第6話

 もうすっかり暗くなった町を結構歩き、見知らぬ工場地帯に着いた。

 今は使われていないと思しき大きな工場の前で、狭間の住人と名乗る少年は見えない壁に手を付く。

 はいはい、と横に立つ白い耳当てをした少女は手を出した。

 ここに来るまでに何度かやった儀式だ。一定の区画を歩くと、この少年はこうしないと前に進まなくなるのだ。

 そんなに手を繋ぎたければずっと繋いでてあげましょうか? と言ってやりたくもなるが、肯定されても困るのでそれは止めておいた。

「この工場は建物が一つの『フレーム』に纏められている。元は大規模な工場だったんだろう。ここならあまり世界に迷惑がかからない」

 相変わらず少年の言う事は分からないが、ここで一休みしたいと言いたいのだろう。

「今晩はここで野宿になるわけ?」

「そうだな」

 先を歩く真白は振り返り、後ろ向きに歩きながら少年に言う。

「明日学校があるんだけど」

「もう行けない」

 むう~、と真白は膨れっ面になる。

 そんなわけにはいかない。ただでさえ長く休んでいたのだ。また休んだら先輩達に何を言われるか分からない。

 それに、少なくとも朝には家に連絡を入れなくては。


 しかし大きく開けられたシャッターの中は廃材が山と積まれている、いかにもな工場跡だ。

 壊れているのか放置された機械もある。

「ここに泊まるの?」

 小屋も何も無いではないか。手荷物も着替え以外何も無い。

 シャワーや布団は期待してなかったが、これなら町のネットカフェにでも泊まった方がいいのではないか? あの黒服も人が大勢いる所では襲って来ないだろう。

 だが会って間もない少年に意見する事も出来ず、大人しく座り込む。

「ここを動くな」

 少年はそう言って行ってしまう。

 一人になるのは不安だが少年といるから安心というわけでもない。普通に考えればそっちの方が危険なのだ。

 このまま逃げようか、とも思うが一度勝手な事をして母を危険な目に合わせている。

 まだ少年を信用する事は出来なかったが、今起きている事が理解できない以上、真白にはどうする事も出来なかった。

「本当にここは大丈夫なのかな……」

「大丈夫じゃないよ」

 誰に言うでもなく呟いたのだが、予想外の返事に真白は立ち上がって周りを見る。

 少年の声ではない。

「誰?」

 と問いかけるが返ってきたのは答えではなく余計不安を煽る言葉だった。

「ここはすぐに見つかるよ」

 きょろきょろと周りを見回し、声の主を発見する。

 積み上げられた廃材の上、伸びた鉄骨の上に寝そべっている動物が、言葉を発していた。

 猫でもない、犬でもない、身体は猫か犬のようだが顔が人間みたいだ。歯を見せてニタニタと笑うその姿はまるでメルヘン世界の、

「チェシャ猫!?」

 気味が悪いのだが不思議と恐怖はない。怖がらせるにはあまりにもコミカルで滑稽すぎる。

「早い方がいいよ」

「何? どういう事?」

「早くやられちゃった方がいいよ。その方が楽だ。大丈夫、痛くはないよ」

 殺されてしまえと言っているのか? あの黒服に?

「なんでよ。そんな事できるわけないじゃない」

 あまりの物言いに食って掛かってしまう。

「君にはもう帰る場所はないんだよ」

 何を! と反論しようとした所で人の気配に気がつく。

 振り返ると少年が帰って来た所だった。

 前を見るともうチェシャはいない。

「ねぇ、今何かいた?」

 少年に聞いてみるが、

「いや、ここには何も入って来られない。始めからいたなら別だが、何もいない事はさっき確認した」

 と少年が差し出す手には毛布がある。毛布を探しに行ってくれていたのか。

 黙って受け取り、あれは何だったんだろうと考える。いきなり「やられてしまえ」とか言うのだ。味方とは思えない。だが、あいつはここはすぐに見つかると言っていた。気になるので聞いてみる。

「ここは安全なの?」

「いや、直ぐに見つかる」

「……さっき誰も入れないって」

「リペアドールは別だ」

 それじゃ、意味ないんじゃ……。

 カランと缶が転がるような音に驚いて身体を強張らせる。

「来たようだ」

 離れるな、と手で指示する少年に真白はただ脅えながら従うしかない。

「真に完璧な物は存在しない。この世には多くのバグ不具合が発生している。世界というシステムは常にバグを修正し続けている。バグが人の目に触れれば、それは怪奇現象等と呼ばれる」

