第13話

 しとしとと雨が降る夜の街にそびえ立つマンションがある。

 街中という事もあって背の高いビルはちらほらあるが、その中でとりわけ頑強そうな建物でセキュリティも厳しそうだ。

 地下一階には飲食店や理髪店など生活に直結した店舗が入っており、マンションに出入りする住人を歓迎するように広い階段が口を開けている。

 その扇状に広がった階段の一番下で、真白は子犬のように体を縮こませて震えていた。

 通りから死角でもあるため、見咎められる事もないだろうと雨から避難するように入ったが、斜めに降り注ぐ雨は霧のように体に降りかかって体温を奪う。

「寒いのか? 中に入った方が……」

「ダメだよ。不法侵入だもん」

 雨は一向に止む気配を見せない。朝までこうしていたら凍死してしまう危険もあるように思えた。

 雨を遮断しようか、温度を遮断しようかと気遣う真黒の提案を真白は全て棄却する。

「変な事しないで、そんな所を人に見られたら大変だし」

 リペアドールに襲われている所ならまだしも、雨は自然現象なのだ。

 自分は超常現象とは無関係の普通人なのだ、と自身に言い聞かせるようにじっと耐えていた。

「おや、どうしたんだい?」

 階段の上からかけられる声に、真白は歯を鳴らしながらぎこちなく振り向く。

 声の主は、震えている真白を見て階段を降り、持っていた傘を差しかける。

「中へ入りなよ。共用スペースがあるよ」

 と言って傘の中の青年は二人に笑顔を向けた。



「はい、どうぞ」

 と言って青年は、待合スペースのような場所に置いてあるソファに座った真白に、熱いコーヒーとタオルを渡してくれた。

 君も、と立ったままの真黒にもコーヒーを勧める。

「ホントは部外者は入れちゃいけないんだけど、あの状況じゃあね。管理人も許してくれるさ」

 と笑う青年は日向ひゅうが 秀樹ひできと名乗った。

 二十代前半くらいだが、こんなマンションに住んでいるのだ。見た目より年上かもしれない。IT企業に勤め、このマンションで一人で暮らしている。忙しい仕事の為、今日もこんな時間に帰宅していたわけだ。

 遅い時間の為エアコンは利いていないが、暖かいコーヒーで人心地ついた真白はくしゃみをする。

「部屋のシャワー使いなよ。僕はここで待っているから」

 真白は少し迷ったが、体も冷えているのでお言葉に甘える事にした。

 シャワー室に入り、熱いお湯を浴びると想像以上に体が冷えていたのだという事を実感する。

 凍り付いていた心が解凍されていくようだ、としばし目を閉じてただ湯を浴びた。



 待合スペースに戻ると日向がコンビニで買ったおにぎり等を並べている。

「僕も晩御飯まだなんだ。一緒にどう?」

 食べながら、真白達が兄妹である事、事情で家に帰れない事を話す。

「その刀は本物かい?」

「いや」

 そりゃそうだよね、と笑う。

 しかし日向は詳しい事情については何も聞かなかった。

 待合スペースなら気兼ねなく使うといい、と毛布を貸してくれる。

 真黒共々感謝の意を伝えると青年は部屋に戻っていった。


 ソファに寝て毛布に包まりながら、隣のソファに座ったままの真黒に聞く。

「ねぇ、私がここにいたらあの人にも迷惑がかかる?」

 真黒は短く肯定する。

 それだけでリペアドールに襲われる事は無いだろう。むしろ問題は青年が真白の耳や尻尾に気付いた時にどう思うか、どうするのかという事だ。

 何事もなく普通に接する、とは考えられない。その時に、場合によっては青年の人生を大きく狂わせるかもしれないのだ。

 真白は青年の好意を素直に感謝しきれない自分の境遇に、苛立ちと憤りを感じていた。



 翌朝、青年は仕事に行くからと鍵を置いていってくれた。

 外へ出るなら入り口のオートロックを開けるのに必要だ。部屋を自由に使うもよし、ここを出るならポストに鍵を入れていってくれと言い残し、外へ出て行った。


 いつまでも世話になるわけにはいかない。かと言ってお金も底をついている。

 働き口でも探そうか。しかし世間的には天涯孤独の身であり、未成年である真白を雇ってくれる所などあるはずもない。

 あったならそれはろくでもない仕事だろう。

 真黒は……、戸籍云々よりも一般常識で難がある。何を仕出かすか分かったものではない。

 コンビニで求人誌を立ち読みしながら溜息をつく。

「このままじゃ、携帯も止まっちゃうよ……」

 アルバイトなら何とかなるかな。住所も元の家のを書けば……、とも思うが実年齢はともかく真白は見た目小中学生なのだ。身分の確認を求められればそこで終わってしまう。


 結局何も解決案を思いつかないまま、夕方を過ぎ夜になる。

 何も食べていない為空腹だが、緊張のせいかそれほど苦しくはない。おそらく日向は「冷蔵庫の中の物を好きに食べていい」と言うだろうがさすがに気が引けた。

 真黒にもお腹はすかないのかと聞いたが「大丈夫だ」と言うだけだ。真白以上に遠慮体質なのかもしれない。

 マンションの待合スペースで一休みする。あまり遅くまでいると日向が帰ってくるだろう。そろそろここを出ようと考えていると若いIT技師はいつもの帰宅時間よりも早く帰ってきた。

 真白達の事が気になって早めに帰ってきたのだろう。日向は真白達がまだいた事に喜んでくれた。

 どうせ遠慮して何も食べてないんだろう、と結構なご馳走を買ってきている。

 共用スペースという事もあって、同じマンションに住んでいるお爺さんなんかもやってきてしばしの団欒、待合スペースは季節外れの花見のように賑やかな空間となる。

「お譲ちゃん達、ホテル暮らしなんかね?」

 ええ、少し前は……と曖昧に相槌を打つ。

「ここも元々ホテルにする予定で建てられたんだがね。なんだかんだで賃貸マンションになったんだ」

 それでこんな共有スペースがあるんだ、と納得する。

「家出して、ついにお金が無くなったってとこか?」

 とお爺さんは青年が気を遣って話題にしないようにしていた事をさらりと言って笑う。

「ホテルと言えば、明後日からパラダイスホテルがオープンするんだよな」

 別のおじさんが思い出したように言った。

 近くに新しく建ったビルだそうだが、結構豪勢なホテルらしい。建設仕事で関わった事があるという。

「明日ならもう入れるぜ。セキュリティの解除方法教えてやろうか?」

 と言って豪快に笑う。

 結構です、と慌てる真白に構わず裏口の緊急コードを大声で話す。

「お穣ちゃんかわいいから特別だよ。誰にも言うんじゃねぇぞ」

 みんなに聞こえているよ、と真白は赤くなって畏まる。酔っているとは言え、とんでもない事をする人だ。


 真黒は終始無言で、お爺さん達に無口な奴だとからかわれていたが、真白はその手がずっと刀の柄にかかっているのに気が付いた。

 ずっとリペアドールを警戒、もしくは戦っているだろう。

 真白を、この人達を守る為に……。いや、この人達が危険なのは真白のせいなのだ。



 小さな宴が終わり、毛布を膝に真白は考え込んでいる。

 まだ寝るには早い時間だが、日向は真白を相手に上機嫌で酒が進み、早々に酔い潰れてしまった。今は部屋で寝かせている。

「やっぱり、早く何とかしないとね」

 誰に言うでもなく呟く。

 恐怖がないと言えば嘘になる。だがいつまでも恐がっていられない。きちんと向き合わなくてはならない。

「私、ウチへ帰るよ」

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