第8話
第五番相談窓口に戻ると、ちとせがどこかに電話をしていた。
「はい、はい。では明日。よろしくお願い致します」
丁寧な口調で通話を終え、端末をテーブルに置く。そして帰ってきた兜人に向かって、ちとせはにこりと微笑んだ。
「明日の午後、お昼寝の時間なら会ってくれるって、園長さん。私たちの学校も終わってるし、ちょうどいいね」
占環島の人口を一番多く占めるのが、学生である。特に十五歳以上の学生は学業と就労の掛け持ちになるので、一番忙しいと言える。大抵は午前中に勉強、午後から労働、といったスケジュールだ。その代わり、高校は六年生まで大学は八回生まである。だから高校五年生がいたとしても、別に留年ということではない。いや、中にはそういう者もいるだろうが。
そこへ、キーンコーンカーンコーン、と学校でもお決まりのチャイムが鳴り響いた。
部屋の隅にあるスピーカーを振り返って、ちとせが手を叩く。
「よぅっし、今日のお仕事も無事終わり!」
「じゃあ、今度こそ自分の番ですね」
兜人はちとせにずいっと詰め寄った。
「その頭のいいお友達のところに、案内してもらいます」
「ふふふ、分かってますよぉ」
と言いながら、ちとせはまたもや薬缶に火をかけ始めた。もうお茶はたくさんだ、と兜人が言おうとするのに先んじて、ちとせは片眼をつむってみせる。
「お友達のところに行くのに、お土産は必須でしょ?」
見れば、コンロの横に大きめのマグボトルと袋に入ったお茶菓子が置いてある。どこまで行ってもこの人はお茶会をするらしい。兜人は観念して、湯が沸くのをじりじりと待った。
占環島地下鉄千島線の列車がホームへ滑り込んでくる。等間隔に並び立ち天井を支える柱のそばから、兜人はその様子を眺めていた。
「さ、行こっ」
隣にいたちとせに促され、兜人は彼女に続いて電車に乗り込んだ。
車内は帰宅ラッシュで混み合っていた。乗っているのはいずれも年若い就労者たちだ。その七割が学生服で三割がスーツまたは私服姿である。車内には目もくれず携帯端末をいじっている者、よほど疲れているのか座席で船を漕いでいる者、同僚と楽しげに談笑する者——乗客は実に様々だ。
ふと、自分とちとせはどう見られるのだろうかと思った。暗い地下鉄の壁を透かした窓に、二人の姿がくっきりと映り込んでいる。兜人は学校鞄だけを持って黒いコート姿のまま立っている。ちとせはお茶と菓子の入った小さなトートバッグを片手に、もう片方の手はつり革を掴んでいた。二人とも同じ高校の制服を来ていて、帰宅時に二人で地下鉄に乗っていて——
「宗谷くん?」
「は——いや、はい。なんですか」
つり革に掴まって、こちらを覗き込むちとせに兜人は慌てて返事をする。ちとせは首を捻りつつも、気にしないことにしたようだった。
「このまま終点まで乗るよ〜ってだけ」
「終点……っていうと、港の方まで行くんですか?」
千島線はその名の通り、千島大通りに沿って走る地下鉄である。中央広場から放射状に伸びた千島大通りは、占環島の玄関口とも言える千島港に至る。本島で発見された異能力者は船で千島港に送られる。何を隠そう、兜人も一ヶ月前、船で丸一日かけて千島港に連れてこられた。
電車は二十分ほどで終点の千島港駅に到着した。ここまで来ると乗客もまばらになり、ぱらぱらと降りる人たちに交じって、兜人らも地上を目指した。
長いエスカレーターに乗って地上に出る。空にはすっかり夜の帳が降りていた。占環島がもし無人島であれば、今にも降って落ちてきそうな星空を拝むことができるのだろう。しかしここは島内の玄関口。入管局や異能力研究機構、その他数々の民間企業の社屋が軒を連ねており、今もビルの窓や倉庫群の外灯から煌々と明かりが発せられていた。
「宗谷くんは入管局にも勤めてたんだよね?」
