ワーカホリックPSI!
住本優
プロローグ
今日という日の太陽が沈むずっと前から、
——いかにも、あの先輩にうってつけの夜更けだ。
第七区港湾臨海埠頭D突堤の片隅で溜息をつきながら、兜人は黒いロングコートの襟をきつく合わせた。中に着ているのは我らが占環第一高校の制服である。紺のブレザーに同色のスラックス、襟や袖にタータンチェックの柄がある以外にさして特徴はない。ちなみに生まれてこの方一度も染めたことのない黒髪は校則通り耳が見える程度の長さで、襟足もきっちり切り揃えられている。唯一の特徴といえば、夏だろうが冬だろうがつけている黒革の手袋だが、学業成績が良いので教師連中に文句を言われたためしはない。その自負にくいっと黒縁眼鏡のブリッジを上げるものの、コートの裾を揺らす強めの風に兜人はもう一度、はぁ、と嘆息した。
何故、高校生がこんなところで張り込みめいたことをしているのか?
答えは簡単である。
働かざる者、喰うべからず。
それがこの占環島の掟であり、不文律。
つまり——これは課外活動と言う名の、兜人の『仕事』なのである。
目の前の倉庫の入り口あたりがにわかに慌ただしくなり、兜人はとっさに身を低くした。急げ、いや慌てるな、そんな混乱した言葉と共に、大学生ぐらいの若い男数人が駆け出してくる。その先にあるのはコンテナを積んだ赤と白のガントリークレーンだった。コンテナが段々とつり上げられていく。角張ったコンテナの姿が濃霧の中に消える前に——
「はーい、そこまでですよー」
聞く者全員の足腰という足腰の力を抜き取りそうな、間延びした声が響いた。
特段ライトの類いは点いていないのに、ぱっとその場が明るく照らされる。埠頭に積まれた他のコンテナの上で、いつのまにか一人の少女が仁王立ちしていた。
ウェーブを描くロングヘアは腰まで届き、その毛先はタータンチェック柄の膝丈スカートと共にふわふわと揺れている。垂れがちの眉毛と目尻、柔らかく細められている瞳は薄いミルクティー色に輝いていた。ゆるい。そしてふわい。いや、ふわいなどといった形容詞が存在するのかは別として、つまり彼女はきな臭い夜の埠頭には似合わない、どこまでもゆるふわな女の子であった。
それでもあえて兜人は再度思う。
この夜は彼女にうってつけだと。
「観念してください。あなたたちの悪事はすちゃっとお見通しですっ」
彼女が指揮者のように腕を振るった瞬間、男達は目映いばかりの光球に取り囲まれた。さっき彼女を登場時に照らし出したものである。一、二、三……その数、全部で七つ。大きさはどれも同じ、バスケットボール程度のものだが、その光量は濃霧を消し飛ばして余るほどである。
何だ、何事だ、と口々に言い合っては目を細める男達。哀れな子羊たちに答えを授けるべく、兜人はベルトに引っかけたホルスターから一丁のオートマチック拳銃——を模したエアガンを抜き去ると、コンテナの陰から躍り出た。
「——動くな。こちらは占環島労働基準監督局所属、労働基準執行官・宗谷兜人だ」
携帯端末が兜人の身分証を表示する。コンテナの上の少女も同じ物を額の上に掲げた。
「同じく、恵庭ちとせでーす。……とぉーう!」
雲のようにつかみ所のない声と共に、ちとせは躊躇なくコンテナから飛び降りた。二つの光球がすかさず彼女の足元に滑り込む。それなりに怪我をしそうな重力をなんなく受け止めた光球を足がかりに、ちとせは埠頭のコンクリートを踏みしめた。
男達からしてみればどちらも高校生、しかも警察でもない連中がたった二人で乗り込んできたと知り、緊張がややほぐれる。
「ろ、労基局だとぉ? 俺たちが一体何に違反したって——」
「——そこのクレーンですけどぉ」
男の言葉を遮るように、光球の一つがガントリークレーンめがけて走った。上へ上へと登っていき、ガラス張りの操縦席を照らす。ここからでは見にくいが、操縦席に人影はなかった。
「操縦者がいないってことは、
光球がすとん、とクレーンの足元に落ちる。クレーンにへばりつくようにして隠れていたのは、どうみても中学に入りたてぐらいの少年だった。
ちとせがきゅっと口元を引き締める。
「占環島労働基準法第六十一条第一項により、十五歳及び中学生未満の者の午後八時から午前五時の労働は認められていません。現在時刻は午後九時十二分。これは立派な占環島労基法違反です」
「ハッ……! こ、こいつはこう見えても高校生で」
男の抗弁に、兜人はちとせの後を引き継ぐように返した。
「嘘をつくな。すでに裏は取れている」
「はっ、何を根拠に——って、てめえ、うちの社員じゃねえか!」