 一つ、また一つと廃材の山に積み上げられている塊が転がり落ちる。

「システムが自然修復出来ないような大きな歪みには人の形を取って現れる。それを『リペアドール修復人』と呼んでいる。修復しきれないような物を物理的に叩き潰して直すために。つまり、殺しに来る」

 つまりそれは、真白の耳や尻尾があってはならないから、殺して無かった事にしようという事か。

「そしてより大きい敵には、より大きい物で対抗してくる」

 廃材の山が、大きな音を立てて盛り上がり、ガラガラと資材が散らばる。

 廃材から現れたのは大きな機械、クレーン車かブルドーザーか真白には分からなかったが、キャタピラや車輪ではなく六本の足で誰も乗っていない運転席を支える姿は、アニメに出てくるロボットのようだ。

 そして広げたアームにも爪やらドリルやらが付いて、威嚇するように動いている。数は……六本位まで数えて止めた。互いに入れ替わるように動いていて数えられない。

 しかしよく見れば各々のパーツはこの工場にある物ばかりだった。廃品を寄せ集めて作ったかのようだ。

「逃げた方がいいんじゃ……」

 自分が意見してどうなるとも思えないが、そう言ってしまう。

「逃げてもどこまでも追ってくる。奴らは機械と同じだ。諦める事も知らないし、必ず探し出す手段も持っている」

 少年は、真白の腰に左手を回すようにして支え、右手で腰の刀に手を掛ける。

「私はどこかに隠れてた方がいいんじゃああっ!」

 突然視界が大きく横に動いた為、真白の言葉はそのまま悲鳴に変わる。

 真白達が立っていた場所にはロボットのアームが突き刺さっていた。

「奴らは君を狙っている。離れれば狙い撃ちにされるだけだ」

 少年は真白を抱えたまま攻撃を避けて跳ぶ。

 右へ左へ視界が動くが、不思議と真白の体には揺すられる感覚はない。あまりに突然で感覚が麻痺しているのか、それともやはり夢なのか、と考えているとロボットから鋭利な金属の破片が高速で飛んできた。

 真っ直ぐに顔に向かって跳んで来た複数の鉄の破片は、真白の目の前でピタッと止まる。

「ひいっ!」

 空中に静止した破片はパラパラと地面に落ちる。

 バリア!? テレキネシス!?

 ロボットからは発射の為のスプリング音も火薬の炸裂音も聞こえて来ない為、予想外のタイミングで目の前に現れる鋭い刃に、真白は逐一派手なリアクションを取る。

「俺達のフレームは外部からの侵入を遮断している。俺は枠断(FrameIsolate)と呼んでいるが、狭間の力としては最も基本的な技だ」

 少年は落ち着かせるために説明したようだが真白には分からない。

 少年は着地して地面に落ちたナイフのような金属片を拾う。

 ロボットはその隙を逃さずショベルカーのショベルを振りかぶって二人に叩きつけた。

「ひゃっ!」

 思わず頭を押さえて屈み込むが、ショベルは頭上で止まったままだ。だが鍔迫り合いのようにギリギリと力が加わっている。

「こいつがやっている攻撃は、この破片を覆うフレームの『移動値』を操作しているんだ。これを無理矢理秒速二百メートルで移動している事にしてやれば……」

 破片は少年の手から離れ、音もなくロボットに向かって飛んでいくと、ショベルアームの間接部分に命中した。

 ショベルは力を失い、ロボットに戻っていく。

 ロボットは立ち上がるように、体の前部分を持ち上げるといくつかのアームで真白達を押さえ込むように取り囲んだ。

 アーム自体は目の前で止まっているのだが、アームの先端がドリルのように回転し、見えない壁に穴を開けるように迫ってくる。

 真白の目からはかなり怖い光景だ。

「そしてこいつらも狭間の力で動いている。こちらの狭間の防御も解析され、そのうち破られる」

 少年は涼しい顔で不安を煽る事を言う。

「だがそれは俺達も同じ。こっちも解析は完了した。こいつはバラバラのパーツを……フレームを寄せ集めて、大きなフレームが囲う事で一体としているが、その覆っているフレームは即席で作った物、作りが荒い。それを壊してしまえば……」

 ロボットは一瞬大きく膨らんだように動くと、繋いであるネジが一気に外れたようにバラバラと崩れ落ちた。


 カラン!

