act.17 [反乱軍アジト/続・坑道にて]

[反乱軍アジト/続・坑道にて]


 まだ整備も途中の“ガバメント”の球状車輪に背を預け、ジェリコはタバコを一服ふかしていた。薄ぼんやりと青く光るカスパニウム鉱石の天井を仰ぎながら、ひとり静かに煙をくゆらし続ける。グロックもいない。すでに夜明け近くである、眠っているのほうが自然か。


「ジェリコ」


 声のするほうに目を向けた。生身の視界に、短パンからすらりと伸びた長い脚が映る。コルトだ。そういえばまじまじと眺めたことはなかったが、女の子として普通にかわいいとジェリコは感じた。だが、いまはそんなことに心が動かされるような気分ではない。


「こんなところにいたんだ」


「『さん』つけろ馬鹿。ガキにまで呼び捨てにされる覚えはねえんだよ」


「いいじゃない別に。私もコルトでいいわ。あんたに姫様呼ばわりされたら、お尻がかゆくなるもの」


「痔なんじゃねえの? いい医者紹介するから今度行ってみろよ。筋金入りのド変態だが、腕はいいぜ」


「ばーか」


 べーっと舌を出す、コルトのお得意の顔だ。にわかに空気が和らいだ。


「さっきの」


 かと思うとジェリコの隣に座り、なにかいい出しづらそうに口ごもっている。


「あん?」


「ジェリコのいってることも私、分かるよ。でも兄様をそんなに責めないであげて。あの人は私達の……いいえ、砂漠に生きるすべての人達の『明日』を背負っているの。その重圧がジェリコに分かる?」


「…………」


「幼い頃から王族の一番醜いところを見て育った私達は、いつかこの国に幸せを取り戻すことを誓い合った。宮殿の、玉座の前で指切りして……あの時のこと、私まだ覚えてる」


「おいおい、まるでプロポーズだな」


 ジェリコは茶化していったつもりだった。


「そうね。そうだったのかもしれない。小さな私にとって、兄様だけがこの世のすべてだった。だから私はその時、永遠に兄様のものになれたのだと信じてしまったのかもしれないね」


「コルト……」


「分かってる……血がつながってるんだもん。兄様はただ優しいだけ。だって兄様にはティムが、ティムが……」


 膝を抱え、顔をうずめ、コルトは肩で小さく泣いた。ジェリコがそっと頭を撫でる。すると彼女は、堰を切ったように、わっとなった。ジェリコの首にしがみ付き、声を殺して、泣き顔を見られないように。するとジェリコも、それを引き剥がす様子はなく、


「むかし惚れた女がいた……」


 と懐かしそうにつぶやいた。


「え?」


「ガキの頃からよくしてもらって、俺はまるでヒヨコのように彼女を慕った。歳を重ね、ある日それが男女の恋慕だったと分かった時、俺は激しく動揺したよ。なにか悪いことをしているような、そんな後ろめたさだけが募った。いつしか俺は彼女と身体を重ねるようになっていた。恋愛が実ったからじゃなく、訓練として。俺は特殊工作員として、あらゆる技術を叩き込まれた。そのカリキュラムとして、恋愛を利用することを教えられた。彼女はその指導員で、最初から俺が彼女に惹かれることは計画されていたんだ」


 ジェリコは淡々と語る。


「ひどい……」


「そうだな。でもそれがスパイに求められる技術だ。裏切り、嫉妬、嫌悪、そういうものに対する耐性をつけるためのな。だけど頭じゃ分かっているのに、彼女を抱くたびに俺は磨り減っていくような気分だった。愛しているのに、彼女の愛も感じるのに、それがホントかウソなのか分からないんだ。俺が敵地で官僚の愛人を抱いている時、彼女もまた別の任務で誰かに抱かれている。そんな異常な状況に、俺は必死で耐えていた」


「全部、戦争のせいだ……」


 コルトが重々しくいった。


「そうとはいいい切れんよ。すこし引いて見れば、そこら辺に転がっている安い恋愛ごっこと同じさ。だけどいつしか戦争は終わりを告げ、政権刷新と共に、俺達の部隊は解散された。メンバーは散り散りとなり、彼女とも別れの時がきた」


「悲しかった?」


「いや、正直ホッとしたよ。離れてみて冷静になれば、今度こそ本当に自分の気持ちと向き合えると思って。だから俺は笑顔で彼女と別れた。いつか再会することを約束して」


 ジェリコはすっと小指を持ち上げた。


「あの時の俺達も指切りだった」


 二人は微笑みを交わす。ささやかだけど、確かな共感を得た時のあれである。


「それでどうなったの?」


「再会は意外と早くに訪れた。部隊解散から一年後、新部隊TSUの導入試験という名目で何人かのベテラン兵士が前線へと送られた。その中に俺と、そして彼女がいた。うれしかったよ。俺は状況もわきまえずにはしゃいでいた。やはり俺は、彼女のことが忘れられなかったんだ」


