第19話

「雨?」

 カフェのアーケードから手を外に出し、暗くなった空から降って来る水滴を手で受け止める。

 傘は持ってきていない。

 真黒の力で何とかしてくれるんだろうと待っていると、横から傘が伸びてくる。

「どうぞ。こちらお使いください」

 とランドのスタッフが爽やかに傘を渡してくれた。

 お礼を言って受け取り。ふと気付く。

「今は透明じゃないの?」

 不意に話しかけられたのは初めてだ。いや、一晩泊めてくれた青年の時もそうか。

「雨が降っている。フレームを出入りする物体の数が多いと処理負荷が高くなる」

 相変わらず真黒の言う事は分からないが、要するに雨の日は透明化するのが面倒という事だろう。

 傘をさして外へ出る。

「さ、帰ろ」

 もう閉園時間だ。

 帰ると言っても真白達は根無し草、そこら辺に隣接してるホテルにでも泊まろうか、と歩き出す。

 今から空き部屋を探すのも面倒だ。それよりもうしばらくこうしていたい。

 小さな傘の中で、自分よりも背の高い少年に身を寄せた。


「ちょっ……、何すんのよ! 放して! きゃぁ~、誰かー!」

 夢心地だった真白の意識は突然の叫び声に叩き起こされた。

 見ると女の子が数人の男達にボックスカーに押し込まれようとしている。

「誘拐?」

 男達はハンカチで女の子の口を押さえ、体を抱え上げ車に押し込む。


「ねえ! 助けてあげてよ!」

 真黒に懇願するようにすがる。

 世界に干渉してはいけない。だが見て見ぬ振りをする事も出来ない。後でどんな罰則でも受けるから、という顔で真黒を見る。


 真黒は表情も変えずに真白に傘を持たせると真っすぐに男達に向かう。

 一人がこちらに気付き、車に向かって「構わず行け」と合図して立ち塞がるが、真黒が刀を抜くと男は慌てたように懐に手を入れる。


 真黒が空中に刀を突き立てると、男は懐から手を出そうという形のまま固まった。


 まるで時間が止まったように男も、閉じかけたドアの向こうに見える女の子も空中に停止している。

 降り注ぐ雨も男達を取り囲む空間に差し掛かった所で停止、そこにガラスの箱があるように、四角い輪郭を浮かび上がらせる。

「これが……、フレーム?」

 車と、一人外にいる男を含んだ範囲に、直方体の枠があるのが真白の目にも見えた。

 そして外にいる男の姿は、車の中でハンカチをあてられている筈の女の子に変わる。

 時間は動き出し、上部に溜まった雨が一斉に地面に叩き付けられる。

 車のドアが音を立てて閉まるとそのまま走り去り、その場には何が起きたか分からずに呆然とする女の子が残された。


 呆然としていたのは真白も同じだったが、はっとしたように走りよって女の子に傘を差し掛ける。

「あ、あ、あ……ありがとう」

 真黒は何事も無かったように平然と刀を鞘に仕舞う。


 男が突然女の子に変わったのは、アトラクションで並び順をズルしたのと同じ理屈だろう。

 車の中で男達に押さえられていた女の子は、外にいた男と入れ替わったのだ。今頃車の中で男同士で揉みあっているに違いない。


 雨に濡れ、長い黒髪と薄青のワンピースを体に張り付かせた女の子は、尚も固まったままだが、

「とりあえず、行きましょう」

 と真白が促す。

 あの男達も気が付いて戻ってくるかもしれない。


 雨宿りの為、喫茶店に入って女の子にタオルを渡した。

 女の子は今トイレで髪や体を拭いている。真白とあまり変わらないか、少し年上だろう。何があったのかは分からないが、あまり関わらず別れるのが得策だろう。

 助けた時の事を色々聞かれそうなのでこのまま出てしまいたいが、あのタオルはお気に入りなので返してほしい――実際には真黒が狭間から取り戻す事ができるのだが。

「でも、時間も止められたんだね」

 この男は何でもアリか!? と半ば呆れたように言う。

「時間を止めたわけじゃない。彼らを取り巻くフレームに含まれるオブジェクトの『更新』を一時的にスキップさせただけだ。あの子と男を入れ替えるのに、サイズの違いを補正する時間が必要だったからな」

