act.12 [航砂客船サンド・オーシャン号]

[航砂客船サンド・オーシャン号]


 神々しいまでの白銀の月が、静かな茫漠の空に浮かぶ頃。一隻の豪華客船がラッダハート王国の砂海港さかいみなとを出た。国中の貴族という貴族を乗せ、広大なニグレスカ砂漠を漫遊する。行き先は特に決まっていない。王の気の向くまま、どこまでも砂上を走る。


 その時間、無為に貴族らを拘束することに意味がある。王は自身の権威を、他者を束縛することによって見せつけようとしているのだ。


 無数にある船室のなかで、航行に必要な船内施設を除いた一番大きなホールがパーティ会場として開放されている。そこには国内有数の貴族は勿論のこと、海外の列席から百大王家につらなる重鎮達までが顔をそろえていた。


 華やかな晩餐。それは退廃した王室そのものだった。テーブルには贅を凝らした、山海のオードブルが並んでいる。


「悪い女だぜ。まさかにくるとはな」


 ボーイからシャンパンを受け取った紳士がボヤいた。隣に付き従うのは、扇情的な赤いドレスを身にまとったひとりの妖艶な女性。酒宴には無礼講の慣行があるため、極端でなければ肌の露出は咎められない。だが彼女の容姿は、見て見ぬフリができぬほどの艶やかさ。というよりどこを見ていいのやら、目のやり場に困るほどだ。


「あら、いけない? 二度目のデートは別に契約に入ってないわよ。あくまでもこの日のスケジュールを横取りするのが、私の役目。今頃あのオヤジが、どこで待ちぼうけしようとも知ったことではないわ。それに国王主催のパーティなんて、私達の身分じゃ一生これないもの。こんな滅多にないチャンス見過ごせるわけないじゃない」


 腕を絡ませ、ツンとして彼女はいう。


「同伴者は現地調達するつもりだったんだけどなー。……もっと扱いやすいのを」


 タキシードにつけヒゲという扮装でパーティに出席したジェリコが、遠い目をして不満を口にした。ぼそっといったつもりだった最後の一言を聞かれ、彼女に思い切り尻をつねられる。


「ぁイテッ!」


 涙目で睨みつけるも相手は知らんぷり、韜晦とうかいしてシャンパングラスを傾けている。


 彼女の名はマリア。“人民街”で旅行客相手にを提供している。バレットの紹介により、気の弱い貴族をひとり騙すのに協力してもらった。本当なら今頃、その紳士に一夜限りの夢を見せている予定だったのだが。


 どうやらしたたかにもデートをすっぽかしてきたらしい。げにも哀しきは男の性。小男は騙されたことにも気付かず、延々とこの女を待ち続けているに違いない。


 しばらくすると会場も賑わい、給仕達もせわしなくなってきた。やがてひとりの紳士がジェリコのほうへと近づき、エレガントで嫌味な調子で語りかけてきた。


「失礼しますミスター。わたくしワイゼンバーグ家の当主をしておりますニキロナと申しますが、どちらかでお見かけしませんでしたか? よろしければお近づきのしるしにあちらでワインでもご一緒に。こちらのご婦人ともぜひお話がしたいですな」


 ジェリコはすばやく切り返した。


「これはこれは。申し遅れました。わたくしは惑星バルタの、ロノウェ王国からやってまいりました特使でございます。ギューレンタール・リッテンフェルト。お見知りおきくださいませ、ワイゼンバーグ卿」


「おお! ロノウェといえば百大王家のひとつではございませんか! その特使ともなれば、王室に連なる方なのでは?」


「いえいえ、わたくしなどロノウェ家の末席を汚させていただいているにすぎません。どうかご遠慮なさらずに」


「なんとも懐のお広い。小生、感服いたしました。どうかあちらでお国の話など、お聞かせ願えませんか? 紹介したい友人もおりますので」


「それは結構なお誘いでありがたいですな。しかし、そろそろ陛下のお出ましの刻限ではございませんか?」


 ジェリコは巻いてはいないが、腕時計を指すような仕草をした。


「おお。本当ですね。では後ほど、またご一緒いたしましょう。ではレディもご機嫌よう」


 ニキロナはマリアの手を取り、甲にキスをした。一部の隙もない、上流階級の人間の所作であった。去りゆく彼に手を振りつつ、マリアは笑顔でジェリコにいった。


「どっちが悪党なのよ。よくもまあ、あんなデタラメ咄嗟に思いつくわね。誰よ、ギューレンタールって、ニセモノだってバレたらどうするつもり?」


 ジェリコはタバコを取り出すと、火をつけずにそのままくわえた。


「バレる前にずらかるさ。一晩だけ勘違いしてくれればそれでいい。外部との通信手段もないはずだしな。ケータイすら受付で没収されたよ」


「ずらかるって……あんたわざわざなにしにきたのよ?」


だよ。お……、そろそろ主役のおでましか」


 会場の照明が落とされ、各テーブルのゲスト達も水を打ったように静まり返った。ホールの奥にあるステージ上に、まばゆいスポットライトが当たる。生演奏による国歌が流れ、万雷の拍手と共にひとりの老人の姿が壇上に浮かび上がった。