 と最後のパーツが転がって止まると辺りは再び静寂に包まれた。

「やっつけた……の?」

 恐る恐る少年に近づいて聞く。

 突然、中心部だったショベルカーが起き上がり、アームを持ち上げた。

 キャタピラは壊れ、動く事は出来ないようだが、周りのパーツに召集をかけるように周囲にバチバチと電撃のようなものを発している。

 散らばったパーツは磁石に引き寄せられるようにピクピクと動き出した。

「大技を使うために、少し小さくなってもらっただけだ」

 これで本体を見極められる、と刀を構える。

 少年は力を溜めるように身を沈めた後、突進するように跳躍する。爆ぜる炎のように勢いよく飛び出した少年はショベルカーに接触する寸前で刀を抜いて叫ぶ。

「零軸(ZeroDivied)!!」

 少年の体は、ノイズが入った立体映像のように掻き消えた。


 真白は一瞬、目をパチクリさせたが、ショベルカーの向こう側に着地した姿勢の少年を確認する。

 次の瞬間ショベルカーは内側に向かって縮むようにぐしゃっと潰れた。

 そして時折「めきっ」という音を発しながらゆっくりと鉄の塊になってゆく。


 真白はその塊を横目に膝を付いている少年に歩み寄る。

「今度こそ、やっつけた?」

「こいつはな」

「もう大丈夫なの?」

「いや、こいつらは永久に追ってくる」

 そんな……、と泣きそうになる真白に少年は顔を向け、

「だから少し荒っぽい方法を使った。リペアドールはこの世界の修復者。システムを安定させるために存在する。だから俺達を追う事はよりシステムにとって危険だと分からせてやる必要がある」

 鉄の塊はバチバチと電気、というか黒い火花のようなノイズのようなものを放出している。

 どういう仕掛けなんだろう、訝しげに観察していると突然少年が膝を付いて血を吐いた。

「ちょっと! 大丈夫なの?」

「かなり無理をした……。まだその余波が残ってる」

 顔からすごい汗をかいている。真白はどうしたらいいのかも分からずオロオロしてしまうが、

「少し休めば大丈夫だ。じっとしててくれ」

 そう? それならいいけど、と釈然としないものの大人しく従う。

 ジジジジと背後のノイズ音が大きくなる。

「!?」

 振り向くともうそこに鉄の塊は無い。代わりにあったのは黒い……亀裂。空間に開いたような亀裂だ。

 中は別の空間に繋がっているかのように、黒い霧のような物が渦巻いている。そこから電気のスパークのように黒い線がパリパリと走っている。

 どう見ても普通の現象ではない。

 ねぇ……、と固まった顔で少年をつつく。

「……まずいな」

 少年は振り向いて刀を抜く。真白は少年の背後に隠れるように添い立つ。

「バランスが崩れた。ちょっと無茶したから……、このままでは本当に世界が崩壊する」

 どーしたらいいのー? と叫んでも無駄だと思うので真白は黙っていた。

 少年は逆手に持った刀を黒い穴に突き立てた。

「システムの修復力だけでは修復は無理だ。今塞がないと」

 刀の峰側、その両面に計十六個彫られた文字が青白くランダムに明滅する。その動きは熟練のプログラマーがキーボード打つように、早く軽快なものだった。

 少年の顔が苦痛に歪み、口の端から血が流れ出す。

「何か私に出来る事ある?」

 大変そうなのに、ただすがっているだけなのは気が引けたので聞いてみる。

「半径三十フィート内の座標が素数になるものを挙げてくれ」

「ごめんなさい、もう喋りません」

 亀裂は徐々に小さくなり、やがて見た目上は完全に塞がってしまう。

 少年はその場に倒れた。

「ちょっと! 大丈夫なの?」

 大丈夫だ、と言い刀を鞘に仕舞う。

「完全に塞がったわけじゃないが、後はリペアドールにやらせよう。元々あいつらの仕事なんだ」

「え? また来るの」

 ああ、と身体を起こす。

「しばらくは大丈夫だ。今来てもさっきみたいにシステムが危険になるだけだ。俺達がいる間は来ないさ」

 それでもここは移動した方がいい、とゆっくりと立ち上がる。

 少年に肩を貸し、工場を出る。

 外に出た所で壊れた自動車の屋根に猫のような生物が乗っているのが見えた。

「あーあ、やっちゃったね。忠告したのに」

 とニタニタ笑いのまま言う。

 少年には見えていないのか? と様子を窺うが、やはり気づいていないようだ。

「今からでも遅くないよ。ソイツはほっといて行きな」

 幻覚にしてははっきりしている。これもあいつらと同じ類のものだろうか。

「そしてあいつらに、消してもらいな」

 真白はチェシャを無視して足を進めた。

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