第24話
「ひぃひぃひぃ」
白衣を着た老人は、手に持った資料の束を楽しそうにめくる。
「面白い。実に興味深い」
各部の写真、レントゲン。検査の結果資料。
それらを一つ一つ何度も見返す。
そして血液検査の結果と、DNAの検査結果を待っている。
白衣の老人、浦木は電子機器が並ぶ部屋の真ん中にある「檻」の中を覗き込んだ。
檻の中には、身包み剥がされ首輪をはめられた真白が目を赤く腫らせていた。
「遺伝子構造はどうなっておるんじゃ? 本体と耳とで別なのか? それともまったく新しいものか? 早く結果を知りたいのう」
興奮した様子で嘗め回すように観察する浦木に、腕で胸を隠しながら真白は涙目になる。
嗚咽を押し殺し、傍らに立つ黒髪の少女を見た。
その視線をまともに受けられずに永遠湖は目を逸らす。
真白の目は悲しみと、失望と、哀れみが入り混じっていた。
その視線は永遠湖の胸をきつく締め付ける。
いっそ怒りと憎悪の目を向けてくれれば、悪者に徹する事もできたろうに……、と自分を抱くように腕を組んで歯噛みした。
永遠湖は、嬉々として書類と真白を見比べる浦木に詰め寄る。
「ちょっと! 服はどうしたのよ! 持ってきてって言ったでしょ?」
「今は検査中じゃ、終わったら着せてやる」
あからさまに適当な調子で答える浦木を睨みつけ、
「この首輪は何なのよ! 外しなさい!」
「ああー? GPSじゃよ。逃げたら困るじゃろ? お前さんが捕まえたんじゃろが」
くっと歯を食いしばり、手の平に爪が食い込むほどに握り締める。
こんな話は聞いていない。完全に動物扱いだ。
男どもには触れさせなかったがいつまで通用するか……。
真白の精神状態を保つためだと何とか持たせているが、こいつらは早くも永遠湖がチームリーダーだという事を忘れかけている。
「それにワシらに任せていれば、最新の医学で治療出来るかもしれんぞ。お前さんもその方がいいじゃろ?」
それは確かにそうだが、こいつらにその気があるようには見えない。
「耳と尻尾、手首足首と胸……ツキノワグマで言う所の月の輪の部分にも毛が生えておるな」
「いや、もう一箇所ありますぜ」
「そうじゃったな」
と言って研究員と浦木は大笑いする。
ガソリンはないか! と永遠湖は部屋を見回した。
こいつらにかけて火をつけてやる、と引火しそうな勢いの憎悪を燃やした目で睨む。
「真黒は……」
少女の声に永遠湖は我に返る。
「真黒はどうしたの?」
永遠湖は俯き、呟くように言う。
「助けには……、来ないわよ。刀を持っていないもの」
真白は涙を流して永遠湖を見上げる。
「真黒は……。真黒は刀がないと消えちゃうんだよ」
それはどういう事? と屈みこんで真白の目を見る。
「真黒は……、人間じゃないもの。狭間から、常に体を補い続けないと消えちゃうんだよ」
そんな……、と永遠湖は驚愕する。
刀は隠してある。調査機関の連中にも刀の事は教えていない。
真白を捕獲しても手柄を横取りされる事は予想していた。その保険でもある。
機関の連中を出し抜き、刀と真黒を手に入れられればと考えていたが、その考えの中に黒いものがある事に永遠湖は戸惑っていた。
自分は、真白に消えてもらいたいのか。
真白が解剖されれば、機関の連中もそれで納得し、刀も事も知らず、永遠湖の事も眼中から外れるだろう。
そうすれば、自分は真白の代わりに真黒と共に行けるのではないか?
