第二章 異能力の証明

第14話

 窓から差し込む朝日が眩しい。


 うっすらと目を開く。腕を伸ばせば手が届きそうなほど近い天井を見て、兜人は自分がどこにいるかを思い知る。本島にある実家の部屋ではない。ここは占環島第一区にある自分のアパート。自分にあてがわれた最上階の角部屋、ロフト付きのワンルームだった。


 枕元の時計は朝の六時二十分を示している。兜人はアラームを消し、布団の上でもぞもぞと上半身を起こした。昔から、目覚ましが鳴る前に起きてしまう性質だった。


 眼鏡をかけると、部屋の様子が鮮明になる。


 寝室としているロフトから見下ろすのは居住スペースだ。八畳の部屋とは別に、キッチン、バスルーム、トイレ、玄関がある。どの設備も真新しく、このアパート自体ほぼ新築だ。第一高校に通う生徒ならば当然の待遇らしい。基本的に異能力の進行度が高ければ高いほど、占環島における就労での貢献度も高いからだ。まぁ——兜人はその例外なのだが。


 布団を畳み、ロフトから降りると、兜人はまず身支度を調え始めた。バスルームにある洗面所で顔を洗い、歯磨きをしている間に、昨晩のことを回想する。


 新しい職場に、みょうちきりんな不当解雇の訴え、拳銃を使った発火能力の制御——色々あったが、やはり謎の男達による襲撃が一番気にかかる。普通なら警察に駆け込むところだが、ちとせが大事にしたくないと言うので、全て彼女に任せた。芽室生徒会長に報せるだけ報せ、焼けた防風林のことも彼が全て処理してくれたらしい。


 泡だらけの口内をすすぐ間に、濡れ鼠になったちとせのことを思い出す。ちとせの本当の家は兜人と同じ地区内にあった。一応玄関先まで送り届けたが、あの後どうなっただろう。風邪を引いていなければいいが。


 洗顔の際に外した眼鏡をもう一度かけ直すと、洗面所の鏡に自分の姿が映っている。寝間着にしているTシャツにハーフパンツ、それと注目すべきはいつもながら芸術的な寝癖か。四方八方に飛び跳ねている髪に兜人は毎朝苦労させられていた。とりあえずいつも通り、洗面所にとりつけられているシャワーで全部濡らしてドライヤーをかけた。


 身支度を一通り終えると、キッチンに出向いて冷蔵庫を覗き込む。備え付けの冷蔵庫にはあまり物が入っていない。魚肉ソーセージがあったので、朝食代わりにそれをかじっておいた。


 制服を着て、手袋をはめ、予備の黒いコートを羽織る。昨日貸したコートについてはちとせが「クリーニングしてから返すね」と律儀に言っていた。


 そこで、あっ、と思い出した。


 携帯端末をちとせに貸したコートのポケットにいれたままだ。あれは携帯電話やインターネット機能のみならず、この占環島において身分証になるものだ。第一高校にはIDパスを使用しないと入れない。


「はぁ……」


 と深い溜息をつき、頭を抱える。


 仕方ないが、通学前にちとせの家へ寄る必要があるようだ。


 現在時刻、七時前。始業時間は七時二十分なので、まだちとせは自宅にいるだろう。早起きが功を奏した形だ。兜人は鞄を掴んで、家を出た。


 学生用アパートが集められている住宅地区は、爽やかな青空の下、目映い日差しに照らされていた。が、湿度も気温もそれなりに高いため蒸し暑い。こういう日はこのコートがさらにうっとうしく感じられる。


 とはいえ、雨でなくて助かった。夏であれば大雨を伴う突風——いわゆるスコールや、海上で勢力を増した台風に襲われる。この島に来たばかりの頃はちょうど晩夏だったため、度重なる豪雨に辟易したものだった。


 兜人は昨日の記憶を頼りに、二ブロック先のちとせの家を目指す。兜人の住む家と同じようなアパートだが女生徒専用とのことだった。兜人はエントランスにあるインターホンで彼女の部屋に呼び出しをかけた。


 コールすること五回。スピーカーからがちゃりと音がした。


『はぁ〜……い、えにわ、でぇ〜す……』


 非常にぼんやりした口調が返ってくる。これは寝ぼけている、とインターホン越しにも分かる声である。寝ていたところを起こしてしまったらしい。兜人は僅かに眉を下げる。が、よくよく考えればもう七時を過ぎている。これはいわゆる寝坊というやつではなかろうか。


「おはようございます、宗谷です」


『そーやぁ……? ああぁ〜、宗谷くぅん。おはよー……う……むにゃあ……ぐう……』


「先輩。恵庭先輩、寝ないでください。昨日貸したコートに端末を入れっぱなしなんです。それがないと学校に入れないんです」


『ええ〜……あぁ、それはたいへん、だぁ……アールグレイせーじんに、タルトタタンこーせんじゅうとは……これいかに』


「あっちの世界に行かないでください、起きてください。とにかくエントランスで待ってますから!」


『あ〜……あいあいさぁ〜……』


 非常に不安な返答を寄越して、通信が切れた。本当にちとせは来るだろうか。エントランスの床をつま先で叩くことしばし。果たして、ちとせはやってきた。


「あ〜、宗谷くぅん、おはよう」


 どうやら少しは目が覚めたようで、さっきより口調ははっきりしていた。


 しかし、その格好を見て、兜人はぎょっと目を剥く。


 ピンク色の可愛らしいパジャマ姿だった。寝起きの兜人ほどではないが、ところどころ寝癖がついている。頬にはシーツの皺と思しき痕がついていた。


 それだけでもよくエントランスに出て来られたなという姿だが——極めつけは、パジャマの下である。履いてなかった。パジャマは上半身だけで、その裾からすらりと白い足が伸びていた。裾が長いのが不幸中の幸いか、下着までは見えていない。はず。だがどう考えても直視できる姿ではない。兜人は慌てて目をそらした。


「なっ——んなんですか! 痴女ですか、あんた!?」


「へっ? ちじょ……って、きゃあああ!」


 それで一気に目が覚めたらしい。ちとせは顔を真っ赤にして嘆いた。


「な、なんで脱げてるのぉ!? 夜はちゃんと着てたのに!」


 どんな寝相だ、それは。


 ぎゅうぎゅうとパジャマの前を引っ張っているちとせだが、それはそれで後ろが危険になりそうだ。兜人はありったけの焦りと怒りをこめて、脱いだコートをちとせに投げつけた。


「早く着ろ、バカ!」


「はいぃ〜!」


 先輩相手に思わずついた悪態にも、この場合反論する権利はないだろう。ちとせも素直にコートを身に纏ったようだった。


 それを確認し、ようやく安堵の溜息をつく。まったく二日連続同じ人物にコートを剥ぎ取られるとは思いも寄らなかった。


「というか、なんで着の身着のまま出てくるんですか。火事じゃあるまいし」


「ご、ごめんね。ここ、女子寮だから、何かと気が緩んじゃって〜」


 気が緩むにも程度というものがある。兜人は溜息交じりに釘を刺した。


「そのコートはすぐ返してくださいよ。あと、端末も」


「ら、らじゃー! あず・すーん・あず・ぽっしぶる!」


 何故かびしぃっと敬礼をして、ちとせは部屋に取って返した。あれが今の上司なのか——そう考えるだけで、頭痛の絶えない早朝であった。

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