第22話 体育の授業

ホイッスルの音が鳴り響いて、サッカーの試合が終わった。

 僕は着ていたゼッケンを脱ぐと、後半に出場する生徒へと手渡す。


「守谷。お疲れ。……めちゃくちゃ疲れてんな?」

「まあ。普段から運動はほとんどしないから……」


 十分もフルで走っていると、息も絶え絶えだ。

 改めて部活をしている連中は凄いなと尊敬する。

 僕は肩で息をしながら、校舎とグラウンドとを隔てる石階段へと腰掛けた。

 そこからグラウンドの方を見やる。


 体育の授業。

 男子がサッカーをしている傍らで、女子は持久走をしていた。

 体操着姿の女子たちが円形のトラックを走っているのを、すでに出番を終えた男子生徒たちが鼻の下を伸ばして眺めている。

 取り分け皆の視線を集めているのは白石だった。


 背筋の伸びた美しいフォーム。

 すらりとした足が瑞々しく躍動している。

 他の女子を大きく引き離してぶっちぎりのトップをひた走っていた。

 男子生徒たちは感嘆混じりにその様を眺めている。


「白石。相変わらずスゲえなあ。陸上部相手にも大差で勝ってるぜ。友江なんかもう二周遅れになってるし」

「あれだけ全力で走っても顔が崩れないんだもんなあ。三百六十度、どの角度から見ても美少女なんて化け物だぜ」

「白石の汗をシャワーのように浴びたいもんだぜ。もしくは白石の汗で炊いた白米をガツガツと掻き込むのも乙だな」

「俺はあの太ももに顔を挟まれたまま絶命したいぜ」


 とんだ俗物の集まりだった。

 まあ、思春期の男子なんて皆こんなものかもしれない。

 サッカーの試合で疲れている分、検閲のフィルターがバカになってるから、思ったことをすぐに口にしてしまうんだろう。 


 ……いや。普段から結構言ってるよな。こいつら。


 ともあれ、白石は雲の上の人なのだと改めて思い知らされる。

 あんな完璧美少女と僕が関わりを持っているのが奇跡なのだ。


 皆が白石に注目する中、僕はその遙か後方――猫背になりながらダラダラと徒歩に近い速さで走っている友江に目を向けた。

 牛歩という言葉がよく似合う。

 いかにもやる気がない、その場しのぎという走り方だ。

 褒められた態度ではないが、授業に出てきているだけマシだ。普段は保健室に仮病で転がり込んでサボっているから。

 たまには出ておかないと単位がヤバいと危機感を抱いたのだろう。

 体育の単位を落としたら地獄のような補習が待っている。放課後、教師の叱咤激励の元に延々とグラウンドを走らされるのだ。

 その様はフルメタルジャケットの名シーンを彷彿とさせるという……。


「はひー。はひー。だるー」


 結局、友江はぶっちぎりのビリでゴールした。

 体育教師に何か苦言を言われているようだ。

 友江は右足の先っちょで、左すねを器用にポリポリと掻きながらあくびを漏らす。それがまた更なる教師の顰蹙を買っていた。

 授業終了のチャイムが鳴り響き、生徒たちが散り散りになっていく。


 ……サッカーの試合ではあんまり活躍できなかったからな。せめて用具の片付けくらいはしておくとするか。


 僕はサッカーボールの入ったカゴを体育倉庫に押して運ぶ。

 その姿を目ざとく見つけた友江が駆け寄ってきた。


「守谷~。ついでにこれも載せていって」


 友江は手に持っていた持久走のタイム計測器をカゴに入れてきた。たぶん、体育教師に後片付けを命じられたのだろう。


「おい。カゴに乗って楽しようとするなよ」

「子供の頃、スーパーのカートの下の部分に乗ろうとしたことあるでしょ? 私はあの頃の童心をまだ忘れてないだけだよ」

「嘘つけよ。自分で歩きたくないだけだろ」

「守谷は疑い深いなあ。信じる者は救われるらしいよ?」

「友江がいなかったら、もう少し素直なままでいられたよ」

「良かったね。詐欺とかに引っかかりにくいじゃん」

「凄い手のひらの返しようだな。モーターでもついてるのか?」


 僕はため息をついてから、結局は友江の乗ったカゴを押すことに。

 離れた場所にある体育倉庫へとやってくる。倉庫内は薄暗く静まり返っていた。明かり取りの窓から差し込む光が、舞い散る埃を照らし出す。

 奥にある定位置へとサッカーボールの入ったカゴを戻した。


 友江の姿が見当たらない……。どこに行ったんだ?


 見ると、傍に置かれたマットの上に仰向けになっていた。まるで操り糸が切れた人形のようにぐでんと脱力しきっている。


「おい。友江。戻るぞ」

「えー。もうちょっと休憩してからー。疲れた」

「疲れるほど運動してないだろ……。早くしないと着替える時間なくなるぞ。次の授業は移動教室だっただろ」


 あんまり遅れると間に合わなくなってしまう。


「しんどー。ねえ。守谷。サボらん?」

「サボらん。……はあ。僕は先に戻ってるからな」


 僕は友江に見切りをつけると、踵を返して体育倉庫を出ようとする。だが、並んだ用具の陰から出ようと思った時だった。


 ガシャン。

 体育倉庫の扉が閉まる音がした。


「――えっ!?」


 振り返った。

 さっきまで空いていた体育倉庫の扉は閉まっていた。

 僕は弾かれたように入り口の扉の元へと駆けつける。恐る恐る扉に手を掛け、引こうとするが岩のようにビクともしない。

 何度も開けようとする。やっぱり開かない。


「守谷。どしたん?」

「……マズいことになった。体育倉庫の中に閉じ込められた」

「おおー。合法的にサボれるね。やったじゃん♪」


 僕の焦りとは裏腹に、友江は能天気な声を上げていた。


「誰か! 誰か外にいないか! ――むぐっ」


 僕が扉の外に呼びかけようとすると、後ろから友江に口を塞がれた。

 声が籠もって潰れてしまう。


「まーまー。そう大きな声を出さなくても。落ち着いていこうよ」


 こ、こいつ……! 

 サボりたいからって、僕の邪魔をしようとしている……!?


 キーンコーンカーンコーン。


 その内、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 次の時間はどのクラスもグラウンドでの体育の授業はしない。その上、ここは校舎から離れた位置にあるから近寄る人はいない。

 完全に閉じ込められてしまった。

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