第14話
久しぶりの我が家なのだが、長いこと家出した少女がこっそり家に戻った時のように恐る恐る中に入る。
ほんの数日だというのに、色々ありすぎてもう随分経ったように感じる。
真黒は大丈夫だと言ったが、どうしても忍び足になってしまう。
リビングには明かりがついていた。母がいるだろう。
明かりの漏れるリビングのドアの前に立ち、中を窺うとテレビがついているのか少し賑やかな音が漏れ聞こえる。
「入っても大丈夫?」
「俺達は狭間にいるからな。俺達の行動そのものが気付かれない」
そっと音を立てないようにノブを回し、ドアを開く。
ギィ、と僅かに軋んだ音が室内に響いたが、中にいた女性、真白の母は気にした様子も無くソファに座ってテレビを見たままだ。
恐る恐るという感じで母に近づき、隣に座る。
テレビを見る母の横顔は、確かに行方の分からない娘を心配する風ではなかった。
「うう……」
涙が込み上げ、口元を押さえる。
飛び付いて……、抱き付きたい衝動に駆られたが、そうしてしまえば、何もかもが壊れてしまいそうな気がして思い留まった。
思えばおかしい事だらけだった。
本来なら一緒に住んでいて真白の体に気が付かないはずはない。知っている素振りもないのに、母は一度も耳当てを外せと言った事はなかった。
それも真黒の言うシステムのせいかもしれないが、真白は母の気遣いのように思えてならなった。
しばしの間、何も考える事も出来ず、ただ母の横顔を眺め続けた。
◇
「もう、いいのか」
「うん。こうしててもしょうがない。早く身体を治さないと。治せば思い出してくれるんでしょ?」
真黒ははっきりとは肯定せず、曖昧に頷く。
その様子に若干不安を覚えるものの、意を決したように前を向く。
「それで、ここで何を調べるの?」
「幸人の行動だ」
と言って刀の柄に手をかけ、少し引いて刃を露出させると、刀に彫られた文字が目まぐるしく明滅した。
室内に異変が起こる。
リビングの食卓に立体映像のように人影が浮かび上がった。色が淡く少し透けているようで、時折ノイズのように歪む。
「狭間にはその空間の出来事が記録されている。過去になればなるほど情報が上書きされて劣化していくが、数日前ならほぼ完全に再現する事が出来る」
その映像は食卓で団欒する真白と母と、……父?
真白は今とほとんど変わらない。ほんの数ヶ月前だろう。映像の中の真白が着ている服は、一年前には持っていなかったものだ。
その真白が、父と仲良く語らい合っている。
真白は口元を手で覆って膝を付く。そして目からは涙が溢れ出した。
「思い出した……。そうだよ。私、お父さんとずっと一緒に暮らしてたんだ」
その後もいくつかの場所で過去の
真白は理解した。
真白が父の事を忘れていたように、母も自分の事を忘れているのだ。
過去に多くの穴が空いているのに、それを気にする事も無く適当に穴を取り繕って、何事も無く生きていたのだ。
ずっと前に死んだ事になっているのか、それとも元々生まれなかった事になっているのか、システムは一番帳尻の合わせやすい形で事実を改ざんするのだと真黒は説明した。
一瞬でも母や友人達に非情さを感じた自分が恥ずかしくなってくる、と真白は顔を覆う。これは彼らのせいではないのだ。
庭に出て残滓を見ていると、映像の中の真白が何かで遊んでいるように動く。
まるで生き物がそこにいるかのようだが、再現映像には真白しか映っていないので何をしているのかは分からない。
「これは……何をしてるの?」
自分の事なのに変な感じだ、と思いつつも真黒に聞いてみる。
真黒が刀に注意を向けると、新たな映像が現れた。
真白がかがみ込んで手を出す先には白いふわふわの、
「犬?」
小型犬、ホワイト・テリアという犬種のかわいい犬だ。真白によく懐いてじゃれついている。
「あ……ああ」
真白はまた涙を流す。
「思い出した。私には……、友達がいたんだ」
小さい頃から一緒に育った、一番の親友。よく一緒にお風呂に入り、どんな悩みでも打ち明けた。
そして犬が愛嬌を振りまく度に揺れる耳と尻尾には覚えがある。記憶の中ではなく、最近まで鏡で見ていた自分の姿。
真白はうずくまって嗚咽した。
そんな事まで忘れていた自分が許せなかった。
これは、「チャッピー」のものだったんだ。ずっと、一緒にいてくれたんだ。
顔を上げ、映像の中のチャッピーを見ると、過去の残滓のはずの映像はまっすぐに真白の方を見た。
そして歯を見せてニタッと笑う。
「あ」
犬の歯ではない、まるで人間のような顔。
また例の幻覚? それとも……。
◇
「後はここだけだが……」
と真白達がいるのは家に付いているガレージ。もっとも車は無いので倉庫として使われている。小さな裸電球が一個あるだけの薄暗い部屋に、工具などが並べられた棚がある。
埃っぽく、ほとんど使われていない様子だ。中央には何も置かれていない。
真黒は刀に手をかけ、彫られた文字を明滅させる。
「アタリのようだ」
真黒が言うと閉じたシャッターから幸人の映像が現れ、真白を通り抜けて部屋の中央へと歩く。
幸人は重そうに抱えていた大きな荷物を、大事そうに地面に横たえる。
それを見て真白は目を見開く。
横たえられたのは、女の子。
若干幼児体系だが高校生くらいのその少女は、
「私?」
紛れも無く真白だった。気を失ったように動かないが、片耳が削げるように欠損して血みたいな塊がこびり付いている。
色が違うのでよく分からないが「大怪我」をしているのは明白だ。
外に出て、再び戻ってきた幸人は、犬と刀を持っている。犬は真白と同じようにぐったりして動かない。刀は真黒が持っている物と同じだ。
ざりっ、と映像が大きく乱れた。
ノイズが大きくなる映像の中で、幸人は自分の手首を切り落としたように見えた。
だが、断面から血が噴出す事は無い。映像の乱れのせいか? と見ていると幸人はチャッピーにも刀を突き立てる。
チャッピーの体は粒子のように分解して消えた。
そして、より乱れる映像の中、幸人は真白の身体にも刀突き立て……、
「ここまでだな」
映像は途切れた。
「狭間に関する出来事だからだろう。修復、というより消去が激しい。欠損を補いながら再生したから事実と同じかどうかは分からないが……」
「ねえ」
真黒の言葉を少し強い口調で遮る。
「私は死んだの?」
事実と異なるかもしれない、と真黒が配慮した事でよりその確信が強くなった。
真黒は答えない。
「死んで。生き返ったの? 真黒言ったよね? 死んだ者も狭間に行くんだって。真黒は、狭間から色々取り出して見せたよね? 私は……狭間から戻された死人なんじゃないの?」
あれは大怪我などではない。全く呼吸が感じられなかった。
「私は……」
と言って崩れ落ちる。
「いや、狭間から生物を取り出した事もある。それと君は明らかに違う。君はフレームを越えられる。それは生きているって証拠だ」
そう言われても慰めにもならない。
「真黒は……知ってたんじゃないの?」
涙しながら責めるように言ってしまう。
「予想はしてた……。というよりそれ以外にドールがここまで追ってくる理由が無い」
真白は声を上げて泣き始める。自分の死を悼んで泣くというのも変な気分だ。
「生きている者でも、システムに都合が悪ければドールは消しに掛かる。死んでいても差し障りなければドールは何もしない」
真白は再生時に犬から欠損部分を補ったのだろう。幸人が意図してそれをやったとは思えないので、真白で実行する前に試したのか、とにかく真白とチャッピーは混ざり合った。
そして幸人は自分にも狭間の力を使い、ドールに自分を消させた。幸人の存在そのものが消えれば、幸人の行動も消える。そうする事でドールから真白を守ろうとしたのだろう。
しかし修正が完了するまでの間、ドールは真白を狙う。それを予想していた幸人は真黒に守ってくれるよう頼んだのだ。
普通ならば真白の耳も尻尾もシステムによって次第に修正され元に戻るはずだ。その間を守りきれれば元の鞘に収まると踏んでいたがそうはならなかった。
それは真白もチャッピーもまだ生きているから帳尻が合わないのだろう。帳尻を合わせ切れないと判断したシステムは抹殺の為のリペアドールを寄こした。どちらも死んでいるなら放っておいても消滅するし、フレームを越えられないはずだ、と真黒は説明する。
「君も犬も死んですぐだったから、本体の情報……つまり命が失われていないんだろう」
「そうか……。チャッピーは私の中にいたんだね」
胸に手を当て、自分の中の親友に語りかける。
その瞬間「ニタッ」と笑うイメージが頭を過ぎる。
はっとなって手を離し、
「やっぱり、チェシャは私の中にいるチャッピーが、私に語りかけていたんだ」
だから真黒にも存在が分からなかった。
『ダメだよ。僕達は存在しちゃいけない』
チェシャは語りかけるだけで、真白の質問には答えない。それはチャシャ……チャッピーが犬だから、コミュニケーションが取りにくいのだろうか。
真白を心配するチャッピーの想いだけが、ノイズのように真白に混ざっているものなんだろうか。
「死んだ者は、死んだままでいる方が幸せだ、と言いたいのかな。ドールに消してもらった方が……いいのかな? そうすれば生まれ変われる?」
「いや、リペアドールが直に襲ってくる以上、消されれば最初からいなかった事になるだけだ。生まれ変わりと言うのは情報の使い回しだが、ドールに抹消されれば高い確率で完全にこの世から消えてしまう」
そっか、と力なく呟き、真白が見たチェシャのイメージの事を話す。
「初めに消してもらえと言ったのは、あの頃なら本来の自然な流れに戻れたかもしれないからだろう。だけど、俺と離れる事を勧めるのは理解できないな」
「ふふ、それはヤキモチだよ。あの子、私が他の人と仲良くしてるとすぐ吠え掛かるんだよ」
と少し顔を綻ばせて言う。
「時間はかかるが、君自身がムラサメを使えるようになれば、チャッピーを引き離して体を元に戻せるかもしれない」
「引き離したら、チャッピーはどうなるの?」
「消えてしまう、君の記憶からも。そして幸人の事も」
真白は隅に転がっているボールを拾う。これでよくチャッピーと遊んだ。
「その刀。私に使えるようになる?」
真白には素数の意味も思い出せない。
「俺は……十年程かかったが」
真白はボールを手持ち無沙汰のように回してみたりする。
真黒はそれ以上何も言わず、しばし静寂が訪れる。
「いいよ」
ボールをいじっていた真白は、突然を静寂を破る。
「このままでいい。チャッピーも、お父さんの事も忘れたくないもの。そりゃ、みんなにも思い出してもらいたいけど、私も本当なら死んでるんだし」
ボールを見たまま独り言のように言う。
「真黒も十年以上、一人でこうしてきたんでしょ? これからは二人」
顔を上げ、屈託のない笑顔を向けるが、その顔はどこか寂しそうだ。
世界に関わろうとしなければドールも抹殺の必要はなくなる、だからその意見に真黒は賛成だ。だがここに来て真白の生活を見た後では手放しに喜べない。そういった複雑な表情で真黒は俯く。
「もう行こう。色々教えてもらわなきゃね。……そうだ、もう一度お母さんの顔見て行っていいかな」
そう言ってガレージを出て、チャッピーが消えた場所でもあるガレージの中を振り返る。
「大丈夫だよ、チャッピー。私は真黒と一緒に行くけど、チャッピーは私と一つなんだもん。チャッピーが一番だよ」
ガレージの明かりを消すと、棚の上に歯だけがニタリと光る。
それ以降、真白がチェシャの姿を目にする事はなかった。
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