第一章 ティールームへようこそ

第1話

「——困った子よねえ、君も」


 部屋の奥に位置する大窓から、強い昼の日差しが差し込んでいる。マホガニー材の立派な机に頬杖をつき、嘆息混じりにそう呟いた青年の姿は逆光の陰にほとんど塗りつぶされていた。宗谷兜人は自分に投げかけられたストレートな嫌味に、ほんの小さく眉を顰めた。


「そうでしょうか」


「そうじゃなぁい? だって、一ヶ月前……十六歳と六ヶ月で突如発現した、発火能力者パイロマニア。しかもその進行度フェイズは高く、すでに6まで達してる。これ、異能力者ウチらの中でも珍種よ、珍種」


 自らの頬をぺんぺんと叩きながら、彼は手元の書類を眺めている。兜人はすかさず言い返した。


「あなたには負けると思います、芽室めむろ生徒会長」


「やっだぁ〜、うまいこと言うじゃない——って誰が珍種だ、ゴルァ」


 いきなりの重低音と共に、芽室めむろ聡輔そうすけは親指と中指でピン、宙と弾く。すると机の上に置かれていた消しゴムがひとりでに浮き上がり、兜人の額めがけて飛んできた。こん、という軽い衝撃に兜人は盛大に眉根を寄せる。フェイズ6の遠隔念動力テレキネシスの大層な無駄遣いであった。


「——と・に・か・く」


 閑話休題とばかりに、芽室はぱんぱんと手を叩き合わせた。


「この数十日間、島の各機関で実践研修OJTしてもらったけど……。警察も駄目、入管局も駄目、税関も駄目じゃ、行くところがないわよ。あっ、消防署は——って、能力的に論外だわ」


 兜人は俯き、じっと足元を睨んだ。この芽室が生徒会長を務める、占環第一高校の制靴が黒光りしている。


「いくらフェイズ6でも……その能力を制御できないんじゃあ、ね」


 芽室の醒めた表情から逃れるように、兜人は壁際の本棚に視線を巡らせた。


「自分は構いませんよ、職無しでも。外にいた頃と同じく、普通に高校生活を送るまでです」


「だからぁ、占環島ここではそういうわけにいかないの」


 芽室の人差し指がすいっと動く。彼の頭上に飾られていた額縁が、音もなく壁から外れ、すうっとその両手に収まった。


「当然、知ってるわよね。占環島の創立理念」


 そこには太字の楷書体で書かれた、三つの熟語が毅然と記されている。


 一、自立


 二、自活


 三、労働


 簡素かつ簡潔なその理念を、兜人は苦い食べ物でも見るような目つきで黙読した。


「入管局のレクリエーションで口酸っぱく言われたはずよ。ほら、覚えている限りのことを話してみなさい」


 強めの語気に促され、兜人は仕方なく口を開く。


「……三十年前、突如として発生した『異能力者アンダー』たちを幽閉すべく開発された人工島が、ここ東京都占環島です」


 思いのままに物を動かす念動力者サイキッカーに、まだ見ぬ未来を予言する予知能力者プレコグネーター——その他諸々、フィクションの中でしか存在しなかった(または現実に存在を裏付けられていなかった)能力者達が突然、日本で同時多発的に生まれた。それが三十年前、異能力元年とも呼ばれる年である。


 異能力者が発生したのは日本のみである。


 世界から見れば、これまでの科学やパワーバランスの崩壊を招く異物だ。異能力者に向けられるその目が研究材料への好奇にせよ、未知なる者への嫌悪にせよ、厄介なものには変わりなかった。


 日本政府はとりあえず開発途中の人工島・占環島に彼らを送り、閉じ込めた。要するに異能力者の島流しだ。


 政府が異能力者の対応に苦慮している間に、占環島は当然のことながら荒れ果てた。当たり前だ、管理しようにも相手が異能力者ではどうしようもない。監禁したところで念動力サイコキネシスで鍵を壊し、空気圧エアプレッシャーで扉を開けてしまう。進行度フェイズの高い転移能力者テレポーターに至っては、他の離島を伝って自宅に帰りついた事例もある。その多くがまだ幼い子供ということもあり、話も通じないのだから当然である。


