第9話

「お?」


 子供らしい大きな瞳が兜人を見つけて、きらりと光る。丸みの残る頬が緩み、薄い唇がにやにやと笑みを浮かべる。子供のくせにどこか中年親父のような表情だ。


「おうおう、ちとせも隅に置けんのう。男をとっかえひっかえではないか」


 なんだって? ぎょっとしてちとせを見やるが、彼女は余裕の笑みで返事をした。


「んもー、この前は生徒会長を連れてきただけでしょう? あっ、紹介するね。こちらは宗谷兜人くん。今日から労基局で働いてもらってる、私の同僚だよ。で、兜人くん。こちらは滝杖蓮華たきじょうれんげちゃん。さっきも言ったけど異能力研究機構の主任研究員で、十二歳の女の子なの」


「十二歳……」


 蓮華の実際の年齢を聞いて兜人は驚愕を隠せなかった。しかしそれも束の間、思わず疑問を感じる。


「こう言ってはなんですけど、占環島労基法に違反しているのでは?」


「え?」


「第五六条、第一項には『使用者は、児童が満一五歳及び中学卒業まで、これを使用してはならない』とあります。確かに同条第二項には『前項の規定にかかわらず、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、占環島行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三才に満たない児童についても、同様とする。』……とありますが、朝まで仕事することもあるんですよね? 明らかに『映画の制作又は演劇の事業』ではありませんし『児童の健康及び福祉に有害』では。それと深夜業については六十一条第五項に——」


 矢継ぎ早に条文を言い募る兜人に、ちとせと蓮華は顔を見合わせる。


「口やかましい小姑のようなヤツだのう」


「あはは〜、ちょーっと優等生で真面目なだけなの」


 蓮華の時と同じような口調でちとせにフォローされる。それ気づいてむっと口を噤むと、ちとせが疑問に対する答えをくれた。


「蓮華ちゃんは特例で自由労働が認められているんだよ。それは占環島行政官庁も労基局も許可してることなの。もちろん就学の時間はきちんと取ってるよ。高校には飛び級で、ね」


「まったく研究者に高校も大学もないだろうに。だが役人連中が少なくとも高校は卒業しろとうるさいから、通ってやってるまでじゃ」


「そうでもしないと蓮華ちゃん、朝から晩まで研究するでしょ。それこそ『児童の健康及び福祉に有害』なんだから」


「うむ。授業時間は有り難く睡眠に充てておるぞ」


「んもー、蓮華ちゃんてばぁ」


 臆面もなくそう言い張る蓮華に、ちとせは友人の気安さでぽんと彼女の肩を叩く。どうみても年の離れた姉妹にしか見えないが、正真正銘高校のクラスメートであるらしい。


「あっ、そーだ!」


 そこでちとせが思い出したように手を打つ。ついで、いそいそと小さなトートバッグの中身を取り出した。言うまでもなく、魔法瓶のマグボトルとラッピングされたお茶菓子だ。


「紅茶とお菓子、持ってきたよー。蓮華ちゃんもお仕事一段落したんでしょ? お茶にしよっ」


 この人にかかればいつでもどこでもお茶会になるらしい。それを心得ているのか蓮華もやれやれ顔で頷いた。


「分かった分かった。まったくほんとにお茶が好きなヤツだのう。さすがは『奇幻想的紅茶少女サイケデリック・ミルクティー』の異名を持つ者じゃ」


「……なんですか、そのダサい名前」


「ち、ちちち違うのー! それ、蓮華ちゃんが勝手に言ってるだけなのー!」


 蓮華の冗談に抗議しつつも、ちとせはてきぱきとお茶会の準備にとりかかっていた。本に埋もれているといっても過言ではない部屋の隅から、脚の長い丸テーブルを掘り起こすと、研究室に置いてあった除菌シートでささっと拭き上げる。さらに、いつの間に入れていたのやら、バッグから大きめのレースハンカチを取り出し、テーブルの上にセッティングする。


 その間に蓮華は「どこにあったかの〜」と呟きながら、本棚の下の段を探り出した。やがて発掘されたダークブラウンの紙箱にはティーセットが四客しまいこまれていた。ちとせがほっと安堵の笑顔を浮かべている。どうやら彼女が持ち込んだものらしい。


 青い色のツタの絵があしらわれた陶磁器のカップに、紅茶が注がれていく。兜人に出されたものとも、薫に出されたものともまた違う、たっぷりとした甘い匂いが湯気と共に立ち上った。


