第28話
『おう、お主か。どうした』
兜人は蓮華に薫の今の状況をかいつまんで話した。薫の思いきった行動については、さしもの蓮華も『ぬぁ?』とか『はへえ!?』とか驚いていた様子だったが、アマテラスが異能力の進行度を上げた子供たちを外界へ出そうとしている、という話に差し掛かると、蓮華は重い溜息をついた。
『……まぁ、非人道的な実験をやる連中じゃ。まさかとは思っていたが、本当に——しかも今日が実行日じゃとはな』
彼女にしては珍しく、一見落ち着いた口調の中にも、驚きと焦りが垣間見えた。さすがと言うべきか、なかなかにのっぴきならない状況であるのを瞬時に見通したらしい。
「なので、倉知さんと鈴ちゃんを保護してほしいんです」
『うちでか? うむむ、まぁ、うちしかあるまいか……』
「お願いします。では」
念押しして、兜人は通話を切ろうとした。しかし、
『待った』
「なんです?」
『——して、お主はどうするつもりじゃ』
兜人はつと押し黙る。その沈黙で全てを察した蓮華が言い募った。
『しかと言うたな、うちは。くれぐれも危険なことはするでないぞ、と。もしやとは思うが、お主まさか……』
「——滝杖先輩、恵庭先輩に連絡は取れましたか?」
藪から棒に、兜人はそう尋ねた。一拍の遅れがあった後、蓮華は『いや』と短く否定した。
「なら、動けるのは俺しかいない。そういうことです」
『いや、しかし——』
「すみません、時間がないので」
言い切ると、兜人は通話終了のアイコンに指を滑らせた。
ついでに携帯電話の電源を切る。
もう、ちとせからの連絡には期待すまい。
「き、君だけでどうにかできるの?」
会話の内容を聞いていたであろう薫が、不安げな表情でこちらを見上げてくる。
携帯を持っていたその手で、今度は腰のベルト付近に手を伸ばす。
ベルトにひっかけている左右のホルスターには、二丁のエアガンがあった。
これで、この能力で、自分だけの力で。
——解決、してみせる。
「はい、そのつもりです」
薫は何か言いたげに口を開いたが、しかし何も言えずにそのまま口を閉ざした。彼女にも分かっているのだろう、現状ではそうするしかないということに。
それ以上ないなら、と言わんばかりに、兜人はすっくと立ち上がった。
「なるべく急いでください、追っ手が来る前に」
返事はまたず、踵を返す。夕方。具体的には何時かも分からないが、それまでに現場を押さえなければ。
占環シータワーのエントランスを出て頭上を仰ぐと、重い蓋のような灰色の雲が空を塞いでいた。
雨はいまだ止むことを知らず、むしろ勢いを増しているように見える。兜人はコートを傘代わりにする気さえ失せて、シータワーの敷地内をそのまま歩いた。敷地の芝生を沈めている水たまりが制靴の裏に叩かれるたび、ぱしゃぱしゃと鳴った。
ずぶ濡れで地下鉄の駅に辿り着いた。今日の大雨は予報から大分外れていたらしく、ホームで電車を待つ乗客の中には兜人のように、服を雨で重たくしている者が何人かいた。おかげで兜人だけが目立つことはなかった。
兜人は額にへばりつく濡れた前髪を無造作にかきあげた。それだけで視界と、そして思考がほんの少しだけクリアになる。
考えることはもちろん、これからどこに向かうか、だ。蓮華に言いつけられたのは、ちとせを見つけて合流することだ。危険なことはするな、とも。だがそれはどちらもできない約束だった。今の切迫した状況を鑑みるにちとせを探している暇はないし、危険を冒すことを避けていては——おそらく、子供達を救出することは叶わない。
となると、これから自分だけで鈴が言っていた『船』が出航する場所を突き止めなければならない。
人が使う——つまり、異能力者が外界から入ってくる港はただ一つ。占環島異能力研究機構や入管局に近い千島港だ。
このまま元来た電車に乗れば、千島港駅に戻ることができる。
しかし、兜人はあえて反対側のホームに滑り込んできた電車へと乗り込んだ。
ドアが閉まり、電車が発車する。兜人は出入り口付近の壁に背中を預け、後方へと過ぎ去っていく地下鉄のトンネルライトを眺めながら、尚も思考を展開する。
普通なら、千島港から船は出発する。だが、通常、異能力者が外へ出て行くことなどありえない。まして犯罪まがい(というか、犯罪だ)のことをしているのだ、普通の手段で子供達を島外に出すわけはない。
実は、占環島にはもう一つ、海の玄関口が存在する。島の西側に位置する港湾地区だ。
占環島には本島からの物資供給が欠かせない。その他、本島にいる家族からの仕送りや占環島にいる者からの郵送物など、物を輸送するもう一つの港がその港湾地区だった。
港湾地区は千島線から西岸線に乗り替え、その終点からさらに距離を有する。
西岸線終着駅につき、地下鉄のホームから地上へ上がると、やはり雨がしつこく降っていた。雨足が強いくせに粒は小さく、湿気が体にまとわりつくようだった。
頭上には占環島に唯一走っている自動車専用道路の高架、そしてその下に広い一般道が通っている。タクシーでも拾えないかと思ったが、行き交うのはトラックやタンク車など、輸送用の大型車ばかりだった。それらがごうごうと音を立てて、猛スピードで行き交っている。歩道に立っている人間一人など眼中にないと言わんばかりに。
仕方なしに兜人は雨の降りしきる中、徒歩で目的の場所に向かうことにした。
地図アプリで現在位置を確認する。ここから数キロ先にあるのは『A突堤』と呼ばれる場所だ。突堤とは海に向かって突き出た構造物で、ここでは港湾の埠頭になっている。占環島の港湾地区にはAからDの四つの突堤があり、地図で見ると歯の粗い櫛のようだ。
いい加減、体が冷えてきた頃、ようやくA突堤と思しき場所にたどり着いた。広い敷地の輪郭には隙間なくフェンスが張り巡らされている。唯一フェンスの開いている入り口では、警備員が今し方やってきたトラックを中へと誘導していた。
その誘導が一段落したところで、兜人は警備員に話しかけた。
「失礼します。こちら労働基準監督局、労働基準執行官の宗谷兜人と言います」
「……はぁ」
若い警備員はレインコートのフードの向こうで、きょとんと目を瞬かせた。
「この港湾地区の査察目的で来ました。AからD、全ての埠頭を査察します。この港湾地区の責任者に取り次いでいただきたい」
「え、えっと、お、お待ちください」
提示された身分証に、警備員は目を白黒させながらも頷いた。まずは交代要員を呼んで、自分は兜人の応対にあたる。
事務所に通され、そこで待たされることとなった。警備員は丁寧にもコーヒーを淹れてくれた。雨に降られなくていいのと、温かい飲み物を口にできるだけでも、少し緊張がほぐれた。カフェインには覚醒作用があるというのに、朝が早かったせいか、うとうととしかける。
霞がかった脳裏に浮かんだのは、労基局の第五相談窓口の一室だ。
少女趣味だが、品のいい家具が収まった部屋で、兜人はのんびりお茶を飲んでいた。
シンクの方にいたちとせが振り返って、微笑む。
「宗谷くん、次は何を飲もっか?」
兜人はそれには答えなかった。口に運んでいたカップをソーサーに置き、じっとちとせを見つめる。
「恵庭先輩、あなたは……」
言葉はそこで途切れてしまう。言ってしまえば、この光景すべてが硝子細工のように、粉々に砕けてしまうような気がして。
あなたは——
あなたは一体、何者なんですか。
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