第29話

サンザシ、今これを食べながら書いている。袋には、山ざし条と書いてある。何とも変わった、美味しい味だ。そして、大好きなお酒も飲んでいる。安物だが、度数の高いワインだ。笑                 このお菓子は、昔、子供の頃に近所に住む中国人の子供が食べていた。そしてそれを私にくれた事が何度もある。        何、これ?!凄く美味しい。しかもこんな味、食べた事がない。初めてだ!!    私は、ケチケチしながら本の少ししかくれない、その美味なお菓子に夢中になった…。 それから、その子と遊ぶ時には、その子がそれを食べている時には、私にもったいなさそうに少しくれた。            私は母や祖母に話してみた。あんなお菓子を食べたことが無い、だがとても美味しいんだと。                  祖母はお金を使うのが大好きな女だったから、直ぐにそれを買おうとした。私に与える為だが、自分も食べてみたかったのだろう。                  そして母は祖母の言うことは何でも機械の様に聞いていたから、(まぁ時たま反発したが)、丸で下僕か奴隷の様に言う事を聞いていたし、又聞くのが好きで、嫌な事でも聞かないと自分が納得しない、又はできない性格だった。過度のマザコンだったから。   10の内、言う事を聞かない事は0、又は1だった、。もしかしたら、やっと何とか2が奇跡的にたま〜にあった位だった。だから母もそれに協力した。           だが、案の定普通の駄菓子屋だとかお菓子屋には無かった。             「ねー、あれ一体どこに売ってるんだろうね?」                 婆さん、(私の祖母)が言った。     「本当だねー。どこにあるんだろうねー?」母も不思議そうに返事をした。      「あんた、今度聞いたら?」       「駄目、聞いたけど絶対におしえてくれないの。」                 「フーン、随分意地が悪いんだね〜。」   その子は私より一つ年上だったが、そうやって勿体ぶって、偉そうにしてくれるのが好きだったのだ。              だがある日私とその子は喧嘩をした。その時に、その子は得意そうにそれをもうくれないと嬉しそうに叫んだ。          とにかく、よくは覚えていないが、その子は喧嘩をすると直ぐに手が出る子だった。女だが割と乱暴な子だった。         だから、結局喧嘩をしたら、互いに切り傷だとかアザががついたりした。それで、その子の母親が喧嘩のことが分かり、うちへ後から、謝りに来たのだ。その子も従えて。             

それで母も(互いに)謝り、その時にそのお菓子について、普通のお菓子屋には置いてないし、言っても分からなかったりしたから、一体どこにあるのかと聞いてみた。    するとその母親が言った。        「あぁ、あれは中華街にあるんですよ。あれは中国のお菓子だから、中華街で買ってるんですよ。」               「あぁ!だから無いんですね?」      母も納得した。             考えたら確かにそうなのだ。だが、うっかりして分からなかった。          その子は母親が日本人で、父親が中国人だったから、普段は日本語を使っていたし、見た目も東洋人だから、そんなことを思わなかったのだ。                そしてその母親は、嫌がる自分の娘をきつく叱りつけながら、そのお菓子をスカートのポケットから出させた。その子はそれを二本持っていた。               その形はコインの筒の様だった。10円だとか100円だとかのコインを束ねた筒だ。 そして、お金と同じ様に一枚ずつ(薄いから何枚もまとめて食べたりもするが!)取って食べる。                とにかく、その一枚は薄いコインの様だし、同じ様な大きさだった。         そしてその母親は、その筒状のサンザシのお菓子の一本で、新しくてまだ封が空いていない方を私へとくれた。          それを見てその娘が泣き叫んで嫌がった。 「嫌だ~っ!!」             顔がしわくちゃの猿の様になって、何度も叫ぶ。だがその母親も、物凄い剣幕で子供を叱りつけた。              「駄目だょ、あげるんだよ!!」     「嫌だ〜っ、あげるの嫌だ〜っ!!」    まだ小学校低学年だから仕方がないのだろう。だがその母親はその泣き叫ぶ娘の腕を掴むと、私や母にニコニコと笑いながら、又謝り、その娘を無理矢理に引っ張って帰って行った。                 その子は喧嘩すると凶暴性があり、かなり打った跡や切り傷ができたからだと思う。  一つ年上で背も割と高かったし、年上の男の兄弟も何人もいたから、もしかしたら余計そうだったのかもしれない。        私はと言うと、12、3歳になる迄はどちらかと言うと背はそんなに高く無かったし、結構痩せていた。正直、クラスで一番体重が軽かったりした事もある。          だから、ちゃんとに食べているのだが、近所の人にはよく祖母が言われていた。    「この子、食べないんでしょう?全然食べないんでしょう?うちの子供なんて凄く食べるから。もう、凄く食いしん坊で困っちゃうのよー。」等と。              すると祖母は必ずこう言っていた。    「いいえ、食べるんですよ。ちゃんとにご飯なんかお替りして、しっかり食べてるんですよー。」                 すると皆、とても驚いていた。      何故そんな風に思われていたのか?答えは簡単だ。                 私が小さな時には、家事を全て任されていた祖母は、自分が好きな料理しか作らなかったのだ。ずっと何年もそうだった。     後からは、母と(やっと)ひと悶着あり、それでやっと他所の子供同様に油っぽい料理、ハンバーグや唐揚げ等が食べられる様になったが。                 その前には焼き魚や煮魚、刺し身に、冬場はおでん位しか家の中では食べられなかったから。(後に祖母は洋食やそうした料理を大好きになる。作り出してからは。)      カレーもたま〜にあったが、カレーやスパゲッティは基本デパートの食堂で母と食べていた。昔は皆、デパートで食事をするのがかなり一般的だった。(コンビニは無いし、テレビは白黒、背の小さなツードアの冷蔵庫が当たり前の時代だったのだから…。)     とにかく、そうした訳で、太らない料理ばかりだったのだ。そして、大根の味噌汁がよく出た。沢庵もだ。            この,大根と言うのは殆どが繊維で非常に消化が良い。便通が良くなる。       だから、他所の若い母親が作る料理とは、最初はかなり違ったので、凄く痩せていたのだ。(痩せていたと言っても、栄養失調の様に痩せていた訳では無いが。)       とにかく、そうしてもらったこのサンザシのお菓子を母と食べた。祖母も勿論食べたと思う、食い意地の張った婆さんだったから。 そして母は、甘い物が3度の飯より好きで‼、食事はもし朝昼晩甘い物であってもそれさえあれば平気な女だったから、美味しいと何度も言って驚いていた。確かそんな風だった。             

このサンザシのお菓子には、そうした思い出がある。                去年だが、中華街で同じ物を買って食べた。そして今日食べているのは、同じ味だが、筒状の物ではない。            犬のジャーキーで、小さく切ったヤツがある。長さが7センチ位の短いヤツで、四角くく、角があるヤツだ。これもそんな感じの形だ。味は同じだが。           とにかく、これを食べている。      酒にも合う!!             お菓子専門店に、ドライフルーツと一緒のコーナーにあって、百円ショップヘ行く過程でこのお菓子屋があり、何の気無しに入って見つけたのだ。            あ〜、ある?!嬉しいな。高くないし。 (高ければ、好きでも買わないからね!笑)

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