act.18 [ギコア人民街/とあるオープンカフェ]

[ギコア人民街/とあるオープンカフェ]


 ダハールの新市街と旧市街を隔てるように存在する空間、それが“人民街”である。まるでオモチャ箱でもひっくり返したみたいな喧騒が特徴的な、ひどく猥雑な場所だ。素人ではどこが電気屋で、どこが飲み屋なのかの区別もつかない。昼間から極彩色のネオンをギラつかせ「こちらの水は甘いぞ」と、あらゆる手を使って客を振り向かせる。


 独自の販売ルートを持つギコア人の街とあって、人気ブランドの商品がどこよりも安い。しかし、そのをまったく同じ店で扱っているのだから始末が悪い。彼らのいい分では「見抜けないほうが悪い」という。まさに生き馬の目を抜くような盛り場である。


 ジェリコは、そんな“人民街”が嫌いではなかった。そこに埋没することで、自分が大衆の一部だと実感できるからだ。


 今日もまた、耳が痛いくらいの喧騒のなか、新聞を片手にコーヒーをすする。初めてきたオープンカフェだが、なかなかにうまいエスプレッソを出す。先日のジェラート屋とは、えらい違いだ。ジェリコはその香りに、太鼓判を押した。


 しばらくして、人ごみのなかにジェリコは知った顔を見つける。

 オリバーだ。街の雰囲気に圧倒されているのか、まるでのように、あちこち顔を泳がせている。歩きなれないと、ここではすぐ人にぶつかってしまう。オリバーはピンボールの玉のように、同じところを行ったりきたり繰り返していた。


「爺さん、こっちこっち!」


 見かねたジェリコが、大声で彼を呼ぶ。するとオリバーは安堵の表情を見せて、そそくさとジェリコのいるテーブルへと駆けてきた。


「噂には聞いていたが、本当にすごいところだな、“人民街”というのは」


 席に着き、グラスの水を一気に飲み干してオリバーがいう。


「意外だな、初めてかい?」


「ああ、敬虔けいけんなニグ族には、ここは刺激が強すぎる。生まれてからこの方、足を踏み入れるのも初めてじゃよ」


「そいつは良かった。いくつになっても初体験ってのはいいもんだ」


 ジェリコが悪びれもせずにそういうと、オリバーもまんざらではない顔をして、


「まったくこのチンピラめが。マジメな年寄りをこんなところに呼びつけおって」


 と笑った。


「色々と聞かれたくない話がしたくってね。どうせこないだの騒ぎで、爺さんとこは警戒されてるんだろ? 盗聴される危険もあるからね、悪いとは思ったがご足労願った。ここは治外法権だ、さすがの国王軍もセキュリティゲートの前で立ちんぼすることしかできない」


「その通りだ。自国の領土に不干渉地帯があるというのは気分の悪いものだったが、まったくこんなところで役に立つとはな。長生きはしてみるもんじゃ」


「はは、ギコア人はゴキブリと同じで、世界中どこでも繁殖するからな。これは、そのギコア人と俺からのささやかなプレゼントだ。無理を聞いてもらったお礼だよ」


 ジェリコはテーブルのうえに置いていた木箱を、オリバーのほうへとやった。


「葉巻か?」


「ああ、ウチにも葉巻の道楽者がいてね。爺さんの話をしたら、ぜひにということだ。惑星メルキオレのマラドーナ産だ。お口に合えばいいが」


「なに、口のほうを合わせるさ。さっそく一本」


 オリバーが木箱のフタへと手を掛けると。


「おっと待ってくれ。マラドーナ産は香りが大事なんだ。こんなところで開けたら風味が飛んじまう。お楽しみは家に帰るまで取っておいてくれ。とりあえずいまはこれで」


 ジェリコは懐から取り出した、大佐のペレ産のほうを差し出した。


「ん? そうか? 悪いな毎回」


 いうほど恐縮してないのがオリバーらしいが、ジェリコがつけてやった葉巻を実にうまそうにくゆらせている。


 その直後だった。二人のいるカフェから数ブロック離れた場所で、複数の通行人を巻き込んだ大爆発が起こる。突如、阿鼻叫喚と化した繁華街を、人の波が逆流してきた。


「な、なんじゃあ!」


 濛々もうもうと立ち上がる粉塵と目の当たりにして、オリバーも立ち上がった。褐色の肌が、見る間に青ざめていくのが手に取るように分かる。


「戦況が激化してるんだ。いまのは戦車の流れ弾だろう」


 ジェリコはすました顔でコーヒーをすする。


「なにを悠長に構えとるんだ! 早く逃げろ!」


「大丈夫だよ。ここらは微妙に戦場からずれてる。だから流れ弾もこない」


「や、しかしお前……」


「大丈夫だって。とりあえず座ってくれ」


 念を押し、ジェリコはオリバーに着席をうながす。納得できないという表情を張り付かせたまま、彼は渋々と腰を下ろした。


「……そ、それで戦局はどうなった?」


 そして気を紛らわせるため、無理にでも会話をしようとしたらしい。


「最悪の状態だ。いままでは兵力が完全に拮抗していたために、それほど泥沼にならずにただ長期化が進んでいた。しかしいまは違う。国王軍に戦略参謀がついた。それもとびきり優秀な奴がな」


「参謀だと?」


 白い眉をひそめ、オリバーがオウム返しにそう訊ねた。


「そうだ。これまでは戦闘といっても、ただ鉄砲の弾を撃ち合っていただけだ。複雑な連携や、戦略を用いて敵陣に攻め込んでいたわけではない。だが国王軍に参謀がついたことによって、ようやく“戦争”になった。ここはあえて反乱軍と呼ばせてもらうが、ユギト達の戦力じゃ勝つことはできんだろう。戦争請負人PMCも所詮は金で雇われているだけだ。背後の政局が変われば、即時撤退もありうる」


「殿下達が負けるというのか!」


 オリバーの激昂も、もっともなことだった。だがジェリコはあくまで冷静で。


「もってあと三日だ。それまでになんらかの手を講じねばならん。このまま王子派が敗退すれば、俺にとっても都合が悪い。せめてあいつらが国外へ撤退することを選んでくれれば、追討軍を別の戦場へと誘導して、再起を図ることもできるんだが……戦場の規模が拡大すれば、国際法が適応されて、外国からの支援も受けられるというのに」


「しかしそれでは、他国をも巻き込んだ大戦争へと発展するぞ!」


「分かってるよ、だからユギトはそれをしないんだ。まったく兄妹そろって頭の固い」


 するとオリバーはジェリコを睨みつけて、


「そうではない、お優しいだけだ!」


 と反論する。


「それも分かってるよ。うんざりするほど」


 ジェリコはうなだれるように、そうつぶやいた。実際、がっくりと肩を落とす。


「お前は一体何者なのだ? ただの物書きではあるまい」


 オリバーがすこし恐々と、しかし真っ直ぐにジェリコの目を見て問いかける。その時、二発目の流れ弾が、今度はオープンカフェの真向かいにあるビルに直撃した。飛び散るガレキと、逃げ惑う住人の声。ひらひらと宙を舞う紙くずの雨のなか、ジェリコは不敵な笑みをオリバーへと投げかけた。


「この国を『横取り』にきた……っていったら信じるか?」


 その言葉は喧騒にかき消されてしまった。

 炎をまとう街。閃光と砂埃のなかでジェリコはタバコに火をつけた。


〈つづく〉


























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