第7話

 ちとせがパチパチと拍手を送る。薫も悪い気はしていないらしく、少し誇らしげに鼻の穴を膨らませていた。これを自分がやると途端に嫌味っぽく見えてしまうのだろうな、と思った。まぁ、やらないが。


「だろ? なのに、たったあれだけのことでクビになるなんてさ……」


「たった、あれだけ?」


 ちとせが話の先を促すと同時に、兜人は『訴因』の欄にペンを移動させた。


「——そうだよ。ちょーっと、園児のおやつをつまみ食いしただけなのに!」


 夕方のお茶会に沈黙が降りた。


 兜人はおろか、それまで冷静に話を聞いていたちとせもぽかんとしている。


 テーブルを挟んだ向かいでは、むっつりと頬杖をついた薫が二人の言葉を待っている。


「え、えーとぉ……」


 お優しいちとせはなんとか言葉を探しているようだった。兜人はペンを置き、耐えきれないとばかりに口を開いた。


「つまみ食いしたんですか? 先生が? 子供のおやつを?」


「だ、だって気になったんだもん!」


 さすがは精神感応者サイコメトラー、こちらの沈黙を呆れた故だと理解しているらしい。いや、そうでなくとも分かる、か。


 急に駄々っ子のように手足をばたばたと動かしながら、薫は訴えを続けた。


「いつも出てる美味しそうなクッキーがあってさ。一度、クラスの園児に分けてもらったことがあったんだ。そしたら予想通り美味しいのなんのって。それから小腹が空いたらちょこちょこいただいてたんだ。それだけなんだよ!」


「つまり陰で園児の分のおやつをくすねてた、と?」


「人聞きの悪いことを言うなよなー! あ、あれだよ、毒味だよ毒味ぃ!」


 兜人はじいっと半眼で薫を睨んだ。「うう、どす黒いオーラだよぉ、絶対……」と呻いて、薫はたじろいだ。


「ま——まあまあ。とにかくそれが解雇事由なんですね?」


 場に漂った緊張感を取り払うように、ちとせのゆったりした声が二人の間に割って入る。薫はもじもじと指を突き合わせて、決まり悪そうに言った。


「わ、悪いなぁ〜とは思ってたんだよ。でもたった五回ぐらいのことだったし、弁償もしたのにさぁ」


「窃盗は窃盗でしょう」


「宗谷くん! ……その、窃盗だけど、あれだよぉ。会社のボールペンを一本持ち帰ったっていうぐらい微妙な窃盗だよぉ!」


「窃盗じゃないですか」


 窃盗窃盗と連呼され、薫はしょんぼりと肩を落とした。


「でもさ……それを半年も経ってから蒸し返されるなんてさぁ」


「え? 半年?」


 ちとせが思わずといった様子で首を捻る。薫はカップの縁を指でなぞりながら、ぽつりぽつりと話した。


「うん、園長先生につまみ食いがバレたのは半年前なんだ。ごめんなさいって謝って、代金を弁償して、それで話はついたんだよ。なのに昨日になって、突然あの時のことでクビにするって言われて」


「そうだったんですか……」


「まったくなんだってんだよ。じゃあ、弁償したお金返してよ!」


 盗っ人猛々しいとはまさにこのことである。兜人は盛大な溜息をついて、ついに調書票をテーブルに投げ出した。


 一方のちとせは顎に指を当てて、考え込んでいる。


 この案件のどこに熟考の余地があるというのか。兜人はお人好しに釘を刺すつもりで、ちとせに言った。


「先輩。半年前だろうがなんだろうが、犯罪は解雇事由にあたると思います。大方、彼女より優秀でつまみ食いもしなさそうな新人を雇えた、とかじゃないんですか?」


 占環島でも保育士は人材不足である。一番年かさの異能力者で三十代、もちろん占環島で生まれた子供も多数存在するし、異能力は遺伝するので異能力者同士の子供はもれなく異能力者だ。そして絶対に何かしらの職業に就かなければならない占環島において、本島以上に保育園の需要は高い。