 それひとつで邸宅でも買えるかという豪奢な玉座に、王冠を頭上にいただく老いさばらえた痩身の男が座る。まるでむくろがローブを羽織っているかのような醜悪さ。しかし狂気に見開かれた双眸だけは、水面に浮く脂のようにギラギラとした生気を放っている。


「王妃がいないな。マスコミ対策か? 徹底してやがる」


「なんかいった?」


 右目だけでステージ上を確認していたジェリコに、隣からマリアが口をはさむ。


「いんや、別に。さてと……。マリア、お前その辺でテキトーに油売ってろ。随時愛人募集中の好色貴族から、本物の独身貴族まで選り取りみどりだ。好きなのと遊んでていいから、俺のことは忘れてくれ」


 ジェリコはくわえていたタバコを折ると、なかから出てきた接続プラグにふっと息を吹きかけて、付着していたタバコの葉を取り除いた。


「はあ? あんた、さっきからなにいってんの。頭おかしいんじゃない?」


「そうかもな……っと」


「はぅ……」


 ジェリコはマリアのうなじに手を伸ばし、彼女の電脳モジュールに、タバコに偽装していたプラグメモリを差し込んだ。一瞬息を呑み、直立したマリアだったが、徐々に表情を緩和させていく。目をトロンとさせ、恍惚とした笑みを浮かべる。


「俺が誰だか分かるか?」


 ジェリコは彼女に、プラグを挿入したまま質問した。


「……わかんない」


「ここはどこ?」


「豪華客船の中、王様のパーティ」


「なにしにきたの?」


「わかんない、逆ナン?」


 マリアの回答はすべて彼女の本心である。ただごく一部だけ、強制的な物忘れを刺激する暗示がプラグメモリには入力されていた。


「上出来、さすがはホイ商会特製の“デジドラ”だ。――このプラグを抜いて、しばらくしたら効果は切れるけど、それでも一時間くらいは俺のこと忘れててもらうぜ?」


 不思議そうな顔をするマリア。ジェリコがプラグをうなじから引き抜くと、彼女は「きゃうん」といやらしい声を発して身を縮こまらせた。そしてまばたきをするわずかな瞬間、ジェリコはもう彼女の目の前からいなくなっていた。


 会場ホールをあとにしたジェリコは、まず真っ先にその階の男子トイレへと駆け込んだ。

 の個室に入ると、すかさず便器に脚を掛け、頭上にある空調ダクトを分解した。外した天ブタをゆっくりと足元へ置くと、ジェリコは天井裏をまさぐる。するとそこには、昼間のうちに清掃員を買収して船内に運び込ませておいた衣装ケーストランクが隠してあった。

 多少の賭けではあったが、この時点で警備がいろいろとザルなのが分かる。

 入船時のチェックの緩さもしかり。

 もしかするとここまで周到な手順を踏むまでもなかったかと、ジェリコは思い始めていた。


 フタを閉じた便座のうえで、トランクを開く。なかには彼の愛用の銃ゴールド・メーカーをはじめ数本のナイフ、そして真新しい携帯電話ケータイと黒い野戦用のジャケットが収められていた。


 ジェリコはケータイを取り出すと、自らの電脳モジュールから通信ケーブルを伸ばし、電源をオンにしたケータイの接続ジャックへとプラグを挿した。


「――バレット、聞こえるか?」


 ぼそぼそと、口元へと耳を近づければなんとか聞こえるかという小さな声で、ジェリコはつぶやいた。ケータイの通話口も使わず、手に持ったままで。するとしばらくして、彼の耳辺りには聞きなれた声が響いた。それもやはり、本人以外にはまったく確認できない。


『感度良好ヨ。特に妨害電波の類は出ていないようネ』


 耳のなかでバレット特有の抑揚がこだまする。


『状況はどうあるカ?』


「パーティがはじまった。これから王妃と接触する」


 つけヒゲを剥がし、固められた髪をほぐすと、ジェリコはタキシードから野戦用のジャケットに着替えた。分厚い生地でできているが、重さは感じない。複数のマガジンホルダーと、多目的なポケットがついていた。