 ——そこへ、一人の男が現れた。


 当時、政府が設置した異能力対策本部、本部長の金原哲治という男だ。


 三十代前半とまだ年若いかの官僚の手腕は凄かった。やっとインフラが整ったばかりという人工島に教育機関を設置、異能力に目覚めた行き場のない子供達を育て上げた。


 そして、彼らが十代半ばに差し掛かる頃、高らかに宣言した。


『——異能力者達に告ぐ! 働かざる者喰うべからず、自立しろ、自活しろ、労働しろ!

 それこそが人間の本質であり、君たちの存在意義であり、有用性の証明となる!』


 砕いて言えば、こうだ。


 異能力をいたずらに使うのではなく、異能力を生かしてこの島のために働け。


 それぞれが役目を果たし、占環島の生活を回せたのなら、いずれ異能力者たちは危険分子ではなく有益な存在として、世に認められるであろう——と。


 そこまで話し終えると、芽室は軽く拍手した。


「はい、よくできました。ここまで言えれば分かるわね。この島では十五歳以上の健康な人間は誰であろうと、その能力を生かした職に就かなければならないのよ」


 それが見つからないから——苦労しているのだ。


 兜人は言いかけた言葉を喉奥へ押しやった。自分で言ってしまえば、本当にどこにも行けないような気がして。


「といっても、君の場合……まずはその暴発する能力をどうにかしなくちゃね」


 異能力は進行度フェイズが高いほど威力も高い。そして威力が高ければ高いほど、それに見合った高度な制御能力が求められる。


「ま、普通は遅くても十歳までには異能力が発現して、数年間訓練を受けるのよね。それがフェイズ6の能力が突然、発現したから仕方ないとはいえ……」


 口を尖らせて芽室が差し出した写真には、兜人が出した物損被害の数々が記録されていた。焼き尽くされた留置所の壁に、焼き溶かされた入管局のゲート——いずれも無残な姿をさらしている。前者は脱走しようとした罪人と格闘した末に、後者は不正に入島しようとした密入者を止めようとした末に、である。


「まぁったく、人的被害がないのが奇跡だわ。さてさて、どうしましょうかね。能力的には戦闘向き、危険が伴う現場で生かされる……か」


 んーんー、と唸って写真を弄んだあげく、芽室はぱっと笑顔を浮かべた。


「——よし、決ーめたっと! というか、もうあそこしかないわね」


 兜人は弾かれたように顔を上げ、怪訝な口調で尋ねる。


「まさか……まだあるんですか?」


「アンタの職場? あら、無職フリー決め込みたかったんじゃないの?」


「いえ、別に……。気になっただけです」


「あるわよぉ。もしかしたらそこのツテでアンタの能力制御の件もどうにかなるかもしれない」


「っ……!」


 今度は思わず身を乗り出してしまう。あからさまに兜人の態度が変わったのに、芽室は蠱惑的に唇を歪める。無駄に。


 兜人は若干の悔しさを覚えるものの、好奇心には勝てず、急くように尋ねた。


「どこですか、それは」


「……この占環島でも重要な機関よ。島の三原則の一つ、労働を司るトコロ」


「労働……?」


「ええ。その名も占環島労働基準監督局。中でもアンタには少し特殊な部署に行って貰うわ」


 手を組み、その上に顎を乗せ、芽室は意味ありげに囁いた。


「執行課・第五番個別相談窓口。ある女が仕切る————通称・お茶会ティールームと呼ばれる部署よ」


 もったいぶった態度に苛々が募っていたのも束の間、兜人はきょとんと目を瞬いた。

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