第2話 喫茶店にて

「タックルをしてしまって、申し訳ございませんでしたッ!」


 僕は向かいのお兄さんに向かって深々と頭を下げた。

 モダンな雰囲気の喫茶店。その奥の席に僕たちは陣取っていた。僕の向かいには白石とお兄さんが隣り合って座っている。


「守谷君、ムリもないよ。お兄ちゃん。こんな怖い顔してるし。それが私みたいな可愛い子の手を引こうとしてたら、そりゃ人攫いにも見えるって」

「おい真奈。お前が美少女だという点に異論はないが、人攫いは酷いだろ。これでも普段から笑顔を心がけてるんだぜ?」


 お兄さんがにいっと笑った。

 側を通りかかった若い女性がギョッとした。

 子供がワンワンと泣きじゃくる。


「ちょっとお兄ちゃん! 般若のお面みたいだから! 笑顔しまって!」

「お、おう……」


 白石が咎めると、急いで笑みを引っ込めた。怖さが少しマシになる。だが、百倍だった激辛が五十倍へと戻った程度。一般人にとってはどちらも劇物だ。……というか、笑顔をしまうって表現を初めて聞いた。


「えーっと。二人は本当に兄妹なんですよね? 連れ子とかじゃなく」

「当たり前だオラァ! 俺と真奈は血が繋がった家族だ! てめえ! 妙な言いがかりをつけるとタダじゃおかねえぞ!?」

「こらお兄ちゃん! 守谷くんの胸ぐらを掴まない!」

「ちっ……! 命拾いしたな」


 胸ぐらから手を離されて、僕はすとんとソファに尻をついた。

 ……危うく漏らしそうになった。

 近くで見るとめちゃくちゃ怖い。金髪のオールバックに大きなピアス。研ぎ澄まされたナイフのような鋭さがある。一見すると単なるチンピラだ。

 しかし、白石曰く、目の前の強面は本当に兄のようだった。


 彼――白石迅は近くの工業高校の番長的な存在であり、引き連れていた男子生徒たちは彼の舎弟ということらしい。

 お兄さんは妹のことを溺愛しており、一人で家に帰るのは危ないからと舎弟たちと送り迎えをしようと駆けつけていた。

 けれど当の白石は嫌がっていた。問答しているところに僕が通りかかり、襲われていると勘違いして助けに入った――と。

 事の真相としてはこんな感じだ。


「もう。お兄ちゃん。送り迎えとかホントに止めてよね。迷惑だから。家に帰るくらいは一人でもちゃんとできるから」

「お前にもしものことがあったらと思うと居てもたってもいられねえんだ。妹を守るのが兄としての役目だからな」

「そういうのが迷惑だって言ってるの」


 白石は隣のお兄さんにジト目を向ける。


「……私、知ってるんだからね。この前、お兄ちゃんがクラスの子たちに私のことを色々と聞き回ってたって」

「ギクッ! なぜそれを……?」

「忠告されたもん。白石さんのことを嗅ぎ回ってる怪しい人がいるって。『白石さんに手を出してないか』とか聞きまくってたんでしょ。……私、止めてって言ったよね? これじゃ中学時代の二の舞じゃない」

「中学時代に何かあったの?」と僕は尋ねた。

「てめえには関係な――むぐっ」

「お兄ちゃんは黙ってて」


 白石はお兄さんの口元を手で制すると、僕に向き直った。


「この人は私が中学生の頃、クラスの子を一人一人呼び出して、私のクラスメイトにふさわしいかを判断するために尋問に掛けたの。おかげで皆、すっかり萎縮しちゃって。私の周りには誰も寄りつかなくなっちゃった」

「うわあ……。それは確かに近づきがたい」


 お兄さんに詰められるリスクを考えると皆離れていくのもムリはない。凄まれると本当に命の危険を感じてしまうほどなのだ。

 過保護が招いた悲劇だと言えるだろう。


「ろくでもない奴が真奈に近づこうとしてる可能性もあるからな。可愛い妹が害虫に食い荒らされるのは阻止しねえと」

「いや、害虫に食い荒らされるって……。白石は果物か何かですか」

「おおよ。さしずめ真奈はピーチってところだな。つやつやで瑞々しい。後、真奈の尻の形的にもちょうど――」

「……お兄ちゃん? ここで朽ち果てたいの……? 別に私は良いんだよ? 一人っ子として生きていくことになっても……!」

「す、すまん! 口が過ぎた!」


 お兄さんはテーブルの上にひれ伏していた。

 笑顔の白石の背後からはどす黒いオーラがゴゴゴと立ち上っていた。お兄さんに負けず劣らずの超迫力だった。覇気だけで失神させられそうだ。

 ……そうか。白石はお尻が魅力的なのか。けれど、うっかり口にしようものなら僕まで消されてしまいそうだ。黙っておかないと。


「第一、お兄ちゃんに付き合う人をどうこう言われる筋合いなんてないし。私が誰と友達や恋人になろうと勝手でしょ」

「だ、ダメだダメだ! 友達は一億歩譲って誰と付き合うが不問にしよう! だが、恋人はさすがに看過できん!」


 お兄さんは狼狽しきった様子で訴える。


「お前がどこの馬の骨とも知れない、ちんけな男に引っかかったらと思うと――俺は心配で夜しか満足に寝られねえよ!」

「充分じゃない。お兄ちゃん。授業中に居眠りするのとか止めてよね。高校で留年したらシャレにならないから」

「だいたい、世の中には気概のない男が多すぎる! 今日だって、校門前で揉めていた俺たちをどいつもこいつも遠巻きに眺めているだけだった! ビビった顔をして、我関せずと言った態度だっただろ! ああいう腑抜けた男が真奈の恋人になってみろ! 肝心な時に守れねえじゃねえか!」


 お兄さんは熱弁を振るうと、渋々というふうに僕を見た。


「その点――守谷だったか。お前は見た目こそなよっちいが、気概はあるようだ。そこは褒めてやってもいい。タックルはまだまだだけどな」

「はあ……。どうも」


 まさか褒められると思っていなかったので驚いた。後、別にタックルの威力に対しての向上心とかは特にない。


「へえー。お兄ちゃんが私以外の人を褒めるなんて珍しい。もしかして、守谷くんのことを気に入ったとか?」

「別に。他の腑抜け共よりはマシだと思っただけだ」

「素直に気に入ったって言えばいいのに。――じゃあさ。守谷くんとなら恋人になっても許してくれる?」

「「はあ!?」」


 僕とお兄さんは同時に声を上げていた。


「気概のある人なら恋人になるのを認めてくれるんでしょ? なら、守谷くんはその条件を満たしてると思うけど?」

「守谷。てめえ……!」

「違いますよ! あくまでも白石は例えとして僕の名前を出しただけですって! だから他意はないですって!」

「んー。どうだろ。私、結構本気かもしれないよ?」

「ええっ!?」

「なーんて。冗談冗談。このくらいにしておかないとお兄ちゃん本気にしそうだし。守谷くんの身が危なそう」


 白石は飄々とした笑みを浮かべていた。手元のアイスコーヒーを飲み干す。

 お兄さんを連れて立ち上がった。


「ほら。行くよ。お兄ちゃん」

「あ、ああ。けど真奈。今のは冗談だよな? こいつのことが気になってるって。ものの例えとして出しただけだよな?」

「守谷くん。今日はありがとう。また学校でね」

「真奈! 答えてくれ。真奈――ッ!」


 お兄さんを連れた白石は会計を終えると、店から去っていった。二人といた時間はまるで嵐のようだったなと思った。

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