第12話


 蓮華の言に従って銃を二丁手に入れ、兜人とちとせは異能力研究機構を後にした。


 あの本に埋もれたような部屋の中でも、机の引き出しの一番下の棚という分かりやすい位置だったのは幸いしたが、そもそも引き出しが本の山に阻まれており、どかすのに苦労した。しかもちとせ曰く、本の順番や挟まっている紙類には蓮華なりの秩序があるので、乱すことは厳禁らしい。この乱雑な部屋に秩序もくそもあるものかと内心で悪態をつきながら、兜人はせっかくどかした本の山をもう一度元に戻すという苦行を強いられたのだった。


 建物の敷地を出ると、潮風がコートをはたはたと揺らした。無為な作業でうっすらと掻いた汗に、海の冷たさを孕んだ風が心地よい。来たときと同じく闇の帳が降りた夜空の下、兜人とちとせはゆっくりと歩道を進んでいた。


「ん……?」


 一歩先を行くちとせの異変に兜人は気づいた。その細身の体が全体的にぼんやりと光っているような気がした。


「どうしたの、宗谷くん?」


「先輩……なんか、光ってません?」


「えっ、ああ」


 言って、ぱっぱと自分の体を見回すちとせ。


「実はこれ、異能力なんだ。漏れ出ちゃってるっていうかそういう感じ」


星光能力イルミネーションが、ですか?」


「……うん、そう。私も全部が全部、異能力を制御できてるわけじゃないの」


 確かにフェイズ7ともなればその能力は強大だろう。ちとせは照れくさそうに笑い、話題を転換した。


「ところで宗谷くんのお家は一区?」


「ええ、高校の近くのアパートです。先輩は?」


「私は……ええと……」


 ちとせが珍しく口ごもる。女性に家の住所を聞くのはあまりよろしくなかったかもしれない。兜人が慌てて訂正しようとすると、


「実はここから一駅なの。さっきの地下鉄で一つ戻った、千島海浜公園駅」


「海浜公園駅? あんなところ……家なんてありましたっけ」


 第一三区に位置するその駅は、名前の通り千島海浜公園というだだっ広い砂浜と防風林があるだけの場所だ。周囲には未開発の空き地が点在するのみのうら寂しいところである。島の中心部からも遠く、入管局や異能力研究機構(SURO)からも離れているため、エアポケット的な存在だ。


「そうなの。だから、私は歩いて帰るね。今夜は星も綺麗だし、なんだか歩きたい気分だから」


 へらへらと笑っているちとせを、兜人はつぶさに観察した。出会って一日ではあるが、何か違和感を覚える。


「じゃあ、送ります。いくらフェイズ7といえども、夜の一人歩きは危険ですから」


「そ、そんなことないよぉ。宗谷くんは電車でどうぞ」


「いえ、自分も歩きたい気分になりましたので」


 押し通すとちとせはむむうっと唸って、黙り込む。


 沈黙したまま、二人は地下鉄『千歳港』の出入り口を素通りした。


 広い歩道は一度大きく曲がり、港へと至る広い車道と分かれ、やがて空き地と空き地に挟まれた道へと差し掛かった。空き地を抜けると今度は森に囲まれた。海浜公園の防風林が風を受け、かすかに届く潮騒に共鳴するかのようにざわざわと揺れる。外灯が少ないため、黒いシルエットとなった木々が迫ってくるような錯覚を覚えた。


 その手前の空き地から、兜人はなんとなくちとせの態度の正体を察していた。

 こんな人気もないところで、ずっとついてくる足音がある。それも、複数。


「先輩、まさか一人でどうにかしようと思ってたんですか」


「うぐぅっ」


 兜人が小声でそう呟くと、ちとせはぎくりと歩むペースを乱した。兜人はとっさに言う。


「しっ。自然に」


「あ、あはは〜……宗谷くんも気がついた?」


「こんなだだっぴろいところでも気づかない馬鹿がいれば会ってみたいです」


 空き地に生えている背の高い雑草や、フェンスの陰に身を潜めてはいたようだが、ばればれである。素人の兜人でも感づいたのだ、あちらもまた素人同然であることは間違いないだろう。


