 群集の中から、ひそひそとそんな話が聞こえてきた。

 ジェリコの隣では、拳を握り締め、いまにも飛び出してしまいそうになるのを我慢しているコルトがいた。


 やがて彼の罪状が読み上げられ、刻々と処刑の時間が近づく。集まった民衆達は、皆恐々としていた。そしてその時はやってきた。兵士のひとりが手を挙げ合図をする。すると槌を巻き上げていたロープが切断された。槌は一瞬、その場に留まるかのよう浮遊したかと思うと、重力に引かれ一気に地面へと叩きつけられた。


 グシャリと、紳士の頭部を破壊する生々しい音が宮殿前広場に響き渡る。処刑台のあたりは潰れたトマトのように真っ赤に染まり、まだ新鮮な血の匂いを振り撒いて、民衆らの恐れおののく悲鳴を誘った。


「エグイことしやがるぜ……」


 ジェリコは咄嗟にコルトの目元を覆った。彼女は激しい怒りと恐怖のあまり硬直している。呼吸も荒い、早くこの場から離れるべきだと思った。


 静まり返った広場の奥で、民衆を遠巻きに見張っていた兵士のひとりが、こちらを見て仲間を呼んでいるのをジェリコは確認した。彼らは次第にこちらへと近づいてくる、「見つかったか?」と内心ごちて、ジェリコは静かに拳銃を掴む。

 ジャケットの下で静かに撃鉄ハンマーを起こした。すると、


「こちらへ、急いで」


 と、群集から手だけが伸びコルトを連れて行った。敵意は感じないのでそれほど慌てなかったが、ジェリコはすばやくそれを追う。丁度群衆が壁となり、兵士の目から逃れるのは容易だった。人ごみに紛れて走り回り、ようやく辿り着いたのは目立たない路地裏であった。


 先行するコルトを追い、最後にジェリコが躍り出ると、そこではひとりの老人が、コルトに対してかしづいていた。


「おお、姫様。お元気そうでなによりですじゃ。おひさしうございます」


「オリバー? オリバーなの? まあ何年ぶりかしら! あなたもよくお元気で」


「知り合いか?」


 ひとり蚊帳の外のジェリコは、路地裏から外を警戒している。


「ウィニーのお爺様よ。私と兄様の家庭教師をしてくださっていた方なの、あの頃は本当にお世話になったわ」


「なんと勿体ないお言葉を! あのおてんばの姫様が、ご立派になられて」


 よよよと泣き崩れるオリバー老人。


「いまでも充分おてんばだっての」


 とジェリコ。


「なんと無礼な! 貴様なにものだ!」


「いいのオリバー。彼は味方よ」


「おお姫様っ、なんと寛大なことでしょう! このオリバー、目からうろこが」


 かなり感情表現の多彩な人物らしい。怒ったり、喜んだり、泣いたりと、随分忙しい気性であるとジェリコは思う。


「それよりもどうしてあなたがこんなところへ? 宮殿に仕えている身でしょう?」


「ははは、宮仕えはもうやめました。ウィニーをあなたのもとへと送り出したその時に」


「そんな……」


「いいのです。なにせあの臆病者が、一人前に男の顔をしていうものですからな『僕が姫様をお守りいたします』と。それに、もはや私の知る王室もありませんのでな、いっそせいせいしましたわい」


 白ヒゲの老人は、がははと黄色い歯を見せて笑った。褐色の肌に刻まれたしわに、王国の興亡を見る思いだ。


「しかし姫様、無用心ですぞ。護衛もつけずに新市街においでになるとは。軍はあなた方、ご兄妹を捕らえることが目的なのですから」


「ご、ごめん」


が気付くのが遅かったら、今頃宮殿へ連れ戻されておいでです」


「我々?」


 どうやらピンとこなかったコルトの疑問に、ジェリコが外を見張りながら答えた。


「さっきの群衆、皆爺さんとグルか? やっぱり意図的に壁になってくれてたんだな」


「ほう……よう気付いたの、ただのチンピラではなかったか。しかしグルというわけではないぞ。打ち合わせなどはしておらん。皆が自発的に姫様をお守りしたのだ。あの場にいて姫様に気付いていない者など誰もおらんわい」


「皆が私を? じゃあ、ずっと知らないフリをしてくれてたわけ?」


 驚きを隠せないコルトは、目をまん丸に見開いた。


「ジェラート屋のあるじから、連絡を受けましてな。私はこのあたりの世話役をしておりますので、その手の情報ならすぐに分かります。皆、あなたを愛しているのです。たったひとりしかいない、この国の姫君を」


「そんな……そんなことって……」


 オリバーの言葉に、コルトが涙を流した。口元を押さえて、感動のあまりその場へと崩れ落ちてしまう。


「ふぅ……やっと警戒が解かれたか。意外としつこいなここの兵士。さてと爺さん、これからどうするね? 俺が姫様連れて、とっとと帰ろうか?」


 銃をしまったジェリコは、二人へと向き直り、指示を仰いだ。感動とかそういうものには無縁の表情である。


「いや、旧市街へと抜ける裏道も見張られているかもしれん。ならば夜陰に紛れて進んだほうが良かろう。それまで私の家で身を隠しておればいい。姫様のお気も鎮めて差し上げたい」


 処刑を見たあとでは無理もない。コルトの身体はまだ震えていた。


「なるほどな。爺さんのいうことも一理ある。ほれ、これで一応連絡入れとけ。また兄貴にどやされっぞ」


 ジェリコは懐から、バレットから借りたケータイを取り出し、それを地面にしゃがみ込むコルトへと手渡した。震える指先でケータイを受け取るコルト。いつもの数倍はしおらしいと感じた。


「……ありがとう」


「礼ならその爺さんにいいな。お前が軽率なせいで、全力疾走させられたんだからな」


「オイ、若僧! この私を年寄り扱いするな! それになんだその口の利き方は! この方を一体どなたと心得て」


 堰を切ったようにオリバーのお説教モードが発動した。やぶ蛇をつついてしまったことを、ジェリコは悟ったが、昔から後悔は先に立たない。彼はそれからのおよそ数十分を、オリバーのありがた~いお話に費やすことになる。


 硬い地面に正座をさせられ、いい大人がガミガミと怒られている様はなんとも滑稽で。

 恐怖で凝り固まっていたコルトの顔を、まるでとろけたアイスのように、ゆっくりと優しく溶かしていった。


〈つづく〉
























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