第23話

 真白達が永遠湖と行動を共にするようになって四日。

 永遠湖はすっかり打ち解け、真白も友達が出来たと喜んだ。

 永遠湖が誰にも言わないのであれば、このまま友達でいてもいいそうだ。多少奇怪な物を目にする事に抵抗がなければ何も問題はない。


 真白は今の関係を続けてもいい。そう永遠湖に提案すると「ならもう少し腰を落ち着けた方がいい」と隠れ家を紹介してくれた。

 新しく開拓された街に建つ、一際高いビル。

 まだ建設中でてっぺんにクレーンが乗っているが、一部なら電気水道は来ているし、予算の事で揉めて今年一杯工事が止まっているらしい。

 永遠湖の家が関係しているという事だ。いい所のお嬢様だとは思っていたがこれほどとは……、と真白はひっくり返りそうになるくらいにビルを見上げる。


 元々ここに隠れるつもりで家を出た、と言って永遠湖はキーを取り出す。

 中に入り、電源室で電源を入れるとエレベーターホールに明かりが灯った。

 エレベーターに乗り、気圧の変化で痛む耳を押さえながら階を確認する。

 四十階建てくらいか、その三十階で降りるようだ。

「上の方にはまだ何にもないんだよね~」

 小さな鐘の音と共にエレベーターが止まり、ドアが開く。

 フロアに下りるとその広さに驚く。柱がいくつかあるだけでフロア全てが素通りになっている。エレベーターのある一角を除いて三百六十度全てガラス張りだ。

 全方向の景色が楽しめる豪華な部屋だが……。

「何もないよ?」

 家具も机も、文字通り何もない。隠れ家といっても生活するのに不便だ。

「あれ? 階を間違えたかな?」

 永遠湖は再びエレベーターを開けようとボタンを押すが、バツンと電源が落ちた。

 街と月の光で真っ暗ではないが、ほぼ闇だ。

「まいったなー。非常口もオートロックだから開かないよ」

 と言いながら永遠湖はそっと真白の後ろに近づく。


 突然、一部の窓が割れ、銃声のような音が響き渡る。

 永遠湖は真白を抱いて地面に伏せた。


 鉛製の小さな粒が当たって膝を付いた真黒は刀を手を掛けて周囲を警戒する。

 傷は浅い。あのテロリストが持っていたマシンガンのようなものだったが……、とフロアを囲うフレームにアクセスする。

 窓の外からのようだったが、一体どうやって、それになぜ? 疑問はあるものの、今は目の前の危機に集中する。

 窓の外に、蓑虫みのむしのような影がぶら下がり、それが構える武器が火を吹いた。



 LEDの敷き詰まったプロテクターに身を包んだ立石は、左手に握ったスティックコントローラーを操作する。

 その動きに反応してビルの頭頂部に設置されたクレーンが動いた。

 クレーンの動きは、先端に付いたワイヤーを介して、ハーネスを装着した立石の体に伝わる。

 立石の体は、大きく弧を描いて夜の空を舞った。

 立石は右手に持った自作の電動サブマシンガンの弾装を抜き、新しい物に交換する。

 地上まで何メートルあるか分からなかったが、落下した物が通行人に当たった所で知った事ではなかった。

 スティックを操作するとワイヤーが伸び、立石の体を目標のいる階まで降下させる。

 真黒を視界に捉えるとマシンガンを掃射。相手は姿を消すらしいがカメラには映る、という事は暗視ゴーグルでも見えるのだ。

 だが発射された弾丸は、ビルの窓枠の部分で見えない壁があるかのように止まる。

 跳ね返るでもなくピタッと止まった。

「これがフレームという奴か」

 立石は永遠湖の寄こした情報を思い返す。

 部屋内に存在する物を奴らは自在に操れる。そして外からの干渉を断つ事も出来るのだ。弾丸を止める事くらいわけはない。だが逆に部屋の外にいる者には簡単には攻撃できないはずだ。

「だがな、こっちはワナを張っている側なんだよ。勝負は始めから着いてるんだ」

 と手元のスイッチを操作する。

 バン!

