第20話

 折りたたみ式のテーブルの上に、携帯式のガスコンロが置かれている。五徳を焼き溶かさんばかりの強火が、ごうごうと唸りを上げて吹き出していた。ちとせが持ってきた土鍋にはすでに『寄せ鍋ストレートつゆ』が入っていて、まるで悲鳴を上げるようにぐつぐつと煮立っていた。


 鍋を囲むのは三人の女性である。料理は任せてと言われ、兜人は一人離れ、デスクに備え付けられている椅子に座って、高みの見物を決め込んでいた。


「ここから……どうするか、だね」


「あたし、実はあんま料理しないんだよねえ……あはは」


「案ずるな、調理方法はパッケージ裏に書いておる。料理とはすなわち科学であり実験だ。レシピ通りにすれば問題ない」


 彼女らの表情は真剣そのものである。が、任せておけとの力強い言葉とは裏腹に、相談し合っている内容がかなり頼りない。兜人はちらちらとその様子を不安げに窺いつつも、炊飯器から音が鳴ったので、炊き上がった白米をひっくり返しに向かった。


「レシピっていっても、お好みの食材を入れるとしか書いてないね……」


「お好みだから、ここにあるものを全部ブチ込めばいいんじゃないかい?」


「まぁ、そういうことになるな」


「どれから入れようか……?」


「まずは甘味だな。甘味とはすなわち炭水化物、体のエネルギーとなる糖類のことだ。だから人ならずとも動物は皆、エネルギーを得るための甘味をうまいうまいと好むのだ。というわけで、このスターフルーツを——えいっ!」


 ぼちゃん、という音を背中で聞き、兜人は動かしていたしゃもじを取り落としそうになった。自分も料理に明るいわけではないが、スターフルーツ? いやそもそも、鍋にフルーツ?


「わぁ……! なんか——なんか、ちょっとかわいそう……?」


「スターフルーツってヒトデみたいだから、こう、地獄の釜に罪人が茹でられてるって感じ」


「うむ。続けて投入だ、ちとせ」


「はーい! ええと、バナナでしょ、パパイヤでしょ」


「このビーツとやらはなんだ? まぁ、いいか、入れるか」


 兜人は通り過ぎ様に、鍋の中をちらりと覗き込んでみた。元々透き通っていた出汁はビーツの赤色が滲んでおり、鍋はさながら血の池地獄になっている。その凄惨な光景にさすがの三人も少し首を捻っている。


「なんか、思ってたのと違うね……」


「ま、見た目はアレでも食べちゃえば一緒さ。ここに白菜と春菊と豆腐を入れて、と」


「卵も入れよう。そうれ!」


「ああっ、蓮華ちゃん! 卵は殻、割らなきゃ!」


「何、そうなのか?」


「大丈夫なんじゃない? ゆで卵になるだけだし」


「でも、勢いよく入れたから、中で割れちゃってるよ……?」


「何を言う。卵の殻の主成分は炭酸カルシウムだぞ。骨が強くなるんだぞ」


「そうなんだぁ、ならいっか」


 ここが、限界だった。


「——よくっ、ないっ、ですっっ!」


 むしろよくここまで耐えた。いや、食材達の無念を考えたなら、ここまで我慢すべきではなかったのかもしれない。


「なんなんですか、これ、闇鍋ですか!? 自分で地獄の釜とか言っちゃってんじゃないですか!」


「ど、どうしたの、宗谷くん? 急に怒って……」


「怒りたくもなりますよ、めちゃくちゃじゃないですか。どうして鍋にバナナが浮いてるんですか、どうして寄せ鍋が赤くなるんですか。あと卵の殻は確かにカルシウムでできてますけど、サルモネラ菌がついてる危険性がありますよ!」


「むぅ、確かに。鶏の肛門から出てくるからのう」


「うげげ、そんなこと知ったら食べられなくなるじゃないか」


「……知らなくても、これは食べられません」


 性差別に抵触するかも知れないが——よもや、女性三人が揃ってこんな料理ができあがるとは夢にも思わなかった。フルーツはデザートだと思っていたし、卵はシメの雑炊に使うのだと思っていたし、普通の具材もちゃんとあったからだ。


「どおしよう、宗谷くん……」


 ちとせが例のうるうるとした瞳で見上げてくる。


 兜人は腰に手を当てて、嘆息した。


 どうやら具材の半分は地獄へ墜ちてしまったらしい。が、逆に言えば半分はまだ無事だということだ。


「残りの食材で、なんとかします……」


 かくして、兜人は知恵と工夫と検索エンジンを駆使し、生き残った食材と実家から送られてきた出汁の素や醤油、みりん、酒といった調味料で鍋のベースを作り直した。そこへ白菜、春菊、豆腐、白ねぎ、そしてよくぞ無事だったと言わざるを得ないメインの白身魚の切り身を入れ、沸騰しない程度にくつくつと煮込んだ。


 そして、鍋の蓋を開ける頃には、女性三人の歓声が沸き起こった。


「す、すごおーい! お鍋だぁ……!」


 ちとせがぱちぱちと手を叩く。薫と蓮華はうんうんと頷いて感心している。


「ま、今の時代、男も料理ができなきゃね」


「見事な手腕だったぞ、うちの研究室の助手に来んか?」


「嫌です」


 蓮華のド汚い研究室の光景をさっきの闇鍋に重ねつつ、兜人は即座に首を振った。


「とにかく、いただきましょう〜!」


 ちとせののんびりした声を皮切りに、ようやく鍋パーティが始まった。


 こうして食卓を複数人で囲むことなどいつぶりだろうか、と思いながら、兜人もまた鍋を突いた。再びスターフルーツを入れようとする蓮華の所業や、自分が使っている箸を直に鍋へ突っ込もうとする薫の不届を全力で阻止しつつ鍋を食べていると、さすがに熱くなってきた。


 食事が一段落したところで窓を開ければ、亜熱帯の占環島といえども秋を感じる涼しい夜風がひんやりと肌を撫でる。窓のそばに運良く外灯がないせいか、星がよく見えた。これが冬になれば空気が澄んで、満天の星空というにふさわしい光景が見られるのだろう。


「いい夜だねえ」


 いつのまにか隣に立ち、そう言ったのはちとせだった。狙い澄ましたかのようにすうっと一陣の風が部屋を吹き抜け、彼女のゆったりと波打つ髪を僅かに揺らした。鍋であったまったせいか、ちとせの少し火照った横顔とうっすら汗ばんだ首筋に、兜人はなんとなく星々に視線を戻した。


「そろそろ話してくれてもいいんじゃないですか、先輩」


「何を?」


「こんなことをしてまで——倉知さんを呼んだ理由です」

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