第6話

 その場に残されて、ちとせに入室を促されたのは、背の高い少女だった。


 ちとせより頭一つほど大きいその少女は、物珍しげに相談室の中を見回していた。気持ちは分かる。そして兜人同様、彼女もこの愛らしい部屋にはいささか不釣り合いである。ショートヘアーに、日に焼けて浅黒い肌、兜人の記憶にない制服のスカートから伸びるすらりと長い足。午後のお茶会を楽しむというよりは、放課後はテニスコートでボールを追いかけるようなスポーティーな印象を受けた。


 彼女は部屋の中央まで来ても、まだきょろきょろと室内に視線を巡らせていた。


「な、なんだかすごい部屋だなぁ……」


「ふふふ、執行官の特権で相談室の内装は思うがままなんですよぉ」


 ……泥棒だ。税金泥棒がここにいる。


「はじめまして。私は労働基準執行官の恵庭ちとせと言います。それから……」


 ちとせの流し目を受け、仕方なくぼそぼそと答える。


「同じく、宗谷兜人です」


「この第五相談窓口、通称・お茶会に来たからにはもうご安心を。私たちが労働にまつわるトラブルを解決します。さて、まずはお茶をーっと——」


「本当かいっ!? なら、聞いてくれよ!」


 空いてる椅子にどかっと座り込んだ客人に、兜人とちとせは揃って目を丸くした。


「こんなの不当だよ。あたしは不当解雇されたんだっ!」


 よほど怒りが収まらないのか、だん、と強くテーブルを叩く。その度に空のハイティースタンドからスコーンのかけらが零れ落ち、残っていたミルクティーがカップの中で波打った。


「お怒りはごもっともです。が、まずは落ち着いて。お茶でも淹れますね」


 遠慮なくしかめっ面を浮かべる兜人に対して、さすがにちとせは落ち着いていた。よく考えると、ここに来る者は皆、現在の労働環境に不満がある者ばかりなのだ。今までもそう対処していたのだろう、ちとせは一旦テーブルを離れるとキッチンにつき、琺瑯製の薬缶(ケトル)にミネラルウォーターを注いで火にかけた。


「ハーブティーは大丈夫ですか?」


「え……? は、ハーブティー? うーん、そんなおしゃれなものは飲み慣れないけど」


「じゃあ、飲みやすいブレンドの茶葉にしますね」


「あ、ありがとう」


 するとどうだろう、客人は毒気が抜かれたようにちとせのお茶を大人しく待っている。兜人は相談事をするのにハイティースタンドが邪魔になるだろうと思い、上部をひょいっと持ち上げて、ちとせの元に持って行った。


「ありがとう、宗谷くん。シンクに置いておいてね。あ、あと後ろの棚の真ん中の段に調書票があるから、それに従って名前や学校なんかの簡単なことから聞いてみて」


 小声でそう耳打ちされ、兜人は踵を返し棚に向かった。ちとせの言うとおりの場所にあった調書票を手に、テーブルへ舞い戻る。いよいよ労基局での最初の仕事というわけだ。


「では、基本的なことから伺っていきます。名前と学校は?」


「あ、ええと。名前は倉知薫くらちかおる。第四高校の二年生だよ」


「ご職業は?」


 解雇されているなら『以前の』と頭につくが、それが禁句(タブー)であることぐらいは兜人でも分かった。


 ただ、返ってきた言葉はいささか意外だった。


「保育士だよ。五区にある『たいよう保育園』の!」


「ほ、保育士……?」


 さすがに考えていることが顔に出てしまった。兜人の反応を見て、薫が何かを言い募ろうとしたタイミングで——ちとせがトレーを手に戻ってきた。


「保育士さんなんですか? 素敵! 子供達、可愛いですよねえ」


「ま、見た目以上にハードだけどね。でもやりがいはあるよ」


 明るく話す薫の手元に、ちとせがソーサーとカップを置いた。カップの中には瑪瑙色の液体がたゆたっている。湯気が鼻先に触れると、何かの花のような香りがした。


「うわぁ、いい匂いだねえ。なんだか落ち着く……」


「ハーブティーが飲み慣れないということでしたので、ラベンダーフレーバーの紅茶にしてみました。お茶菓子もどうぞ召し上がれ」


 小さめのケーキ皿に乗せて差し出されたのは、アーモンドスライスが乗った飴色のクッキーだった。ちとせが差し出したその菓子を薫は手ずから受け取り、クッキーをかじってお茶を一口飲む。それだけで部屋に入ってきた時とは比較にならないほど、表情が和らいだ。


「ううん、美味しい。このお菓子……フロランタン、だっけ?」


「そうです。私、このお店の焼き菓子が大好きなの。大人気店なんですけど」


「そうだったんだ。そんなに並んで買ったものをいただいちゃってなんか悪いな」


「気にしないでください。お客様にお出しするとっておきのお菓子ですから」


「ありがとう。じゃ、遠慮なく!」


 はしゃぐ女子二人を前にして、兜人は所在なくペンを握るしかなかった。一向に埋まらない調書票をペン先で突いていると、ふいにちとせが薫に尋ねた。


「ところでお困り事なんですけど……。薫さん、保育園、辞めさせられちゃったんですか?」


「うん、そうなんだよ、聞いてよ、ちとせ。昨日のことなんだけどさ——」


 いつの間にか、下の名前で呼び合っている。それに不当解雇とやらの核心の話を聞けそうだ。兜人は薫の話に素早くペンを走らせた。


「急に園長先生から呼び出されて。解雇します、ときたもんだ。これでも子供らに人気あったんだよ? 先生の中で一番動けるしさ。あ、あとあたし、こう見えて精神感応者サイコメトラーなんだ。進行度フェイズはたったの2だから、子供らの調子の善し悪しを視ることができるぐらいなんだけど」


「フェイズ2……調子の良し悪し、ですか?」


「手を触れると、オーラみたいなのを感じるんだよね。赤くなってれば興奮状態だな、とか。黄色なら機嫌いいんだな、青くなってたら風邪引いたかな、とか。その程度」


 超感覚的知覚ESP系の異能力アンダーには詳しくないが、フェイズ2なら確かにそれぐらいかもしれないという能力だ。


 ちなみに異能力は主に二種類に大別される。兜人やちとせのように物体を操る『念動力PK』と薫のような接触性精神感応サイコメトリング予知能力プレコグニションなどを含む『超感覚系知覚ESP』である。これらを総合して『異能力アンダー』となる。異能力者が発生した当初は『超能力PSI』と呼ばれていたらしい。


「自分で言うのもなんだけど、結構保育士さん向きの能力だろ?」


「へええ……まさに適材適所。素晴らしいです!」


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