それぞれの想い

 閉園時間となり遊園地を出た俺たちは、帰路に着いた。倉敷さんとは彼女の住むマンションの前まで送り、そこで別れた。


 そして現在、俺は何とも言えない不思議な感覚を抱えながら一人自宅に向けて歩を進めている。


 ……なぜか倉敷さんの顔が頭から離れない。何度も振払おうとしても全然ダメだ。


 おかしなことに動悸まで早くなっている。しかし不思議なことに、胸が締め付けられるような感覚はあるのに不快感の類は一切湧いてこない。むしろ少しだけ心地良い感覚が全身を満たす。


 正体不明の感覚に、俺はただただ戸惑うしかない。


 そもそもどうしてこんな風になったんだ? 遊園地にいる間はもちろんのこと、つい先程まで何ともなかったぞ。いったいどうして……?


 歩く速度はそのまま、原因を考えてみる。しばらくすると一つのとても信じがたい答えに至った。


 あり得ないという言葉が胸中で渦巻く。何とか否定しようと様々な言葉を並べるが、どうしても否定し切れない。


 ……最早認めるしかないな。


「そっか……俺、倉敷さんのことが好きだったんだな」


 口をついて出た言葉は、自分でも驚くほどあっさりと俺を納得させてくれた。


 俺は倉敷蛍という女の子を一人の男として好きになったんだ。


 いつから彼女を好きになっていたのか。それは分からない。彼女を好きになる理由など、心当たりがありすぎるから。


 あそこまで俺のために色々としてくれた彼女に惚れないわけがない。俺でなくとも、同じことをされれば好きにならずにはいられないだろう。


 多分今回遊園地に誘ったのも、倉敷さんへの好意が理由だろう。俺は無意識の内に、もっと倉敷さんと一緒にいたいと願っていたんだ。


 だからそれらしい理由を付け、俺自身すらも騙して倉敷さんを遊園地に誘った。これまでの俺なら考えられない行動だ。


 倉敷さんが好きだと自覚した今、あり得るはずのない彼女とのこれからを夢想してしまう。これまでのような関係を続けられるのではないかと、妄想してしまう。


「バカかよ……」


 俺はそんな自分に酷い嫌悪感を覚えた。


 この恋心は、広く浅くを主義とする俺にとっては不要なもの。持っていてはいけないものだ。


 何より他人を好きになったってロクなことはない。愛なんて曖昧なものに流されるつもりはない。こんなものに身を任せたところで痛い目に遭うのは、四年前に嫌になるほど痛感した。