 ジャケットをトランクから出すと、その下から動きやすそうな靴と、筒状の黒い器具が入っていた。減音器サプレッサー である。銃口の先に取り付けて、発砲時の音を減らすというものだ。しかし物理的にいって完全に音を消すことなどできない。あくまでも人が、声を殺して話す程度の変化だと思っていい。


『ジャケットと靴は着替えたあるカ?』


「ああ」


『どちらもホイ商会特製の商品ネ。ジャケットのほうは特殊素材でできていて、軽くて強靭な防弾効果が得られるあるが、あくまでも貫通しないだけ。着弾時の衝撃まで軽減することはないから、気をつけてほしいヨ』


「防弾服ってのは本来そういうもんさ」


『でも至近距離からショットガンの弾食らっても全然平気ヨ、どんとこいネ』


「ジャケットより先に、俺が死ぬわ!」


『それからその靴は、隠密性に優れた消音靴底スニークソールを採用しているある。今回のお仕事にはうってつけヨ。履き心地と頑丈さにも自信あるある』


 バレットの声に陽気が混じる、かなりの自信作らしい。


「ああ、確かにいい感じだ。今度注文させてもうよ。それからこのジャケット、もうちょっと細身にできないか? ポケットいっぱいはいいが、どこかに引っ掛けそうだ」


『分かったある。製品開発部に意見書を出しとくヨ』


 身支度を整えたジェリコは、さっきまで着ていたタキシードとつけヒゲをトランクに詰め込んで、それをまた天井裏へと隠した。電源をオンにしたまま、ケータイを胸ポケットへと挿入する。通信ケーブルは、邪魔にならないようフレキシブルに伸縮自在だ。


『まずはこれを見てほしいある』


 バレットの言葉に反応し、ジェリコの義眼には周りの風景ではない映像が映し出された。簡略化された、客船の見取り図のようだ。ジェリコの意思とは関係なく、詳細なデータが次々とマーキングされていく。


『サンド・オーシャン号は五つの甲板に分かれていて、パーティ会場のホールがある第一甲板から順に、第二、第三とうえに上がっていくある。それぞれの階を、複数の階段が経由しているあるが、どこも監視カメラによって見張られているネ』


「重要な区画の前には、必ず歩哨も立ってるからな。まあ国賓クラスの招待客ばかりだ。そのくらいは当然だろう。多少時間は掛かるが、警戒の死角をついていくしかない。王妃の船室は最上階か……よしルートは覚えた。行くか」


 ジェリコが立ち上がり、個室のドアノブに手を掛けた時だった。


『あいや、ちょっと待つよろし!』


 バレットが慌てた様子で彼を呼び止める。ジェリコは耳の辺りでキーンとする、不快な耳鳴りに顔をしかめた。


「うるせえな、気をつけろよ! 骨伝導で通話してんだから、耳塞ぐこともできねえんだぞ!」


『ゴメンある。でも重要なお知らせ。聞かないと絶対損するヨ』


「ああ?」


『第一甲板の隅のほうに、防犯管制室モニタールームがあるネ』


「それは知ってる」


『王妃様の部屋に行く前に、ちょっとそこへ寄ってほしいヨ。船内の監視カメラの映像は、すべてそこでモニターされているネ。だから先にそこ行って、監視映像を横取りジャックするヨ』


 まるでジェリコのお株を奪うかのような発言だ。


「できるのか、そんなこと?」


『ジャケットの内ポケットを調べてほしいネ。プラグメモリが入っているある』


 ジェリコは指示通りに、プラグメモリを取り出した。“デジドラ”よりはちょっとの大きめで、つや消しの赤いペイントがされていた。プラグとは逆の突端に、パイロットランプ作動灯が埋め込まれている。


「ああこれか」


『それをモニタールームの“電子演算装置ニューロウェア”に挿入するよろし。ワイヤレス通信で、監視カメラの画像をジェリコさんの“義眼レイヴン・アイ”に送信するある』


「おお」


『そうすれば、監視カメラによる警戒網の合間をぬって進むことができるネ。電波妨害の可能性もあったから、使えないかもと思ったあるが、どうやらお役に立てるようヨ。まあダミー映像流したりとか、手の込んだことは時間的に無理だったけどネ』


 バレットは自嘲的に、ニヒヒと笑った。


「いんや、それで充分だ。あんたといい弟のほうといい、俺は相棒に恵まれている」


『それほどでもないある。なんなら世界中どこにいってもサポートするヨ。ワタシ達の兄弟、まだまだいっぱいいるからネ』


「え……ウソ……」


 ジェリコの脳裏で、なまずヒゲのガマガエルがあふれ出す。


〈つづく〉

























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