第15話

 住宅街を抜け、大通りに入った途端、ごうごうと車の排気音が間近に迫ってきた。居並ぶビル群の窓ガラスが朝の光を反射して、きらきらと輝いている。四角く切り取られたビルの陰と柔らかな早朝の日が交互に落ちている歩道を、兜人はちとせと連れ立って歩いていた。ちとせのアパートを出てからこの方、気まずい沈黙が両者の間に落ちていた。が、ついに耐えきれなくなったようにちとせがぺこぺこと頭を下げた。


「ごめんね、お見苦しいところを……。私ってその、低血圧で」


 だから寝相とか血圧の問題ではないだろうに。返して貰ったコートにまだちとせのぬくもりが残っているような気がして、兜人は何とはなしに地団駄を踏みたくなった。


 ただそんなことはおくびにも出さず、兜人もまた頭を下げる。


「いえ、こちらこそ朝早くからすみませんでした。元々、自分が端末を忘れたせいですので」


 弁明すると、そんなに早くはなかった。兜人が起こさなかったら遅刻していたのでは、と言いたくなるほどの時間だった。特に女性は身支度に時間が要ると聞くし、ちとせなぞ普段からのんびりしているから常人の倍はかかりそうだし。


「ううん、兜人くんが来てくれなかったら、遅刻してたよ。よかったぁ」


「……やっぱり」


「え?」


「いえ、別に」


 ほどなくして、第一高校の校門が見えてきた。高校に近づくにつれて歩道に行き交う生徒の数も多くなっていく。とはいえ、第一高校はフェイズ5以降の生徒が通う学校だ。例えばこの島に来る前に兜人が通っていた本島の高校の生徒数からすれば、少ないとさえ思った。


 その中に見知った後ろ姿を見つけ、兜人は内心で、げっ、と毒づいた。兜人と同じチェック柄の夏服を着たその男子生徒は、はかったようにこちらを振り向いた。


「おおー、カブちゃん! おっはー!」


 わざわざ踵を返してまで走り寄ってくるクラスメートに、兜人はうんざりと視線を投げた。


 さっぱりした短髪に精悍な顔立ち、にこにこと浮かべる笑顔は快活そのものだ。兜人の背丈は百八十弱だが、それに勝るとも劣らないスタイルである。そして見て分かる通り兜人に比べて人当たりが良い。これで……


「って、なんだよその隣の美女は!? つかカブちゃん、まさか、朝帰り!?」


 これで口を開かなければ、さぞかし女性に人気なのだろうと思う。


 兜人は唇を引きつらせて横を見た。しかしちとせは目をぱちぱちと瞬かせて、きょとん顔を浮かべている。相手が天然ボケのちとせで幸いした、と思っていた矢先、彼女は何故かきらきらした目で兜人を見上げてきた。


「私もカブちゃんって呼んでも——」


「絶対駄目です。栗山、お前にも許可した覚えはない」


 眼鏡の奥から眼光鋭く睨むが、彼はまったく無視してちとせを熱く見つめていた。


「一年A組、栗山晋平っす! 気軽に晋ちゃんって呼んでください!」


「二年A組、恵庭ちとせっす! 仲がいい子にはちーちゃんと呼ばれてるっす!」


 おおー! と意味不明の歓声を上げ、互いが互いに握手する。ちょうどいい、二人で仲良く登校して貰おうと足を速めようとしたその時、晋平にがしっと肩を組まれてしまった。


「水くさいぜ、カブちゃん。相棒のこの俺に黙ってるなんて」


「何がだ」


「どこで見つけてきたんだよ、こんな美女。このトゥ・シャイ・シャイ・ボーイめ!」


 どうでもいいが、この男、同い年のくせに言ってることが微妙に古くさい気がする。


「恵庭先輩は俺の上司だ。昨日からの」


「え、上司? 仕事の? カブちゃん、仕事見つかったん? どこ?」


「労働基準監督局。俺と先輩は個別相談窓口の労働基準執行官だ」


 兜人の肩を捕まえた格好のまま、晋平は呆気に取られたような表情で、ちとせを振り返った。


「……そ、そんなスゴイ人、なんすか?」


「はーい! 君もお仕事先で何かあったら、私のお茶会(ティールーム)までどうぞ」


 ちとせが差し出した名刺を、晋平は茫然自失の体で受け取った。この男にしては珍しく真剣な眼差しで、ちとせと名刺を見比べている。お気楽な彼にあるまじき態度だった。何とはなしに気になって、兜人は声をかける。


「もしかして、職場で何か……」


「か——かっけーっす! 痺れるっす!」


 急に身を乗り出した晋平に、兜人は今度こそ無視を決め込んだ。心配したこっちが馬鹿だった。


「えへへ、それほどでもぉ」


「ちーちゃんが聞いてくれんなら、相談行っちゃおうかなー。俺もいつ不当解雇に遭うか分からねーもんなぁ」


 偶然にもその不当解雇の相談を受けたばかりだとは、守秘義務があるので言えなかった。


「そういえば、君はどこにお勤めなの?」


「カブちゃんから聞いてないんすか? 相棒の、この俺の話を」


 二人で盛り上がっているなら離脱できるだろうと思ったが甘かった。晋平は兜人のコートの襟をぐいっと掴み、無理矢理自分と並び立たされる。


「俺はアマテラス製薬の研究員っす。こう見えてリケイなんすよ」


「へええ! アマテラス製薬って言えば、大手だよねぇ。すごいなぁ。やっぱり異能力を生かして?」


「ああ、まぁ、そっすね」


「そういえば……お前の異能力って……」


「うん」


「何だっけ」


「がくー!」


 ……やっぱり、古いというか親父くさいリアクションな気がする。


「いや、いやいやいや! カブちゃん、お前の相棒たる俺の異能力を忘れるなんて! んなわけないよね? すっとぼけてるだけだよね?」


「本気で忘れた」


 正直に言えば、聞いたことがあったか? というレベルである。日常生活で異能力を行使することもまずないし。


 晋平はなにげにショックを受けているようだったが、気を取り直したように口を開いた。


「ではでは、そんなカブちゃんのために、朝から晋ちゃんクイズ! じゃじゃん! ヒントその一、まさに宗谷兜人の相棒たるにぴったりの能力で——」


「そうか、分かった。ありがとう」


「絶対分かってねーだろあからさまに興味失うなよ!」


 正確を期すと、最初から興味はないのだが。しつこく言い募ろうとした晋平を遮るように、予鈴が鳴り響いた。すでに正門をくぐっていたにも関わらず、ちとせはわたわたとその場で足踏みし始めた。


「わわっ、もうこんな時間〜! お先に行ってるね〜!」


 と、駆け足していったが、その速度はぽてぽてと遅い。結局のんびり歩いていた兜人と晋平に、昇降口で追い越される始末であった。

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