 適当に計算して後はシステムに任せた、と相変わらず分からない事を言う真黒を無視してぶくぶくとストローに息を吹き込む。

「あの人に何て説明すんの?」

「俺達も知らない、でいいんじゃないか」

 そうね、と相槌を打つ。説明のしようもないのだからそれしかない。


「いやー、助かったわ。何だか分からないけど、助けてくれてありがとう」

 と戻ってきた女の子は対面に座りタオルを返す。

 女の子は永遠湖と名乗った。

 さっきの男達は家の者で、両親のいない隙に親戚の男と無理矢理婚姻させるために幽閉しようとしている。

 強引でも何でも契りを結んでしまえば両親も従うしかない家柄だ。

 有力者で政界でも顔が利き、しかも身内の事なので警察に相談しても無駄なんだそうだ。


 真白にとっては想像も出来ない世界だ。円佳の新しい友達である真白の設定にも加えようか、と思いながら聞いていると永遠湖はぼやくように言う。

「あと一週間で両親帰って来るのになぁ。それまで誰か守ってくれないかなぁ……」

 露骨に自分達を頼っている物言いの永遠湖に苦笑いしながらも、

「わ、私達でよければ……」

 と言ってしまう。

 ホント? ありがとー、と無邪気に喜ぶ娘を余所に真黒の顔色を窺ったが、澄まし顔のまま何も言わない。

 お金の事は任せといてーと会計を済まし、手頃なホテルも取ってくれた。

 クレジットカードを使っていたが、黒いカードとはまた趣味の悪いデザインをするカード会社もあるものだ。


 永遠湖が真白と同じ十六歳だというのには驚いたが、真白は久しぶりに歳の近い女の子と会話するのが楽しくて自分達の事を教え合った。

 だが助けた時の不思議な現象については何も聞かれなかった。


「そろそろ、お風呂に入りたいんだけどな……」

 もじもじしながら真黒の方をチラチラと見る永遠湖に「ああ」と察して、

「ロビーで待っててくれる? 後で呼びに行くから」

 と真黒を外へ追い出す。


「ねぇ。一緒に入らない?」

 後ろから近づいた永遠湖が囁くように言う。

 驚いて飛びのき、手を振って断る。

 永遠湖は無駄のない動きで抱きすくめるように真白の背に手を回すと、ニット帽に手を掛けて上へ引き抜く。

 あっ、と慌てて耳を押さえる。見られたはずだが、永遠湖は驚く様子もなく「あら可愛い」と笑う。

「あなた達が普通じゃない事くらい、もう分かってるわよ。大丈夫、誰にも言わない」

 と言って服を脱ぎ始める。



 浴室で白い髪の少女は、顔を赤くして泡の衣を纏う。

 他人に体を洗ってもらうなんて何年ぶりだろう。

 頭からお湯をかぶせられ、幼い肢体が顕わになり、真白は犬にようにぷるぷると頭を振った。

 じゃあ交代、と言って後ろを向く永遠湖に、遠慮がちにスポンジを当てる。

 永遠湖の体は真白と同い年とは思えない、モデル顔負けのナイスバディだ。細く、白い体に長い髪が映える。

「真黒とは、兄妹なんだよね?」

 もう呼び捨て? とも思ったがそういう事にしているのだから迷わず肯定する。

「じゃあ、私がもらってもいいよね?」

 え? と一瞬何を言われているのか分からず動揺してしまう。

「ま、ま、真黒と!?」

 気があるの!? 今日会ったばかりなのに? と様々な考えが渦巻き、思考停止してしまう。

「くすっ、冗談よ~。ビックリした?」

 一瞬固まり、あは……と引きつって笑う。

 しばらく間、真白と永遠湖の笑い声が、ホテルの浴室にこだました。




「バレちゃったけど大丈夫?」

 ロビーに真黒を迎えに行き、少し申し訳なさそうに聞く。

「問題はない。幽霊やUFOを見たという人を、システムはいちいち消してないだろう?」

「そういうもの?」

「それに、彼女が黙っているつもりなら何も心配ない。幸人も知っていたが、誰にも言わない間は大丈夫だった」

「なら大丈夫か」

 と部屋へ戻ろうとすると、永遠湖もロビー階に降りて来た。

「あ、真白ー。せっかく来たんだし、アレやってみない?」

 永遠湖の指す方にはネイルサロンがある。

 そういえば真白はやった事もない。校則はそこまで厳しくはないがソフトボール部では禁止だった。

 無駄遣いの嫌いな真白はそれほど興味を持った事はなかった。

 だが永遠湖の軽いものの強引な勧めに、サロンのドアをくぐってしまう。


 何も分からない真白に構わず、あれやこれやと勝手に見繕ってネイリストに注文してしまった。

 じゃあゆっくりね、と言って部屋を出る永遠湖に、真白は不安を訴える目を向けたが、

「大丈夫、そこの休憩室にいるから」

 とここからでも見える野外にも通じている休憩スペースを指す。


 永遠湖はロビーで真黒に話しかけると、一緒に屋外スペースに出てしまった。

 風に当たって一休みしているだけの光景なのだが、真白の心は焦燥に鼓動を早める。

 何を話しているのだろう、と気にせずにはいられない。

 は、早く終わって~と自分の爪を見た。

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