 をするのは二度とごめんだ。


 だから倉敷さんにこの想いを告げるつもりはない。一生胸の奥にしまっておくつもりだ。


 それがお互いにとっても一番いいはずだ。俺なんかに好かれても、倉敷さんだって迷惑だろうしな。


 きっとしばらくの間は倉敷さんを意識してしまうだろうが、大丈夫だ。時間がこの想いを風化させてくれるはず。


 俺は倉敷さんへの想いを断ち切るという決意と共に、夜の帰り道を歩くのだった。






 私――倉敷蛍は、物心ついた頃には自分がこの世に不要な存在だと分かっていました。


 物心ついた時には母と二人で暮らしていました。父はとても無責任な人だったそうで、お腹に私がいると分かった時点で母を捨てて家を出たそうです。


 そして私が五歳の頃、母もまた私を捨てて家を出ました。


『あんたなんか生むんじゃなかった』


 これが家を出る直前に母が私にかけた最後の言葉です。


 酷い、とは思いませんでした。なぜなら私は知っていたからです。母が父を憎んでいたことを。そして、私に父の面影を見ていたことも。


 だから悲しくなんてありません。わずか数年とはいえ、私を育ててくれたことにはとても感謝しています。


 ――この時、実の親からすら愛してもらえない私はこの世に不要な存在なのだと、嫌でも思い知らされました。


 その後私は叔父夫婦に引き取られました。二人は私を本当の子供のように扱ってくださいました。


 それを嬉しいと思う反面、私なんかが二人に迷惑ことには、とてもとても申し訳ない気持ちにさせられました。


 二人には何かしらの形で恩返しがしたいと思いましたが、まだ無力な子供の私では何もできません。


 だから私は決めたんです。今後、誰の迷惑にもならないよう生きていこうと。それだけが、不要な存在の私にできる唯一のこと。


 それからの十数年は誰にも迷惑をかけず生きてきました。


 ですが十年以上守り続けてきた私の誓いは、階段を踏み外して落下した私を七倉君が受け止めてくれたことで、あっさりと破られてしまいました。


 何と七倉君は、私を受け止めたせいで右腕の骨が折れてしまったのです。


 七倉君が私のせいで右腕を骨折してしまった。その事実が私を苛みました。


 せめて何かしらの形で償わなければ。そう考えて私は、償いのために七倉君に何でもすると申し出ました。


 しかしその申し出は、七倉君にあっさりと断られてしまいました。当然ながら納得できるはずもなく、何とか食い下がろうとしましたが残念なことに七倉君は立ち去ってしまいました。


 どうして断られたのか。一晩かけて考えましたが、結局理由は分からないまま。


 結局答えの出ないまま七倉君に迫って、七倉君のお世話をすることを半ば強引に了承させました。


 ……い、今にして思うと、あの時の私は何て大胆だったんでしょう? 最終的には家にまで押しかけるなんて……思い返すだけで顔が熱くなってしまいます。


 七倉君はとても申し訳なさそうにしていましたが、それでも私の提案を受け入れてくれたという事実は純粋に嬉しかったです。これで七倉君に償うことができると思いましたから。


 七倉君の右腕が完治するまでの三ヶ月間は、私にとって初めてのことばかりでした。


 ――初めて他人に作ったお弁当。


 今まで誰かに自分の料理を食べてもらったことがなかったので、お口に合うのかとても不安でした。


 だから七倉君が美味しいと言ってくれた時は、口元がニヤけないようにするのが大変でした。


 ――初めて男の子と繋いだ手。


 勢いで手を繋いでしまいましたが、私より一回り大きい男の子の手は安堵を覚えました。


 ――初めての遊園地。


 生まれて初めての遊園地は、私が目にしたことのないもので溢れかえっていてワクワクしました。


 ――そして初めての……恋。


 あなたのことを考えるだけで、こんなにも胸が高鳴ります。


 あなたのことを想うだけで、私の心はこんなにも満たされます。


 たくさんの初めて。そのどれもが私にとっては、かけがえのない宝物です。今でも鮮明に思い返すことができます。


 三ヶ月という長いようで短い時間は、これまでの十年より色鮮やかで私にとってはとても素敵な時間でした。


 最初は七倉君に対する負い目から始めたことですが、今はこんな日々がずっと続けばいいと願わずにはいられません。


 ですが私は知っています。七倉君は常に、私とは一定の距離を置こうとしていたことを。


 どうしてそんなことをするのか。その理由は私には見当もつきませんでした。


 理由を訊ねてみようかと思いましたが、それで七倉君との関係が壊れてしまうかもしれないと考えると怖くて訊けません。


 しかしこのままでは、七倉君は間違いなく私と距離を置こうとします。それだけは、どうしても嫌です。


「だから私は……」


 生まれて初めて、ワガママを言います。


 きっと、他人に迷惑をかけないよう心がけて生きてきたこの十年を無駄にする行為でしょう。そして七倉にとって迷惑かもしれません。


 ですがこの想いだけは、どうか告げることを許してください。


「七倉君、私はあなたのことが好きです」


 一人っきりのリビングで、いつか彼に伝えたい想いを口にしました。


 ――いつか彼に伝えられるその日を夢見ながら。



 

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