第29話 意趣返し

コースターから降りた後、僕は放心状態になっていた。


 ……良かった。生きて帰って来られた。


 ふらふらになりながら出口の階段を下りる。

 振り返ると白石の姿は見当たらなかった。


 どこに行ったんだろう?


 そう思っていると、遅れて階段を下りてきた。

 その手には何やら握られている。

 あれは……。


「白石さん。その写真は?」

「ここのジェットコースター、終着点で写真撮ってくれるんだって。せっかくだから一枚買っておこうかなって」


 そういえばコースターが戻ってきた時にフラッシュが焚かれていた。

 あれは写真を撮られていたのか。

 てっきり僕は眩暈がしたとばかり思っていた。


「へえ。どんな感じ?」

「見てみる? ばっちり撮れてるよ」


 白石に写真を見せて貰って絶句した。

 その写真に写っている白石は爽やかな笑みを浮かべていたが、隣に座る僕は魂が抜けてぐったりとしていた。ゾンビかな?


「今日の思い出になるよね♪」

「思い出は他の写真にしてくれないかな? それは僕に買い取らせてくれ。燃やしてこの世から存在を抹消しないと……」


 言い値で買おう。

 これは世の中に存在してはいけない写真だ。


「ダメダメ。この写真は私のお気に入りだから。普段クールな守谷くんの貴重なギャップが楽しめるんだもん」

「もうほとんど弱みに等しいよ……」

「そう? 私は可愛いと思うけどなあ」


 白石はふふっと楽しそうに微笑みを浮かべている。

 何だかしてやられっぱなしだ。たじたじになってしまう。


「白石さんって、結構イジワルなんだね」と苦笑混じりに言った。

「誰にでもイジワルしてるわけじゃないよ? 守谷くんにだけ」

「僕にだけ?」

「ふふっ。何でだろう。守谷くんの前だとつい素の部分が出ちゃうんだよね。楽しくて我を忘れちゃうというか」


 白石は笑みをこぼすと、僕の右腕に抱きついてくる。

 今日はやけに積極的だ。

 遊園地という非日常の空間がそうさせるのだろうか。


「守谷くんはもし自分の恋人がこんなふうにイジワルしてきたらイヤ? こういうことはされたくないタイプ?」

「そうだなあ……」


 僕は考えてから言った。


「悪意があったら別だけど。この場合は単なるスキンシップだから。その子が生き生きとしてるならその方が嬉しいかな」


 僕の前では自分らしくいられるってことだし。

 悪い気はしない。


「それはフリーパスが発行されたってことでいい? これから私はいくらでも守谷くんにイジワルをしてもいいっていう」

「そうは言ってない!」


 冗談まじりの軽快なやり取りを繰り広げる。

 僕たちは学校にいる時は全然立場が違う。

 かたや学校一の美少女、かたやクラスの冴えない男子。

 本来なら交わるはずのない存在だ。

 だけど、学校を一歩離れた――遊園地の中では対等でいられる。

 腕を組んだまま園内を歩いていると、前方にお化け屋敷が見えてきた。


 おどろおどろしい装飾の施されたその建物は、華やかな園内では異色を放っている。心なしか他の場所より温度が低い気がした。


「……守谷くん。あっちの方に行ってみよっか」


 白石は全身を強張らせると、踵を返そうとする。


「いや、せっかくだし、お化け屋敷に入ってみないか?」

「えっ!?」

「僕、結構好きなんだよね。お化け屋敷。ホラー映画とか小説をよく読むし。どんな感じなのか気になるというか」

「……私は遠慮しとこうかな。あんまり得意じゃないし」と言った白石の笑みはガチガチに強張ってしまっていた。

「そうなんだ」


 薄々、そんな気はしていたけど。


「けど、白石さんが意中の人と遊園地にデートをしに来たとして、お化け屋敷に入るのはかなりオススメだと思うよ」

「どうして?」

「いっしょにお化け屋敷を経験することで、吊り橋効果的に二人の仲が急接近する可能性があるからね」

「な、なるほど……」

「いきなり本番でお化け屋敷に入るより、模擬デートの段階でどんなものか試しておいた方がいいんじゃないかな」


 意中の相手のために――という言葉を使っているが、そんなのは口実に過ぎない。

 本当のところは僕が入りたいからだ。

 白石はお化け屋敷が苦手そうだから、ここらで今までの意趣返しをするのも悪くないなと思ったのもある。


「…………」


 白石はしばらく葛藤をしていたようだが。

 やがて――。


「うん。わかった」


 と意を決したかのように頷いた。

 そうこなくては。

 二人分の入場チケットを買うと、僕たちはお化け屋敷へと踏み込んだ。

 両開きの扉を経ると、そこはもうホラーの世界。

 照明は薄暗く、冷気が漂い、壁の至る所に血痕がへばりついている。


 ……雰囲気が出ていて良いなあ。


 僕は徹底された世界観を目の当たりにしてワクワクしていた。

 対する白石はと言うと――。


「……守谷くん。絶対に私から離れちゃダメだからね? 置いていったりしたら、枕元に化けて出るからね……?」


 僕の腕にギューッと縋り付いていた。

 本当にホラー系が苦手なのだろう。怯えまくっている。

 というか……僕の腕に思いっきり胸が押し当てられてるんだけど……。白石さんは全く気付いてないだろうな……。


「怖くない怖くない怖くない……!」


 白石は目を瞑りながら、ぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟いている。完全に怖いと思ってる人のリアクションだ。


「ふふ。守谷くん。私は攻略法を思いついたよ。目を瞑って、声を出して聴覚を遮断すれば何も恐れることはない――」

「うがああああああ!」


 その時だった。

 白石の声を遮るように、壁からゾンビが叫び声と共に飛び出してきた。


「きゃあああああああ!?」


 白石は打てば響く百二十点満点のリアクションをしていた。

 ムギューッ!

 僕の右腕に白石の胸が押し付けられる。柔らかくて、温かい。こっちが気になりすぎてゾンビどころではなかった。


「リア充コロス……!」


 ゾンビは僕たちを見て呻くように呟いていた。

 ゾンビはゾンビでも、青春ゾンビのようだ。

 しばらくゾンビは「カノジョホシイ……! セイフクデートシタカッタ……」と呪詛を吐いた後に引っ込んでいった。


「ふう……引いたか」


 僕は額の汗を拭う。ちょっと向こうに同情してしまった。


「白石さん。大丈夫?」


 傍らの彼女を見やると、尻もちをついたまま沈黙していた。


「もうゾンビはどこかに行ったよ。先に進もう」

「う、うん……」


 白石は立ち上がろうとして、すとんともう一度尻もちをついた。僕を見上げると、呆然としたような表情を浮かべる。


「あ。腰が抜けちゃった……」


 ええ……。

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