 つまみ食いという罪を犯した薫を即刻解雇したいが、代わりがいない。それがようやく見つかった。


 ただ、それだけのことだ。


 ちとせにちらりと視線を送る。さしもの彼女もこんな不届き者の訴えには耳を貸さないだろう。さぁ、叩きだそうという意味だったが、しかし。


「分かりました。今度、雇用主の方の話も聞いてみますので、連絡先を教えてくれますか?」


「ほんとかい!?」


「ちょっ……先輩?」


 喜び勇む薫とは対照的に、兜人は焦ってちとせを制止する。


「こんな案件にまで絡むんですか、執行官が」


 話を聞くだに、これがさっき言っていた執行官が取り組むべき『緊急性の高い案件』とは思えない。兜人の脳裏に、薫を連れてきた時の安平愛の申し訳なさそうな表情が甦る。


 これ、明らかに面倒くさい話を押しつけられてないか……?


 しかし当のちとせは涼しい顔で、薫に保育園の連絡先を教えてもらっている。


「絡むよ〜、執行官がそう判断すればね」


「そんな……」


「あと、室長は私だけど、執行官にはそれぞれに権限があるの。宗谷くんはどうする? この件、一緒に調べる?」


 間髪入れず、こんな仕事はごめんだ、と返したかった。


 だがちとせの少し試すような表情と、そして薫の期待を込めた眼差しが、一斉に突き刺さる。すると元来の負けん気がむくむくと起こり、気がつけば、


「——分かりましたよ、やりますよ」


 と、まったく正反対の事を口走っていた。


 やった! と囁き合って、ちとせと薫が手を合わせる。兜人はむっつりとした表情で黙り込んだ。すっかりちとせにしてやられたような気がしていた。


 ちとせは執行官の顔に戻って、薫に告げた。


「では、雇用主にも聴取をします。そして労働基準執行官である私が可能だと判断した場合に限り、こちらの相談窓口で調停を行うこととなります。どちらにせよご連絡しますので、しばらくお待ちいただけますか?」


「うん、分かったよ。よろしくね」


 薫は晴れ晴れとした顔で残りの紅茶を飲み干した。ちとせの手が調書票に伸びたので大人しく受け渡す。


「じゃあ、宗谷くん、薫さんを入り口までお送りしてくれる?」


「……はい」


 なんとなく納得のいかない流れになったが、仕方ない。兜人は渋々立ち上がり、薫を労基局の入り口まで送った。


 エントランスを出ると、周囲の建物が黒い影に沈んでいた。


「わぁ、もうすっかり暗いなぁ」


 薫がふと空を見上げたので、つられて兜人もそうする。


 頭上に広がる空は夕闇色のグラデーションに染まっている。空の天辺にはちらほら星が見え始めていた。もう日没が近い。


 では、と薫に短く呼びかけようとした矢先、彼女がくるりと振り返った。


「君……カブトくんだっけ? 君の異能力アンダーはなんなの?」


 島内にいる全員が異能力者である占環島において、異能力アンダーの内容を聞くのは挨拶のようなものだった。それが分かっていながら、兜人は口調に苦々しさを隠せなかった。


「……フェイズ6の発火能力者パイロマニアです」


「へえ、それじゃあ、強いんだなぁ!」


 掛け値無しの褒め言葉に、しかし素直には喜べない。兜人は無意識に掌を握り込んだ。


「ちなみにちとせもそれぐらい強いの?」


「まぁ……そうです」


「ふーん、そっかそっかぁ」


 薫は頭の後ろで手を組み、しばしその場で片足をぶらぶらと遊ばせていた。なんなんだこの時間は、と兜人が少し苛つき始めたその時、薫がつと真っ直ぐに兜人を見つめてきた。


「——頼むね、保育園のこと」


 その真剣な眼差しに、兜人はわずかにたじろぐ。


 結局、小さく頷き返すと、薫は「じゃあね」と軽い口調で言い残し、この場を後にした。


 通りの明かりに照らされ、そして曲がり角の闇に消えていく薫の背中をしばし見送る。


 ……急にどうしたんだ、あのつまみ食い女。


 何かがひっかかり、考えるが、大したことは思い当たらず、しばらくして兜人は踵を返した。


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