「え……労基? どういうことだ?」
訳あって、兜人は二ヶ月間、この貿易会社を内偵していたのだった。が、男らが疑問を口にするのには取り合わず、兜人は続けた。
「それから占環島労働基準法第七七条第七項に記載がある、フェイズ5未満の
それを証拠に、ちとせの光球に照らされた少年の顔は、この濃霧の中でも分かるほど真っ青だった。身分証の年齢欄や異能力欄を検めなくても分かる。自分の手に余る重機を動かしたことによって、疲弊しているのだろう。
「と、ゆーわけで」
ちとせがぽん、と手を打つと同時に、光球の輪がじりじりと狭まり、男達を追い詰めていく。
「執行官権限で、あなたたちを拘束しまーす」
「くそっ、こんな——わけのわからん、
光球と光球の間を、一人の男がすり抜けた。逃げ出す男の足元に、兜人はすかさず銃口を向けた。
引き金をじわりと絞る。と同時に銃口が炎を帯びた。それは蛇のようにとぐろを巻き、やがて拳大の火球を生み出した。
「——
兜人は小声で命じると共に、引き金を放した。火球は勢いよく飛び出し、それこそ弾丸のように逃げ出した男の靴先を赤く抉る。
「あちっ、あちぃ! あいつ、
つま先を握りしめ、片足でジャンプしつつ、男は足元のコンクリートを見て愕然としていた。灰色だったはずの地面は黒焦げになって、一部赤い火を燻らせつつ、完全に溶けている。さもありなん、宗谷兜人はフェイズ6の
そして兜人の相棒、恵庭ちとせは——
「海だ、海に飛び込め!」
男の中の一人が叫び、脱兎の如く駆け出す。クレーンの向こうにある護岸の外には、ちとせのライトも届かぬ黒々とした海がたゆたっている。確かに兜人の炎は海の中までは届かない。しかし、
「あっ、だめですー」
ぷぅっと頬を膨らませ、ちとせが指先を向けると光球の一つが素早く男の行く手を阻んだ。
思わずたたらを踏む男の前で、海の上に浮かぶ光球が一層目映く輝き出す。
「な、な……!?」
その光量は留まるところを知らず、次第に目も開けていられないほどになり、この一角だけがまるで昼間のような明るさに包まれる。
いよいよである。兜人は冷静にコンテナに身を隠し、耳を塞いだ。反して、男は目を白黒させるばかり。
ちとせがのんびりと言った。
「——
次の瞬間、轟音と爆風が一気に襲いかかってきた。頑丈なはずのコンテナがびりびりと震え、背中を預けていた兜人にまでその衝撃を如実に伝えてくる。
それが一段落したかと思えば、今度はざぁっと辺りに大雨が降った。濡れ鼠になってしまった兜人は唇を舌で舐めてみる。塩辛い。突然の雨はもちろん本物ではなく、ちとせの光球の爆発によって打ち上げられた海の水が降り注いだものである。
兜人は再びコンテナの陰から出て、辺りの惨状を見回した。クレーンや倉庫に物損はない。ただちとせの光球の爆発により、男達は全員その場に伸びていた。
「こんな……妙な能力、聞いたこと、ねえ……」
爆発から一番距離のあった男がぼそぼそとぼやく。その伏せられた顔の近くに、ちとせのローファーがかつっと置かれた。
「妙とは失敬なー。私は歴としたフェイズ7の
幼子のように口を尖らせて抗議しても何の迫力もない。まぁ、この『力』を見せつければ、文句をつける輩はいない、が——
「やりすぎです、先輩。制服のクリーニング代、出してくれるんでしょうね」
「ええ? そ、それはあれだよー。経費だよー」
「総務が承認したら、ですけどね」
ブレザーの内ポケットに入っていたおかげで無事だったハンカチで、眼鏡を綺麗に拭きあげた兜人は、再びクリアになった視界にちとせを捉える。
能力者本人は光球による爆発の影響を受けていない。海水の大雨も残りの光球で防いだようだ。だからそこにはいつもと変わらないちとせの姿があった。大きな瞳を柔らかく細め、すべらかな頬を緩ませ、何もかもを包み込むような笑顔を浮かべている。
出会った時——
三ヶ月前のあの頃と、なんら変わらない。
だが、変わったものも確かに存在する。
「とりあえず、仕事を片付けますか。ちとせ先輩」
「うん、そうだね。兜人くん」
ちとせは嬉しそうに笑う。
「帰ったら、ティータイムにしましょ。美味しい紅茶とお菓子をもらったの」
夜の港湾地区に警察車両のサイレンが幾重にも鳴り響く。いずれも二十歳を超えない若い警官達が倒れている男らを次々と取り囲んでいく中、兜人とちとせはガントリークレーンの傍で頭を抱えていた少年を保護すべく、歩みを進めていった。
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