第26話 模擬デート
模擬デート当日。
僕は日が昇るよりも前に目が覚めていた。
というか、厳密に言うのなら、昨日から一睡もできていなかった。
読んでいた小説が面白くて徹夜したとかならまだ格好もついただろうが、実際のところはデートのことを考えて眠れなかった。
デートの経験がない白石のために一肌脱ぐと偉そうに言った僕だけど、僕自身もデートの経験は一度たりともない。
第一、この年まで恋人がいたこともないのだ。
それなのにしれっと付き合うなんて言ってしまったものだから、そつなく恋人役をこなせるように色々とシミュレーションをした。
ネットでデートについての情報を調べたり、片っ端から恋愛小説を読み返した。
とある文豪の小説では男がスマートに女性をバーで口説いた後、水が上から下へと流れるように自然にベッドインしていた。
何の参考にもならないと思った。
……そもそも模擬とは言え、僕と白石さんがデートするというのがまずおかしい。余りにもつり合わなさすぎるだろ。
それは今更考えても詮無きことだったので、思考に蓋をした。
とにかくやるしかない。
今の僕にできるのは彼女より先に待ち合わせ場所に着いて待たせないことだ。時間だけは絶対に順守してみせる。
ということで、一時間前に駅前へとたどり着いた。
さすがに早く来すぎた。
これだと、僕がめちゃくちゃ楽しみにしているみたいじゃないか。
……いやまあ、嘘ではないんだけど。人生初めてのデートだし。しかも相手が学校一の美少女とくれば舞い上がるのも無理はない。
彼女はまだまだ来ないだろうし、近くの喫茶店にでも入って時間を潰そう――と思った僕の視界に見覚えのある人影が映った。
駅前の噴水の傍に所在投げに立っているのは――。
白石さん……だよな?
僕が目を凝らすと、向こうも僕に気づいたようだ。
口元に手をあてがい、びっくりしたように目を見開いている。その仕草を見て、彼女が白石であると確信を持った。
……どうしてこの時間に? まだ待ち合わせの一時間前だぞ?
目が合った手前、無視するのも変なので、彼女の元へ歩み寄る。
「おはよう。白石さん」
僕は恐る恐る声を掛けた。
「う、うん。おはよう」
白石もおずおずと返してくる。
何だか互いにぎこちない。
一応デートという手前、妙に意識してしまう。
「えっと。もしかして僕……集合の時間を間違えてた? 確かラインでは朝の十時に駅前に集合だって言ってた気が……」
「合ってるよ。十時に集合」
「でも今、まだ九時だけど」
「…………」
白石はしばらくフリーズした後、思い立ったように、
「遅刻したらいけないと思って、早めに家を出たの。人を待たせるのはいけないっていうのが白石家の家訓だから」
「そ、そうなんだ」
「だから、今日のデートが楽しみすぎて、ついつい早く来すぎちゃったとか――そういうことではないからね?」
「あ、ああ」
「――あっ! だけど、楽しみではないわけではないよ? 時間に直すと十五分前に来るくらいは楽しみだったから!」
よく分からないフォローをしていた。
というか、十五分でも、まあまあ楽しみにしているような気がするけど。
白石は気を取り直すためか、一度こほんと咳払いをする。
「……守谷くんはどうしてこんなに早く来たの?」
「僕もまあ、白石さんと同じような理由だよ。待たせるのは悪いし。後、今日のデートを楽しみにしてたから」
「えっ!?」
白石は驚きに目を見開いていた。
「守谷くん、今日のデート、楽しみにしてくれてたの?」
「あれ? 僕、変なこと言ったかな……?」
「ううん。そうじゃないけど!」
白石は慌てて取り直すように言うと、
「へえー。そうなんだ。ふうん。守谷くん、楽しみにしてくれてたんだ。えっへへ。そう言って貰えると嬉しいなあ……」
頬に手をあてがい、身体をくねくねとさせていた。
表情はデレデレに緩んでいた。
まるで喜びを抑えきれないというような……。
こんな仕草を見せられたら、本命の相手も一瞬で心を撃ち抜かれるだろう。
実際、僕はそうなりかけていた。
「……守谷くんの目の下にクマができてるのは、もしかして、今日のデートが楽しみで眠れなかったからだったり?」
「まあ。そんなところかな」
僕は首筋を掻きながら言った。実際は楽しみより緊張の方が勝っていたけれど、それを告げるのは恥ずかしかった。
「ふふっ。遠足前の子供みたい」
白石はくすっと笑みをこぼすと、
「でも分かるよー。私もそうだったもん。全然寝られなくって。ファンデーションでクマを隠すの大変だった」
「えっ?」
「――あっ。ううん。こっちの話!」
……白石さんも僕と同じく今日が楽しみで寝られなかったのか? それともフォローのために言ってくれたのか?
真意は分からない。
「それよりどうかな? 今日の私の私服。似合ってる?」
白石はおずおずと尋ねてきた。
改めて白石の私服姿を眺める。
白を基調としたフェミニン系のコーディネイト。
僕はファッションには疎いので服の詳細は分からないが、花柄やレースをあしらいまさに清楚という印象を受けた。
「めちゃくちゃ似合ってると思う」
僕は思ったままのこと言った。
「めちゃくちゃ可愛いと思う」
「ふふっ。守谷くん、めちゃくちゃって二回言ってる。それに読書家とは思えない語彙力になっちゃってるし」
白石はくすっと笑うと、花が咲くように表情を和らげた。
「でも、よかったあ。気に入って貰えて。すっごく悩んだから。守谷くんに喜んで貰おうと頑張った甲斐があったよ」
……おいおい! いくら何でも可愛すぎるだろ!
私服姿と言い、言動と言い、えげつない破壊力だった。
これを喰らった世の中の男子は全員白石の虜になるだろう。
僕も完全にやられてしまっていた。
一瞬、模擬だということを忘れてしまいそうになる。
しかも、まだデートは始まったばかりだ。今日が終わるまでに、果たして正気を保っていられるかどうか不安になった。
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