第4話

 ブルーを基調とした愛らしいティーポットから、瑪瑙色の液体がカップに注がれる。コポコポと音を立ててカップを満たしていくミルクティーは、ちとせ自らが茶葉をミルクで煮出した本格的なものだ。


「お昼、まだなんだよね?」


「……はい」


「じゃあ、アフタヌーンティーにしましょう!」


 ちとせは踊り出すような足取りでキッチンに舞い戻った。そしてその下の戸棚に備え付けられている冷蔵庫からなにやら色々と取り出して、こちらに持ってくると、あらかじめテーブルの中央を陣取っていた、三段重ねの皿に(ちとせ曰く、ハイティースタンドと言うらしい)スコーンとクリーム、サンドウィッチにクロワッサン、クッキー、マカロン……様々な食べ物を乗せていく。


 テーブルを挟んで差し向かっている兜人は、ぼさっと椅子に腰掛けて、一連の動きをまじまじと見つめていた。てきぱきとしたちとせの手際もさることながら、この状況は一体何なんだろうと考える。室内はクーラーが効いているとはいえ、まだ暑い南の島で黒いコートを着込んだ男が、猫足のテーブルセットにつきお茶会を始めようとしている、などと。


「さぁ、いただきましょう」


 ちとせに促され、兜人はとりあえず手を合わせて「いただきます」と呟いてみた。それなりに腹は空いていたが、見目良く盛り付けられた食べ物にすぐ手を出すことはいささか憚られた。仕方なくカップを手に取り、ミルクティーをすする。ほどよい温度と口当たりのいいミルクの甘い匂い。それと優しい茶葉の味が、自分でも驚くほど舌になじんだ。


 視線を感じて、つと顔を上げると、カップを満たすミルクティーと同じ色をしたちとせの瞳が、見守るように兜人を眺めていた。


「お口に合うかしら?」


「……ええ、美味いです」


「そっか、良かったぁ。それはね、カモミールをブレンドした茶葉なの。カモミールにはリラックス作用があるのよ。さっき高野さんにもお出ししたの。ここに来る人はみんな、多かれ少なかれ緊張してらっしゃるから」


 労基局の相談窓口に来るからにはのっぴきならぬ事情があるのだろう。そこまで考えて、兜人は自身の肩を少しほぐすように回してみた。


「自分も緊張しているように見えたんですか」


「ちょっとだけね。だって初対面の人間と話すんだもの、当然だと思うわ」


 こともなげにカップの縁に口をつけるちとせに、兜人は悟られない程度に前髪の下で眉を寄せた。


 そんな兜人を知ってか知らずか、ちとせはにこりと微笑む。


「でもお茶を淹れて、こうしておしゃべりしていると、自然と緊張がほぐれていくの。だから私、いつもここに来た人にはお茶とお菓子を振る舞うのよ」


 おしゃべり、か。兜人は先ほどから疑問だったことを聞いてみた。


「よく、俺が宗谷兜人だと分かりましたね。芽室生徒会長から特徴を聞いていたんですか?」


「ううん。あの人、役職の割には大雑把なところがあるから……そこまでは」


 確かに、と兜人は内心でちとせに同調する。ポケットの中で用済みとなった地図が、その言葉を裏付けていた。


「ただ、今から面談の予定は入っていなかったし。それに第一高校の制服を着てる男の子だったから、すぐにピンときちゃったぁ」


 都立占環島第一高校は島内でも特別な存在だ。


 基本的にはフェイズ5以上の生徒しか入学できない、いわば異能力者の中のエリート集団。そこの生徒は島内の公的施設、大企業の重役など、大なり小なり重要な職業に就いている。兜人が生徒会長に公的な仕事ばかり紹介されている理由の一端でもあった。


