第17話 教科書を忘れる
珍しいことがあった時。
例えば普段、ケチで有名な人が急に高級な差し入れをしたりしたら、明日は雨が降るんじゃないかと言われたりする。
それで言うと、明日は雨が降りそうだなと思った。
なぜか?
「先生。すみません。教科書を忘れてしまいました」
二時間目の数学の授業。
白石が教科書を忘れてしまったと宣言したからだ。
僕も含めたクラス全員、ついでに教師も驚いていた。
白石がこれまで教科書や宿題等を忘れたことは一度もなかったから。
「白石。もしかして具合が悪いのか? 熱でもあるんじゃないのか? それなら遠慮せずに保健室に行った方がいい」
数学教師の藤沢が狼狽したように進言してきた。
彼は普段、忘れ物をした生徒には非常に厳しい。
『社会人になったら通用しないぞ』と生徒を立たせて長々と説教したりする。しかし白石相手には怒りより心配が勝つようだった。
「いえ。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そ、そうか……。ならいいが」
藤沢先生は納得したように頷くと、
「まあ、弘法にも筆の誤り。釈迦にも経の読み違いと言うしな。白石がうっかり教科書を忘れてしまうこともあるだろう」
確かに珍しいことではあるけど、そこまでか?
弘法大師や釈迦と並び立つレベルなの?
まあ、白石は一部の生徒からは女神様として崇められているから、あながち大げさではないのかもしれないが。
「だが、このままだと授業を受けられんな……。仕方ない。白石は隣の席の生徒に教科書を見せて貰ってくれ」と藤沢先生が言った。
白石が隣の席の生徒――つまりは僕の方を向いた。両手を合わせると、お願い、というポーズを作って上目遣いをしてくる。
「守谷くん。教科書、見せて貰ってもいい?」
「あ、ああ。もちろん」
「ありがと。助かっちゃう。じゃあ、机をくっつけさせて貰うね」
白石は自分の机を僕の机へとくっつけてきた。
互いの机が地続きになる。
ちょうど接合部となる位置に僕は教科書を開けて置いた。
「うーん……。ちょっと字が小さくて見づらいかも。もう少し寄るね」と言うと、白石は僕の方にぐいっと身を寄せてきた。
――ええっ!?
「ふふっ。これでさっきより見やすくなった」
白石はくすりと微笑みかけてくる。
肩と肩とが触れあうほどの距離……。
というか、軽く触れてしまっている。
「み、見にくいのなら、もうちょっとそっち側に教科書を寄せようか?」
僕は教科書を白石の方に寄せようとする。しかし、教科書に伸ばそうとした手を、白石の手が覆い被さるようにして止めた。
「ダーメ。それじゃ守谷くんが教科書を見られなくなるもの。……それとも、守谷くんは私が傍にいるのは迷惑……?」
「い、いや。別にそんなことは……」
「なら。このままでいいよね」
白石はにこりとイタズラっぽく微笑むと、僕の方にまた少し寄ってきた。
右腕を通して彼女の身体の熱が伝わってくる。
隣をちらりと見ると、すぐ傍に白石の端正な顔立ちがあった。形のいい綺麗な耳に髪を掛ける仕草にドキリとした。
……やっぱり、めちゃくちゃ可愛いな!?
改めてそう思い知らされる。
こんな美少女が僕のことを好きだなんて土台あり得ない話だろ。自分がとんでもない自惚れ屋のような気がしてくる。
「くそっ! 守谷の奴。何て羨ましい……!」
「俺も白石とあんなにくっついてみたいぜ……!」
「白石の隣の席に座れるのは最高だよなあ。次の休み時間、守谷を殺して皮を剥いで奴に成り代わってやろうかな……」
クラスメイトたちからの怨嗟の声が聞こえてくる。
後、若干一名、サイコパスがいた。
ただちに別教室へと隔離して欲しい。
「あ、そうだ。守谷くん。シャーペンと消しゴムも貸して貰っていい? 今日、うっかりしてて持ってくるの忘れちゃって」
「え? でも、通学カバンの中に筆箱が見えてるけど」
僕は視線を白石の机の横に掛かっている通学カバンへと向けた。空いたファスナーの隙間からは筆箱が覗いていた。
「――ふ、筆箱は持ってきたんだけど、中身は忘れちゃったの!」
そんなことある?
僕は思わずツッコミそうになった。
――と、その時にふと閃いた。
これはもしかして、この前の相談を実践しているのでは?
僕は彼女にもっと人に甘えたり頼ったりしても良いのではと助言した。そうすれば周りの人も親近感が湧くのではないかと。
僕が白石の意中の相手だからか……? それとも実験台としてか……? 考えても彼女の真意を汲み取ることはできない。
ただ、このままだと白石がノートを取れないのは事実だ。
「それじゃ。これを使ってよ」
僕は白石にシャーペンと消しゴムを手渡した。
手持ちの中で一番高くて良いモノを貸すことに。
安くてボロいものを貸すのは恥ずかしいという見栄だ。
「ありがとう♪ 大切に使わせて貰うね」
白石はにこやかに受け取ると、僕の貸したペンを使ってノートを取る。
……白石さんが僕のシャーペンと消しゴムを使ってる! うわあ! しかもシャーペンのキャップの部分を口元に当ててる!
白石が考え込む時の癖なのかもしれない。
「んー」と言いながら、口元にシャーペンのキャップを当てていた。
その仕草はとても可愛らしかった。
……つい見とれてしまって、全然授業に集中できない!
「よーし。じゃあ。ここの問題を解いて貰うぞ。そうだな。さっきから挙動不審の守谷に答えて貰うとするか」
――当てられてしまった!
僕は白石に意識を取られていて、全く授業を聞いていなかった。
……マズいな。藤沢先生は答えられなかった生徒に厳しい。聞いてませんでしたと口にすれば放課後に補習を受ける羽目になる。
「……守谷くん。答えは三だよ」
白石がぼそりと僕に対して耳打ちをしてきた。
――えっ?
「……えっと。問二の応えは三です」
「おお。正解だ。やるじゃないか。てっきり授業を訊いてないと思ってたが。次のテストの結果が楽しみだな」
「はは……」
――た、助かった。
何とか乗り切ることができたらしい。
隣を見ると、白石がぱちりとウインクしてきた。さすが学年首位の優等生。こんなにも心強い隣人は他にいないだろう。
……隙があるように見えても、やっぱり完璧美少女だ。
☆
(ふふっ。守谷くんのことをアシストしちゃった♪
私のこと、頼もしいって思ってくれたかな……?
――って、そうじゃない! 本当は隙のあるところを見せないといけないのに! 抜け目ないところを見せちゃった!?
……いやでも、守谷くんのことは放っておけなかったし。答えられなかったら放課後に補習を受けることになってたもん。
それにまだ甘えるチャンスはあるはず……!)
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