「まぁ、そうですね」
「じゃあ、ここはお庭みたいなもんだ〜」
と言っても、一週間でクビになってしまったのだが。兜人は苦々しい記憶と共に、それを労基局に訴えても薫に負けず劣らずの珍客になるだろう、などと考えた。
広く取られた歩道をちとせと歩いて行く。生温い潮風が絶えず頬を撫でる。建物に遮られて海は見えないが、波の砕ける音がかすか遠く聞こえていた。
「じゃーん、ここでーす!」
ちとせが立ち止まったのは、幅の広い門の前だった。門の両脇には長い長い塀があり、外灯の光が届いてないので終わりが見えない。門から海岸の方に向かって石敷の通路が延びる先に、コの字型をした大きな建屋がある。兜人の通う第一高校は常識的な広さの学校だが、それがゆうに十個は入りそうな敷地の施設だ。
さもありなん、兜人は門に掲げられたプレートを見て、愕然とした。
「
「そう。ここの主任研究員をしてるんだよー。さ、入ろう入ろう」
ちとせに背中を押され、兜人は守衛室へと向かう。守衛の若い男はちとせの顔を見るなり、帽子をとって挨拶した。いわゆる顔パスだ。兜人は門の外から見えていた石敷の通路を歩きながら、呆気にとられていた。
友人に会いにいくからだろうか、今にも踊り出しそうな足取りで歩いているちとせに、兜人は内心で舌を巻いた。フェイズ7、かつ謎多き異能力・
勝手知ったるちとせの案内で兜人は
白を基調とした無機質な壁の廊下を行く。足が滑りそうになるほどぴかぴかに磨き上げられた床に、黒ずくめの自分の姿が映り込んでいる。外から見た時にはどの窓からも明かりが漏れていたが、人がいるのかどうか疑わしいほど静かだ。異能力者という生身の人間を扱うからだろうか、ここにはどこか病院めいた雰囲気があった。
「ここだよー」
言うなり、ちとせは一つのドアの前で立ち止まる。ドアの中央やや上方よりのプレートには『滝杖研究室』と書かれていた。
なんと読むのだろう、と考えていると、ちとせがおもむろにドアを計三回ノックした。
「やっほー、
するとドアの向こうからくぐもった声が返ってきた。
「うむ、空いておるぞー」
どこか気怠げでしかも変わった口調である。このちとせの知り合い、か。一抹の不安を覚えつつ、兜人は招かれるままに室内へ入った。
——偏見かも知れないが、研究者の部屋というものはやや煩雑なイメージがある。
例えば参考文献が山のように積まれていたり、その間から何かしらの書類がぺらりとはみ出していたり。
しかし、この部屋の汚れ具合といったら、思わず顔を背けたくなるほどだった。
本、本、本、本の山。書棚はあるがそこに入りきらない書物が机の上や床に積み上げられ、天井にまで届きそうである。かろうじて棚に入っていたとしても、縦横斜めとまるで秩序のない形で収納されている。ただでさえ足の踏み場のない床には、ほこりと共に丸まった書類や観賞用のミニサボテンなどが転がっていて、さながら場違いな西部劇のようである。
「なんですか、ここ……」
「あはは〜、ちょっとお掃除が苦手な子なの。朝まで仕事してることも多いしね」
ちとせが苦しいフォローをするのに、遠慮呵責なくうんざり顔を浮かべていると、本の山の中からひょっこりと少女が顔を出した。
「苦手じゃないわい。これが完璧な、秩序の保たれた我が研究室なんじゃい」
それは小学生と見まがうほど、幼い子供だった。
いや、小学生だ。絶対小学生だ。だって背が低いし、おかっぱだし、手足もひょろひょろで、白衣の袖は何重にもまくり上げているし。第一高校の制服は明らかにぶかぶかだし。ちとせのスカートが膝丈超なのに対し、彼女——滝杖蓮華というのだろう——は、ふくらはぎの半ばまで裾がきているのだ。
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