 急に、ちとせが「あっ」と声を上げた。


「そういえば自己紹介がまだだったよね」


 さっきの騒ぎの最中、身分証まで提示して高らかに名乗り上げていたが——まぁ、遮るには忍びないので兜人は黙っていた。


「私は第一高校二年A組、恵庭ちとせ。気軽にちとせって呼んでね」


 にこにこと笑うちとせに向かって、兜人はあくまでも生真面目に答えた。


「分かりました、恵庭先輩」


「……あれれ〜? えっと、ちとせ————」


「よろしくお願いします、恵庭先輩」


 ダメ押しのように重ねると、ちとせはしゅんと肩を落とした。兜人は素知らぬ顔でミルクティーを飲む。どうせ労基局ここもすぐに追い出される。誰とも馴れ合うつもりはなかった。


「ええと。あっ、先にお仕事の説明しちゃうね。生徒会長からは何も聞いてない?」


「はい。ほとんど、なにも」


 ハムと卵が挟まったサンドウィッチを取る。それを平らげにかかった兜人に、ちとせは改まった口調で一から教えてくれた。


「ここは占環島労働基準監督局、通称・労基局。占環島の生活の中でも大きな割合を占める『労働』を司る役所です。占環島内部だけに適用される特別な法律——占環島労働基準法に基づき、様々な労働に関するトラブルを解決するのが、私たちのお仕事です。えへん!」


 何故最後、胸を大きく張ったかは分からない。無反応の兜人に、ちとせは照れたようにこほんと一つ咳払いをした。


「占環島において、健康な人間は必ず何らかの『労働』に従事しなければならないのは知ってるよね? そういう環境だから公共民間問わず、色々な労働の現場がある。交渉相手によっては、さっきみたいな荒事になることもしばしばなの。そこで登場するのが私たち、労働基準執行官です。えへんぷい!」


 ……スベるのが分かりきっているんだから、やらなければいいのにと思う。


「こ、こほん。えーと、私たち執行官は所属と氏名を明かして『宣言』すれば、いつ何時でも個人の裁量で占環島労基法を執行できることになっています。そういう権限を持っているから、こうやって個別相談窓口を設けて、緊急性の高い案件を処理するわけです」


「さっきの騒ぎもその一つですか」


「うん、そうよ。未払いのお給料を支払うと約束したのに、その誓約書を寄越せって脅されたらしいの。今日、ここで仲裁するはずがあんなことに……。んもう、せっかくとっておきの一番摘み茶葉ファースト・フラッシュを出すはずだったのに」


 そう言う問題ではないと思うが、口には出さないでおいた。


 代わりに聞きたいことがある。


 あの騒ぎの時にちとせが見せた、異能力についてだ。


「恵庭先輩は——星光能力者イルミネーター、でしたっけ。聞いたことのない能力ですけど、あれで進行度フェイズはどれぐらいなんですか?」


 七つの光球のうち、その一つであの爆発力。相当、強力に違いない。兜人と同じか、少なくともその下の段階にある可能性は——


「ああ、私はフェイズ7の星光能力者イルミネーターだよ」


「そうですか。……え?」


 半ば聞き流していた兜人は、サンドウィッチに伸ばしかけていた手を思わず止めた。


「なんですって? フェイズ7?」


「うん、そうだよ」


 あっけらかんと肯定するちとせに、兜人はぽかんと口を半開きにした。


 異能力は発現した後、進行していく。


 実際にフェイズを判定するのは占環島異能力研究機構SUROという入管局の出先機関だ。入島時にはもちろんのこと、一年に一度、異能力者はここでの進行度判定を義務づけられている。


 フェイズ7は現在確認されている異能力の中でも最高ランクの進行度だ。


 明確な進行度の判定基準は今のところ公表されていない。ただフェイズ7ともなれば島内でもほんの一握りの存在であり、その能力は軍の一個大隊に勝るとも劣らないと称されている。


「いつ、フェイズ7になったんですか?」


「えーっとぉ、最初に言われたのがそうだったんだけど」


「最初……から?」


 ちとせの返答に、兜人は呆気に取られる。


 フェイズ7、それも発現した直後からともなれば、希少以外の何物でもない。


「珍種、ですね」

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