「アップルブレンドだな。少しカモミールも入っているか?」


「わぁ、大当たりだよ。もう夜だからね。甘い林檎のフレーバーとリラックス作用のあるカモミールのお茶にしてみました〜。もちろんノンカフェイン!」


「なんか眠りこけてしまいそうだのう。うちの時間はまだまだこれからなんじゃが」


 空いている椅子を持ってきて、テーブルの中央に菓子を広げれば、準備は完了だ。


 兜人にとっては今日三度目になるお茶会が幕を開けた。


 蓮華は意外にもスマートな動作でカップに口をつけると、口と目を閉じて、鼻に抜ける紅茶の香りを楽しんでいるようだった。


「ん〜、なかなかに美味じゃ。疲れが抜けていくわい」


「お茶菓子もどうぞ。蓮華ちゃんの好きなブールドネージュだよ」


 ころころと丸い形で粉砂糖が振られた菓子をちとせが差し出す。蓮華は一粒つまんで口の中に放り込んだ。子供らしい小さな口の中からさくさくと音が聞こえてくる。小さな大福かと見間違えたが、どうやらクッキーの一種のようだ。


「ん〜ん〜、絶品じゃ」


「わぁ、良かった」


 また紅茶を一口飲んだ蓮華は、


「——して」


 と、急に声色を低く落とした。


「ただただお茶をしに来たのではあるまい? そうじゃな……さしずめ、この小僧について相談があるといったところか」


 幼さの残る瞳がちらりと兜人を掠める。どうやら蓮華はちとせに何も聞いていなかった中で、こちらの用件をぴたりと言い当てたようだ。舌を巻いている間にも、蓮華は遠慮なく兜人の頭の天辺から足のつま先までを観察し、推察を披露していった。


「第一高校の制服に労基局の執行官。少なくともフェイズ5以上の戦闘向きな異能力を持っている。だが見慣れん顔だし、まだ占環島ここにも馴染んでない様子だのう。ん、そういえば少し前、急に高い進行度の異能力を発現して島流しになって来た発火能力者パイロマニアがいたと聞いたな。お主、それか?」


 日を知らない生白い指が、ぴっと鋭く兜人を差す。入管局付きの研究機関に在籍しているから情報が入っていたとはいえ、ぴたりと言い当てられた兜人はもはや言葉もない。代わりに、ちとせがぱちぱちと拍手した。


「大正解だよ、蓮華ちゃん。そうなの。で、相談っていうのは兜人くんの能力についてなんだけど……」


 当事者だというのに話のかやの外というのも癪に障る。兜人はちとせの言葉を引き継ぐように、蓮華に向かって身を乗り出した。


「今現在……自分は、遺憾ながら、能力を制御できない状態です。でもあなたなら、滝杖先輩ならどうにかできると聞いてやってきました」


「ふむ……」


 そう呟いたきり蓮華は腕組みをして、なにやら考え事をし出した。兜人は辛抱強く蓮華の言葉を待った。蓮華が白衣を着ているからか、傍から見たら医者と患者のように見えるだろうと思うこと、しばし。


「——うむ」


 蓮華がふいに頷いた。その表情は何故かきらきらと輝いている。


「どうにかできんこともない」


「ほ……本当ですか?」


「うちに二言はない。ただし、条件がある」


「ええー……それって、人体実験とかじゃないよね?」


 心配顔のちとせをよそに、兜人はさらに身を乗り出した。この能力がどうにかなるのであれば、人体実験でもなんでもやってやろうじゃないか、とすら思った。しかし、


「——んなわけあるかい」


 蓮華は呆れ顔でそうつっこんだ。


「いいか、小僧。第一にうちの研究室専門の被験者になってもらうこと。他の奴らにいじくり回されちゃ実験もくそもないからのう。第二に決して無理はしないこと。約束できるか?」


 意外にも、彼女の要求は至って常識的であった。それぐらい、お安いご用だ。兜人は一つ大きく頷いた。


「よっし、分かった。なら早速、地下に行くかのう」


「地下、ですか?」


「うむ。ここの地下三階に異能力の実験場があるんじゃ。そこでまずはお手並み拝見といこうではないか」


 早速立ち上がろうとした蓮華に、兜人は思わず腰を浮かそうとする。


 しかしそこへ、


「……せっかくの、お茶……」


 ぽつりと寂しげな呟きが響く。ちとせがうるうるとした瞳で蓮華を見上げていた。


 蓮華はちとせを見、お茶を見て、そして中央に広げられたクッキーを見る。


「そ——そうであった。まずはお茶じゃな」


「だよねだよねっ」


 ちとせの天真爛漫な笑顔には、どこか『裏切ったら人でなし』と言わんばかりの力がある。


「さぁ、兜人くんも遠慮なく食べてね」


 と、軽やかな口調で勧められ、兜人は仕方なく大福餅のような見た目のクッキーに手を伸ばした。


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