「心当たりはあるんですか?」


「うーん、こういうお仕事だからなぁ。心当たりは……ありすぎるの」


 労働基準執行官、か。兜人は昼間の騒動を思い起こした。ああいう無茶苦茶な雇用主に逆恨みされることは、ままあるのだろう。


「それに宗谷くんの方が狙いなのかも知れないし……。それならそれで私が後ろから尾行してみようかなとも思ったり」


「自分ですか?」


「心当たり、ある?」


「……同じく、ありすぎます」


 結果的に辞めることになった警察署や入管局、税関等々——迷惑をかけたところは山ほどある。兜人の失態により減俸や降格処分になった者もいたとか。


「んー、そっかぁ。どうしようかな……」


 ちとせは唇に人差し指を当てて、じっと考え込んでいたが、やがて急にその場で立ち止まった。あくまで気づいてない風を装っていた兜人もまたぎょっとして、彼女を振り返る。


「先輩?」


「や、もう気になるから聞いちゃえーって思って」


 は? と兜人が聞き返すより早く、ちとせは広げた手を口の両側にあてがいメガホンの代わりにすると、まるで山頂で山びこに挑戦するかの如く声を張り上げた。


「あのーう! さっきからついてきてる方達〜! 何かご用ですか〜!」


 自分が尾行している側であればその場でひっくり返りそうな正攻法——と、言ってもいいものか——である。


 当然ながら返ってくる声はない。これで「はーい」と姿を現せば、喜劇だったのだが。


 暗闇に目を凝らすが、人の動きらしきものは見えない。あるいはちとせの呼びかけで逃げ帰ってくれればと思っていた、次の瞬間。


「——手を引け」


 すっ、と木立の陰から出てきたのは、黒ずくめの男だった。黒のライダーススーツに顔はご丁寧にも黒のフルフェイスヘルメットで覆っている。負けず劣らず真っ黒い格好をしている兜人が言うのもなんだが、どう見ても不審者だ。そしてのこのこ出てきたところを見ると、どうやらあちらも喜劇役者だったらしい。


「なんのことだ」


 兜人は一歩前へ進み出て、ちとせを背後に匿った。もちろん異能力者としてはちとせの方が数枚上手だが、一応、自分にも男の矜持というものがある。


「手を引け」


 男は言葉を繰り返すばかりだ。そのうちに後ろから二人、まったく同じ格好をした男が出てきた。


 この調子だと、森の中にもまだ仲間がいそうだ。いずれにせよ数の上ではこちらが負けているうえ、兜人は二発しかまともに発火能力(パイロキネシス)を使用できない。いや、それもうまくいくかどうか。


 だが焦りはなかった。傍にいるちとせがまったく動じていないからだ。


「あのうー! 手を引けって何からですかー?」


 ちとせが重ねて質問するが、男はやはり、


「手を引け」


 と繰り返す。こうしてにらみ合っていても埒が明かない。兜人が警察を呼ぼうとコートの中のポケットにある携帯端末へ手を伸ばした、その時。


「——動くな!」


 瞬間、男の手が目映く光った。


 その手に生まれたのは炎だった。天高く赤々と燃え上がった炎は、やがて大剣の形をとる。


 兜人は大きく目を見開いた。


発火能力者パイロマニア……!?」


 自分のものとは違い、主の手によって完全に制御されたその能力でもって、男はこちらを再度威嚇する。これはいよいよまずい。そして発火能力を理由なく人に振りかざすのは、間違いなく犯罪だ。


 これで動くなと言われて動かないやつがあるか。兜人は素早くポケットに手を突っ込んだ。しかしそれを見て、男は逆上した。


「手を、引けええええッ!」


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