だが自身の状況よりも真黒を心配する真白を見て、自分がどれだけ出世欲に目の眩んだ、卑しい人間だったのかを思い知らされた。
真白から見れば、あそこで下衆に笑っている連中と自分は同じなのだ。
真白は永遠湖を友達だと思い、永遠湖も妹のように感じ始めていたというのに……。
永遠湖は、閉じた目の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「ごめんね……。ごめんね、真白」
永遠湖は立ち上がると着ていた服を脱ぎ、檻の中の真白に渡すと、どよめく研究員を余所に真っ直ぐ部屋を出て行った。
水無月の所有である高層ビルの前に永遠湖は立つ。
真黒はあの後別の階に隠した。真黒は下手をすると殺されてしまうかもしれなかった……というのもあるが、本当は真白と引き離したかったのかもしれない。
外へ通じる通路は開けておいたので隠したフロアには既にいなかったが、それほど遠くには行けないはずだ。
正確な範囲は分からないが、ビルの敷地から外には出られないはずだと真白は言っていた。
永遠湖は深夜の屋外を走る。
敷地と言っても結構な広さがある。それに隠れているのなら更に見つけにくいだろう。
姿を消しているのか? 刀がなければ出来ないはずだ。それとももう消えてしまったのか?
焦燥に駆られて走るが、高層ビルのどこかの階に潜んでいる可能性だってあるのだ。
走り回って探し出せるなどと、甘かったのでないか。
飛び出せば見つけられると……、そんな運命の糸で繋がってはいないかと僅かに期待していた自分がおかしくなる。
走る速度を緩め、とぼとぼと歩き出す。いつのまにか元のビルの前に立っていた。
真白は一部犬だが、真黒もどことなく犬っぽかったな……。
犬には帰巣本能があって、どこに捨てられても家に帰ってくるという。
真黒も本能で真白の位置を探し当てたりしないのか、と真白が捕らわれている施設の方を見る。
探し疲れて当てもなくその方向に歩いていただけだったのだが、しばらく進んだ所に真黒はいた。
雨は降っていないのだが、まるで雨に打ちひしがれているような気分になる。
半ば茫然自失としながら、ふらふらと黒い人影に近づき、
「何してるの?」
パントマイムのように、見えない壁に手をついたままの姿勢の男に声をかける。
「真白がこの先にいるような気がする。真白とは、フレームを共有しているが、ムラサメがないと分からない。だが、そんな気がするんだ」
永遠湖はきゅうと胸に痛いものを感じた。
真白と何かで繋がっているような言い方だ。
「なんで真白なのよ」
「幸人に、真白を守ってくれと頼まれた」
「私の事も守ってよ!」
真黒は永遠湖を見る。
「真白は、どこにいる?」
その言葉にカッとして真黒の頬を打った。
しかし赤くなったのは真黒の頬ではなく永遠湖の顔だった。
何をやっているんだ。これでは嫉妬に狂った女ではないか、と顔を伏せる。
踵を返してビルの方へ戻る。
足を止めて、まだ立ったままの真黒を振り返り、
「研究所には女性スタッフもいる。当分は大丈夫よ。それより私も真白は助けたいの。来て頂戴」
ビル内に入り、エレベーターで二階に上がる。
ここは家具屋が入る予定になっていて、もうオープンの準備が済んでいる。
床に転がしておくわけにもいかなかったので、ここの展示品のベッドに真黒を寝かせて行ったのだ。
そしてその近くにムラサメも隠してある。
回収部隊が来るまでそんなに時間がなかったのと、展示品でごちゃごちゃしているので都合がよかったのだ。
「ねぇ、刀がないと消えちゃうって聞いたけど……、もう危ないの?」
「いや、時間をかけて安定させた体はそう簡単には消えない。数日は問題ない」
少し安心して、展示品のベッドに腰を下ろす。
「真白ちゃんの事好きなの?」
「共にいるのが良いか悪いかという意味なら、好きだ」
「じゃ私は?」
「同じ意味なら、好きだ」
「私と真白じゃ、どっちが好き?」
「真白だ」
別段答えは期待せず、ちょっと悪戯心で聞いたみただけだったのだが、そのあっさりとした答えに少しカチンとくる。
「……真白、助けられる? 前より警戒が厳しくなってるよ?」
立石との戦いで更に対狭間用の警戒を強めているはずだ。
「助けるためならどんな事だってする」
「どんな事でも?」
「ああ」
永遠湖は立ち上がり、少し冷たい表情で、
「じゃあ、私のお願いを聞いてくれたら、刀を返してあげる」
と言って服に手を掛けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます