第34話

 今日だけでどれぐらい走っただろう。降りしきる雨の中、コンテナとコンテナの間を縫うように行く。荒い息の合間に佐倉が言った。


「子供達は島の外に出て、香港に入る手はずになってる。どのコンテナかは私にもわからない。けど、船首の方にある『エバーブルー』のコンテナのどれかだと思う!」


「わかりました!」


 ちとせが光球を六つ、船の頭の方に向けて放つ。これで見つかれば——という思いと共に兜人はちとせを見つめた。


 前方に神経を集中させていたちとせが、はっとして息を呑む。


「人が一人いた。でも北条ではないみたい……」


「北条が雇った者かもしれない。一般人オーディナリィのあいつが一人でいるはずないもの」


 確かに佐倉の言う通りだ。そう内心で頷いていると、ちとせがさらに声を上げた。


「あっ——近くに『エバーブルー』のコンテナ!」


「罠かもしれません」


 佐倉が自分を何もないコンテナへ誘い込んだように——とまでは言わなかったが、兜人はそう進言した。しかしちとせは足の速度を緩めない。


「罠なら罠でけっこー! 手がかりは逃しませんっ」


「了解です。なら、突入しましょう」


 ずらりと並ぶコンテナのその先にある『エバーブルー』の英字を、兜人もまた視認した。ちとせが指し示したのはまさにそのコンテナだった。


 と、光球がちとせの元に素早く戻ってくる。


 同時に別のコンテナの影から全身黒ずくめの男が三人、飛び出してきた。いずれも目出し帽で表情を隠している。


「下がって!」


 ちとせが叫ぶ。光球が兜人ら三人を守るようにずらりと頭上に並んだ。


 刹那、別のコンテナがひとりでに浮き上がり、こちらに向かって突撃してくる。


 がぁん、と頭の中を揺さぶるような金属音がした。光球がコンテナと激突し、攻撃を防いだのだ。


「——遠隔念動力テレキネシス!」


 術者によって動かせるもの、発動の条件などは違えど、シンプルかつ最強の異能力が念動力サイコキネシスである。さらに手を触れずに操作できるものを遠隔念動力テレキネシスという。しかもあの重いコンテナを動かせるほどとなれば、進行度が高いのは想像に難くない。


 コンテナをどかすと同時に、その向こうから別の男が飛びかかってきた。さっきまで一番遠方にいた男だ。いくら飛んできたコンテナに対処していたとはいえ、すぐさま肉薄できる距離ではない。


 おそらくは瞬間移動能力者テレポーターだ。


 男の手には光るものが閃いていた。刃が分厚く、凶悪なコンバットナイフがちとせを狙う。


「くっ……!」


 ちとせが避けようとした瞬間、ぎぃんと何かがぶつかる音がした。ちとせと男の間に割って入った佐倉が酸素で作り出した刃でナイフを受け止めていた。


「とりました!」


 一歩引いたちとせが叫ぶ。同時に光球の一つが男の体の側面を横殴りに襲った。「ぐあっ」と短い悲鳴を上げ、男は甲板の上をすっ飛んでいき、そのままぐったり倒れ伏した。


「佐倉とかいったな。貴様、裏切ったか」


 遠隔念動力テレキネシスの男は淡々とそう言うと、細かく光る何かを幾重にも空中にばらまいた。


「ネジ……?」


 目を細めて見る限りそう見えた。ネジと遠隔念動力テレキネシス——ということは。


「危ない!」


 ちとせの光球がずらりと並んで盾を作った。佐倉も酸素を集めて層を作り、兜人はというとちとせの背に強引に匿われた。


 次の瞬間、ガガガガガッ、と激しい打撃音がそこらじゅうに響き渡った。まるで散弾を雨あられと受けているかのような衝撃だ。防御しきれなかったものがちとせの制服の袖を裂き、佐倉の頬に傷をつけ、兜人の右耳あたりをチッと音を立てて掠める。甲板の床を砕き、跳ね、ネジは凶悪に暴れ回る。


 それが一段落ついたころには、散々たる有様だった。一帯のコンテナのいたるところに穴が空き、船体自体も傷がついていた。銃撃が止んだと悟るや否や、立ち上がったのはちとせだった。


「んもー、なんてことするんですかぁ! さすがに怒りましたっ」


 間延びした声には相変わらず緊張感というものが感じられない。しかしちとせの怒りは本物だった。兜人と佐倉にだけ聞こえるように「目を瞑ってて」と囁くと、光球の一つを頭上に飛ばした。


「——発光らいとにんぐ!」

 ちとせが命じると、空高く上がった光球がまるで曇天に突如現れた太陽のごとく発光し始めた。兜人は慌てて目を瞑るが、その光量は瞼の下からでも分かるぐらいだ。


 そして、


「からのぉ——爆発えくすぷろーど!」


 あのいつぞやに見た大爆発が男を襲った。


「ぐああっ!」


 と叫び声が上がる。兜人が目を開くと、男はコンテナの上から落下していた。死ぬような高さではないが全身をしたたか打ち付けたのだろう、気を失ったように動かなくなった。


 ちとせは残った一人に向け、ふふん、と胸を張った。


「さぁて、まだやりますか? 言っときますけど私はそこそこ強いんですよぉ」


 兜人からしてみたら『そこそこ』という程度ではない能力のような気がするが。


 しかし、残った男もまだ仲間がやられたのを見て後には引けなくなったらしい。


 隠れていたコンテナから離れてゆらりと歩き出すと、まるで散歩でもしているかのようにこちらへ向かってくる。


「……投降? ですよね?」


「違うと思います、先輩」


 その不気味さに若干引き気味のちとせに、兜人は容赦なく突っ込みながら、油断なく男を見つめた。半身に構えた姿勢に、脇を締め、固く握られている拳。あれはおそらく何らかの格闘術を会得している者だ。つまり接近戦に持ち込まれては相手の思うつぼである。


「離れてください。危ない——」


 そう兜人が言った瞬間、男が急に距離を詰めてきた。兜人はとっさにちとせを突き飛ばす。男の拳が兜人の顔面に襲い来る。右に傾けて避けようとしたその時、拳はまるでそれを予期していたかのように引っ込められ、もう片方の拳が兜人の腹を襲った。


「ぐ、はっ——!」


 反射的に後ろに跳んで威力を相殺したものの、ボディブローの重みは消えなかった。なすすべなく甲板を転がる兜人にちとせが悲鳴を上げる。


「兜人くん!」


「だ、めだ。来ないで。離れてください!」


 左に転がって第二撃を避けようとしたところで、またもそれを読んでいたかのようにどてっ腹に蹴りを入れられる。呻いたその喉の奥から血の味がした。


「この!」


 腹立たしげに叫んだのは佐倉だった。かまいたちで男の側面を狙うが、それもまたゆうゆうと避けられる。


 おかしい、と兜人は思った。いくら勘がいい格闘家といえども、一顧だにせずあのかまいたちを躱せるものか。


予知能力プレコグニション——」

 兜人がそう呟くと、目出し帽の向こうで男の口元がにやりと吊り上がった。

 この予知速度、そして精度————進行度が高く、そして超短期的な予知能力プレコグニションの持ち主だろう。それと格闘術の組み合わせがいかに危険か、ここにいる誰もが分からないはずがなかった。


 立ち上がった兜人を男の拳が再び襲う。予知能力プレコグニションに対抗するにはもはや勘に頼る他ない。一手目をはたき落とし、二手目を飛び退って躱し、三手目は間にちとせの光球が入って防ぎ、兜人はなんとか距離をかせいだ。


 どうすればいい、どうすれば——


 予知できないもの。


 未来の分からないもの。


 はっとして兜人は自分の手を見つめた。


 黒い革手袋に包まれた右手をぎゅっと握りしめる。エアガンはもうない。だが、蓮華の実験室で行った発火能力パイロキネシスのイメージの収束、それが道具無しでも実現できれば。


 兜人はすっと右手を前に出した。親指を立て、人差し指を前に差し出し、後の指は銃把を握るがごとく折り畳む。


 熱い、と兜人は思った。右手全体が焼けるように熱い。


 はっと息を呑む声が遠くから聞こえた。


「兜人くん、使っちゃだめ……!」


 ちとせの心配を振り切るように、兜人は再び集中した。この右手に宿る熱を収束させる。いつもならばらばらになってしまう力を掌に、そして肉を伝い、骨を伝い、人差し指のその爪の先にまで——集めきる。


 敵は急に戸惑ったように動かなくなった。


 そうだ、動けるものか。予知能力プレコグニションに頼ってきたお前には。


「来い……」


 成功するか、失敗するか。


「来い——」


 敵を焼くか、己を焼くか。


「来い——!」


 そんな賭けに立ち向かえるものか——!


 ぶわっ、と生まれた熱が前髪を煽った。目を見開くと伸ばした人差し指のすぐ近くに火球が渦を巻いていた。だがそれは不安定な動きをしていて、目に見えて歪な形だった。


「う、ぐっ……!」


 手と言わず、腕と言わず、体全体が熱い。集中を切らせたが最後、炎は狂犬と化し瞬く間に主である兜人を襲うだろう。だが兜人は止めなかった。諦めなかった。


 例え、内なる炎がこの身を焦がすとしても。


 ——そんな痛み、とうに知り尽くしている。


 何かを感じ取ったのか、急に男は兜人に向かって走り出した。


 指に、腕に、体全体に熱が回る。


 きっと男は兜人が異能力の発露に失敗し、火に巻かれる姿を視たのだろう。


 だが兜人は双眸をかっと見開くと、全ての熱を再び指先に集約させた。


「——発射シュート!」


 兜人の渾身の叫びが右手に乗る。


 刹那、炎は龍のようにとぐろを巻いて天に昇った。重たく塞がった雲を貫くがごとく照らした炎は、そのまま男の体にまとわりついた。


「……っ!?」


 男は驚愕の声を上げた。——そう、失敗したのだ、未来予知プレコグニションが。


 どんなに進行度の高い予知能力者プレコグネーター)でも百発百中未来を読むことは出来ないとされる。


 それは未来が必ずしも定まっていない、という表れである、とも。


「あああああ!」


 炎に巻かれた男はその熱量に絶叫した。服が幾重にもなる火の輪にじりじりと灼かれていく。兜人が半狂乱になる男を前に脱力したまま動けないでいると、


「はいはい、落ち着いてくださ〜い!」


 まるで子供を引率する教諭のごとく、ぱんぱんと手を叩いたのはちとせだった。彼女は光球の一つを使って男の体を持ち上げると、そのままぽいっと海へ放り投げた。


 派手な水柱が上がり、船の甲板を水しぶきが叩く。


「……ぶはぁ!」


 男は光球を抱いたまま、無事に浮き出てきた。兜人が放った炎はすでに鎮火しており、髪の毛の端やコートの袖が少し焦げただけで済んだようだった。


 すぐそばの船体に麻縄でくくりつけられている浮き輪があった。佐倉がかまいたちで縄を断ち切り、海に落とす。


 ちとせは船の柵に寄りかかり、男に向かって叫ぶ。


「すみませんが、少しの間浮いててくださーい! 救助は多分来ると思いますので〜!」


 護岸と船体に当たっては跳ね返る波に翻弄され、あっぷあっぷしている男に届いたかどうかは分からない。が、浮き輪があれば大丈夫だろう。


 ようやく力が戻ってきた体を起こし、兜人はちとせに礼を言った。


「ありがとうございます、ちとせ先輩。……その」


 謝るべきか否か逡巡していると、ちとせは冗談めかすように片目を閉じてみせた。


「兜人くん、ないすふぁいと! まぁ、多少の無茶は……目を瞑りますっ」


 ほっと息をつく。兜人は自分の右手を見つめた。革手袋の先端が破け、人差し指の爪が真っ黒になっている。指先もひりひりとしている。どうやら火傷したようだ。


 まだまだ、自分の力だけでは異能力を制御しきれていない。


 自戒を込めて、右手を握りしめる。


 と、佐倉が駆け寄ってきて、兜人とちとせの肩を叩いた。


「二人とも。——あそこを」


 緊張に漲った声を聞き、佐倉が指し示す方向を振り返る。


 そこには——ついに探し続けていた、一人の男が立っていた。

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