 と建物内で衝撃音。指向性地雷を遠隔操作で破裂させたのだ。中が見えると言う事は光は通る。電波も届くという事だ。

 悲鳴が聞こえたと言う事はやはり効果があったらしい。

「ステルスはお前らの専売特許じゃねぇんだよ」

 室内に仕掛けられた地雷の前には鏡が立てられている。この暗さでは視認する事は難しい。時間を与えれば室内を調べて、テロリストの銃のように排除できるだろうが、永遠湖は同時に複数の事は出来ないようだと言っていた。

 矢継ぎ早に外から内から攻撃を仕掛ければ対応しきれまい。

「ひょおっ」

 立石は楽しそうに声を上げた。



「あの野郎! 私もろとも」

 と永遠湖は苦痛を押し殺し、声に出しそうになるのを辛うじて堪えたが、確かに自分の事は気にせず作戦を実行しろと言ったのだ。

 今のは痛かったが、さっきの射撃は当たっていれば痛いでは済まなかっただろう。

 戻ったらゴルフクラブで殴ってやる。自分が立てた作戦でもあるから二番アイアンくらいで勘弁してやろう。

 と真白の体を守る為、上に被さって真黒の様子を見る。

 地雷は真白を殺さないよう、殺傷力は低いようだがまともに浴びた真黒はかなりダメージを追ったようだ。

 やはり何でも出来るわけではない。テロリストから助け出されるのに時間がかかった事で、力を使うにもタイムラグがある事は分かった。

 そしてタイムラグがある操作は複数同時に出来ないはずなのだ。

 そしてここは建設したてのビルのフロア。過去の残滓から取り出せる物は何もない。

 だが真黒は刀を抜き、空中に切込みを入れるとそこから銃のような形をしたものを取り出した。

「ネイルガン!? 建設時の?」

 建設現場で使う、釘を打ち出して板を打ち付けたりする工具の一種だ。国産の物は安全装置が付いており、銃のように打ち出す事は出来ないはずだが、狭間から取り出した物は一部欠損する事があると言っていた。

