第12話 真実への扉

自分で言うのも何だが、僕は小心者だ。それに俗物だ。

 あの日の帰り道に改めてそう思った。

 

 図書室を出た後、僕は白石といっしょに帰れるという僥倖に恵まれた。家の方向が同じということが分かったからだ。

 燃えるような夕焼け空の下、僕たちは隣り合わせに歩いていた。


 僕の言ったことに白石が反応する。白石が言ったことに僕がツッコミを入れる。すると彼女は嬉しそうにクスクスと笑う。

 それはまるで夢のような時間だった。永遠に続けばと願うほどに。


 時折、僕を見つめる白石の頬は朱に染まっているように見えた。それが照れなのか夕陽に当てられてなのかは分からない。


 会話の応酬が一段落つき、沈黙が降りる。

 話と話の継ぎ目の時間。

 僕はそのタイミングを見計らってぼそりと呟いた。


「……そういえば。白石さん。僕たち随分と作品の趣味が合うね。お互い同じ作品ばかり借りてたなんてさ」

「えっ!? 何でそれを……!?」

「ああ。ごめん。司書さんに貸し出しカードを見せて貰ったんだ。そしたら僕と同じ作品を借りてたものだから」


 僕は言った。


「でも、あんなに完全一致してるなんて思わなかったよ。僕が借りた後、すぐに白石さんが同じ作品を借りてたし」


 白石の首筋にたらーっと一筋の汗が落ちた。表情がギクシャクと強ばっている。


「じ、実はね? 私も守谷くんの貸し出しカードを勝手に見ちゃったの。守谷くんの本を選ぶ目は確かだって信頼があったから」

「なるほど。だけど、良かったの? 僕の好みより、その相手の人の好みの作品を読む方が話は合わせやすいような……」


 僕は尋ねた。探りを入れるために。


「もしかして、その人の好みが僕と近いとか?」

「え!? ――う、うん! そうそう! 偶然だよね! その人が好きな作家さんは守谷くんとほとんど同じみたい!」

「そ、そうなんだ。へえ」

「世の中には似た顔の人が三人はいるって言うけど、全く同じ本の嗜好を持った人も三人くらいはいるのかもしれないね。ふふ」

「…………」


 それ以上は何も訊けなかった。


 ――もしかしてだけど、その相手って僕じゃないよね? 


 喉元までせり上がってきた言葉は自意識に押さえ込まれてしまう。

 だってそうじゃないか。

 意中の相手が僕かどうかを尋ねて、『違うよ?』と答えを返された日には、僕はとんだピエロに成り果ててしまう。


『……私、守谷くんはそういう勘違いとかしない人だと思ってたのに。がっかり。所詮は他の男子と同じだったんだね』


 そう言われてしまうかもしれない。


こういう時、自分に自信のある男子ならズバリ切り出せるのかもしれない。


『もしかしてお前、俺のこと好きなんじゃね?』


 みたいな感じで。

 もし違っていたとしても冗談として笑って流せる。

 だけど僕は違う。

 冗談を言うようなタイプではないから。本気だと受け取られてしまう。


 それに女子が僕に恋愛相談をするのは、僕のことを異性として見ていないからだ。故に何でも明け透けに話すことができる。

 僕が下心を見せてしまったら、相手は引いてしまう。

 うわ……こいつワンチャンあると思ってるじゃんと。

 そんな相手に今後も恋愛相談をしたいと思うだろうか。否。今まで積み上げてきた信用は一気に失われてしまうだろう。


 白石と僕は相談者と聞き役という関係だ。

 クラスメイトではあるが、普段属しているグループは違うし、本来こうしていっしょに下校できるような間柄じゃない。


 僕は嫌だった。僕たちの関係が終わってしまうのが。

 白石といっしょにいるのは楽しかった。

 好きな小説の話についての話をしている間は夢中になれた。

 ずっとこの時間が続けばいいと心から思えた。

 だから、僕たちの関係をハッキリとさせようとした結果、今までのような関係でいられなくなることが何よりも怖かったんだ。


 シュレーディンガーの猫の話と同じだ。

 観測することによって結果が確定してしまうのなら、僕は悪い結果を招かないためにもずっと箱を開けずにそのままにしておく。


 白石が僕を見る時の表情――頬に朱が混じるのは、僕が意中の相手だからなのか、ただ単に夕陽に当てられてなのか。

 僕はその答えを直接尋ねたりはしない。

 ただ、今後も探っていこうとは思う。

 白石の意中の相手というのが僕なのか。全く別の男子なのか。

 僕はうぬぼれていただけなのか、それとも真理を突いていたのか。


 こちらの気持ちは悟られることなく、白石の意中の相手が百パーセント僕であるという確信を得た時にどうするかを考えよう。

 それが小心者かつ俗物の僕にできる精一杯だ。

 

 ☆

 

 ああ。やってしまった……!


 守谷くんと別れ、家に帰ったところで私は頭を抱えた。

 自分の部屋のベッドに飛び込むなり、枕の中に顔を埋めた。そして自らの失態を脳裏に思い起こしながら両手足をバタバタとさせる。


「うぅ……! 千載一遇のチャンスだったのに……!」


 二人きりの帰り道。

 何と守谷くんの方から探りを入れてきてくれた。

 答えの一歩手前のところまでたどり着いていた。

 後もう一押し。

 後もう一押しで真実への扉を開くことができていた。


 なのに。なのにっ……!


 あろうことか私が守谷くんを遠ざけてしまった。


 ――世の中には似た顔の人が三人はいるって言うけど、全く同じ本の嗜好を持った人も三人くらいはいるのかもしれないね。


 何であんなことを言ってしまったんだろう……?

 守谷くんとは違う人だよ? という感じを出してしまった。

あれさえなければ、


『もしかしてだけど、白石さんの好きな相手って僕のことじゃないよね?』という言葉が出ていたかもしれないのに。

 そうすれば後は簡単だ。

『……ふふ。だとしたらどうするの?』

と私が仄めかすように言う。


 それはサッカーで言うところの、ゴール前にフリーでボールを転がすようなもの。

 もしそこで守谷くんの中に私への好意があったならば、その好機を逃さずにシュートを放ってくれていただろう。

 ディフェンスもゴールキーパーもいないし、ゴールポストはピッチの端から端まで拡張していたからまず間違いなく入っていた。

晴れてゴール。私たちは恋人同士になれていた。


「……でも。まだ終わったわけじゃない。諦めたら試合終了だしね。守谷くんに気づいて貰うチャンスはあるはず。うん」


 ちなみにこちらから告白するという選択肢はやっぱりありえない。

 だって、失敗した時が恥ずかしすぎるから。


 それに、守谷くんが私は気があった場合は、意中の相手に対して恋愛相談をしていたというのは好意的に捉えられるかもしれないけれど。

 もし守谷くんが私に気がなかったのなら。


『えっ。何それ。怖い……』


 と引かれてしまうかもしれない。

 そうなればもう立ち直れない。

 たぶんショックで不登校になる。

 だから、私の意中の人が守谷くんだということをそれとなく気づかせ、向こうから告白してくるように仕向けないと……!

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