「彼女のほうはどうだったの?」


「俺もそれが気になって、戦闘がはじまる数分前に聞いてみたんだ。そしたら『イエス』と……俺は天にも昇る気持ちだった、興奮してライフルを誤射してしまうところだったよ。そして帰ったら結婚しようと、その場で約束を交わした。もう戦場には戻らないと、固く誓い合った。だが、そこに奴が現れたんだ」


「……奴?」


 ジェリコは胃液が逆流する思いで、当時の惨状を語り始める。


「“ガルーダ”だ。ソフィア・ベネリ。あの女は連邦政府の樹立と共に、今度は敵対勢力である百大王家に鞍替えしやがったんだ! 戦場で出会った奴は、さも当然のように元仲間を撃ち殺していった。そしてとうとう、俺と彼女サラのもとへもやってきた。俺は動揺を隠すことができなかった。ソフィアは俺の師であり、親も同然だったからだ」


「親? どういうこと? 私と同じくらいの歳に見えたのに……」


「奴は歳をとらない……初めてあったあのときも、いまと同じ姿だった……」


 遠き日の思い出がジェリコの胸を苛む。

 コルトはただそれを見守っていた。


「俺は戦災孤児で、元々少年兵だった。カスみたいな戦場で、ゴミ以下の扱いを受けて命懸けで戦ってた。あの頃の俺には恐いものなどなかった。いつ死んでもいいと思ってたし、それが少年兵の戦い方だ。でも、ソフィアに出会ってその考えが変わった。生まれて初めて『恐い』と感じたのさ。この女に殺されたら、天国にも地獄にも行けず、永遠に苦しみ惑うのではないと思った。銃爪も引けず、逃げることもできず。俺はただ奴の“赤い雨ショットガン”の前に立ち尽くした。すると奴は銃口を外し、『見込みがある』とだけいって俺を拾ってくれたんだ」


「そうだったんだ……」


「ああ」


 きつく瞼を閉じ、なにかをこらえるような仕草を見せるジェリコに、コルトは訊くべきかと迷いながら、それを口にした。


「でも、だったらなんでそんなにも憎んでいるの? お母さんなんでしょ?」


「憎みもするさ! 奴は、俺からすべてを奪ったんだ。この右目も、そしてサラも! 戦場で再会したソフィアは、躊躇することなく銃爪を引いた。俺は回避が遅れ、棒立ちになった。それをサラが身を挺して散弾の雨から俺を……。止め切れなかった散弾が俺の右目を潰したが、そんなことはどうでも良かった。ただサラのことだけが心配で、俺は彼女を抱き起こした。……すでに死んでいた。身体中を穴だらけにして、美しかった顔も真っ赤に染めて。その直後だった、援護射撃が到着したのは。あとほんのすこし、数十秒でも早くきてくれれば……」


 思い出してジェリコは顔をしかめた。

 子供のようにうずくまる彼を、今度はコルトが優しく抱き包んだ。


「もういい、もういいよジェリコ」


 ひとしきり嗚咽をこらえたジェリコは、コルトから身体を引き離し、冷静さを保ちながら口を開いた。


「……そういうことだ。もう奴には関わらないほうがいい。おそらく国王軍は、これから全軍を挙げてお前らゲリラを叩くだろう。国際法があるお陰で増援部隊の心配はないが、お前らみたいな急ごしらえの部隊がいつまでも持ちこたえられるものじゃない。悪いことはいわない。早くここから離脱するんだ」


 するとコルトは、怒るでもなく立ち上がる。


「いったでしょ。国民を背負ってるって。敵わないと分かったからって、私達は戦場から逃げ出すわけにいかないの。それが国民に対して『忠義』を尽くす、本物の王家の使命だから」


 そういったコルトに対し、ジェリコは王妃ティムチャートに抱いたものと、同じ尊崇の念を見出していた。


「……か」


 つい口走った言葉に、「しまった」とおもわず顔をそむける。


「え?」


「いや、こっちの話だ。さてと、俺はそろそろ行くとするか」


「どこに?」


「さぁな。少なくとも戦場から遠いところへさ」


 立ち上がったジェリコは、ズボンについた砂を手で払い落としながら、あたらしくタバコをつけた。その背中を見てコルトは、怪訝な表情でいう。


「さっきの話、どこまで信じていいの?」


「あ?」


「少年兵だとか、特殊部隊だとか。あんたジャーナリストだっていってたじゃん」


 唇を尖らせて、カタチのいい眉を片方吊り上げた。


「ご想像にお任せする」


 ジェリコは半笑いでテキトーに答える。


「なによそれ」


「はは、過去なんかどうでもいい。俺達は前だけを向いて歩けばいいのさ」


 坑道の彼方がうっすらと白んでいく。もうじき朝がやってくるのだ。ジェリコは疲れた身体を引きずって、光の差すほうへと歩き出した。風が紫煙をさらってく。

 コルトは、血と硝煙の染み付いた、彼の匂いを感じた。


〈つづく〉



























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