 真黒は窓の外に現れる影に向かって釘を発射するが、射撃の腕というものはないようで、全く当たる様子はない。だが牽制にはなっている。

 出来るなら死んでほしくない。早く倒れてしまってくれ、と願いながら永遠湖は隠し持っていたスタンガンを取り出した。



 真黒はネイルガンを構えながら膝を付く。

 ダメージもあるが、地面に手を伸ばして散らばった地雷の弾丸、硬化プラスチックの玉を拾うためだ。

 最初のマシンガンで負った傷は狭間の力で塞いだ。

 真白や永遠湖との距離が遠くて全員を囲うフレームを断じても地雷が含まれてしまう。

 近くにいてほしいのだが、他にどんな仕掛けがあるか分からないフロアを移動するのは危険だ。

 当面敵の狙いは自分のようだ。

 ネイルガンを置いて左手で掴めるだけ玉を掴み、右手でムラサメを僅かに抜く。抜き放つと力が大きくなり、制御に負担が掛かるためだ。

 玉を刃に当てるように持ち、『更遅こうち(UpdateHolt)』によって玉の更新をスキップさせる。永遠湖を助けた時に男達の動きを止めたものと同じ技だ。

 そして玉の重力ベクトルを捻じ曲げ、加速に加速を加え、手の中で静止しながら玉の速度は秒速二百メートルを超える。

 右、左と目を動かし注意深く周囲を窺う。

 そして窓の外からぶら下がってきた蓑虫のような影に向けて『更遅こうち』を解除した。

 硬化プラスチックの玉は「行動する」事を取り戻し、弾丸のように目標に向かって高速で「落下」する。

 バスバスバス! と蓑虫は散弾銃で撃たれたようにのたうち、バラバラになって散る。

 あまりに脆いその塊は、人間の体ではなかった。

 立石が窓の外に仕掛けていたダミーだと理解して、咄嗟に後ろを振り向くが、そこにはこちらに短ライフルを向けている立石の姿があった。

「!」

 枠断すいだんする間もなく、真黒の鳩尾に穴が開く。

 射程は短いが、口径の大きいライフル弾は、真黒の重要器官を貫いた。普通なら即死である。

 そして真黒は狭間使いで人間とは出自が違うものの、システムが認識する存在としては間違いなく人間だ。

 生物学的に人間である真黒は、例に漏れず『即死』した。


 しかし即死と言っても時間的にゼロではない。

 心臓が瞬時に停止しても、脳が死に至るまで一瞬の間がある。

 真黒はその一瞬の間に、鞘に収まったムラサメ自身のフレームにアクセスする。

「俺は刀を抜いた」

 抜刀して、目の前に振り抜いたのだとシステムに押し付ける。

 当然のようにシステムは拒絶。

『抜かれていない。刀は鞘に収まっている』

「俺は刀を抜いた。そして時間ゼロで鞘に戻した」

 それは不可能、とシステムは一蹴する。システムは膨大な数の理由を挙げる。


『鞘内から抜き放った位置までの距離、速度は?』

『筋肉の収縮速度は?』

『神経の伝達速度は?』

『空気抵抗は?』


 それぞれに一つずつ嘘の答えを入力していくと同時に、システムが常に行っている膨大な演算、その計算式の中、除算の割る数にゼロを捻じ込んでいく。

 ゼロ除算によって発生する矛盾の修正にシステムは奔走。その処理負荷が次第に大きくなり、許容範囲をオーバーする。

 一定時間内に収めなければならない処理数が規定を超え、間に合わない分は次の時間に繰り越す『処理落ち』が発生。しかしシステムにとって処理落ちは絶対に許されない。システムはついに根負けして折れた。

 システムは、仕事に忙殺されて適当に承認の判を押す部長のように処理を簡略化し始める。


『鞘内から抜き放った位置までの距離、速度は?』「最小値」『承認』

『筋肉の収縮速度は?』「最小値」『承認』

『神経の伝達速度は?』「最小値」『承認』

『空気抵抗は?』「最小値」『承認』


 矛盾となる要素が半分を切った所でシステムは真黒の「刀を抜いた」という事象を『承認』した。

 その承認も新たな矛盾を発生させる。

『軸線上に存在した弾丸は?』「跳ね返った」

 システムは弾丸が居合い抜きで跳ね返された事にする。だがまた次の矛盾が生まれる。

『胸に開いた穴は?』「穴は開いていない」

 システムは胸の傷を修復する。


 だがシステムは隙あらば「やはり元の状態に戻そう」と事象を書き戻しにかかる。

 一瞬たりとも気を抜かず、システムに嘘の事象を押し付け続ける。膨大な負荷をその身に受け続ける真黒の体は熱が上がり、毛細血管を破裂させ、目や鼻、口から赤い液体を流し出した。

 出来る事なら使いたくない、最大最強の技であり、もっとも危険な技『零軸ぜろじく』。


 使った後もしばらくの間は安心できない。ほんの僅かの綻びからもシステムは元に戻しにかかる。

 いつぞやの廃工場と時と違い、今度は真黒の体自身で起きている。一瞬の極小さな綻びでも、システムは真黒の体を「無かった事」にしてしまうだろう。


 跳ね返った弾丸の軌道は面倒なのでZ軸、つまり前後をそのまま反転させた。

 飛んできた弾丸の軌道は、寸分たがわず同じ軌道を戻り、発射された銃口にキレイに収まる。

 立石の持つライフルは暴発。

 衝撃でバランスを失い、一時的に右手の感覚と五感を失った立石は窓枠の下部に叩きつけられる。


 左手でワイヤーを掴んで辛うじてバランスをとる立石に、真黒はにじり寄った。


 少し視力が戻って真黒の姿を確認した立石は、「よう」と友人にでも挨拶するように笑いかける。

 真黒はムラサメを抜き放って立石の腕を切断。叫び声と共に暗闇の底に落ちて行く立石を見送った。


 窓にぶら下がって揺れる立石の左前腕を横目に真黒は振り返る。

 そこには倒れた真白とその傍らにスタンガンを持って立つ永遠湖がいた。


 零軸ぜろじくの負荷のため膝を付き、薄れゆく景色の中を永遠湖が近づいてくるのが見えた。

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