学校一の美少女と自宅にて

「……なあ、倉敷さん。一つ訊いていいか?」


「はい? 何ですか、七倉君?」


「あのさ……何で倉敷さんが俺の家の台所で夕飯の支度をしてるんだ?」


 現在俺は、スーパーでの買い物を終えて自宅に戻っていた。……なぜか倉敷さんもセットで。


 あまりにも自然に付いてきたものだから、こうして台所に入って調理を始めるまで全く気が付けなかった。


 とりあえず調理を中断させて、リビングの席に向かい合う形で座る。


「七倉君の夕飯を作るために決まってるじゃないですか」


「俺、全く聞いてないんだけど……」


「でしょうね、今言いましたから。何か問題がありますか?」


 どう考えても問題しかないように感じるのは、多分俺の気のせいじゃないはずだ。


「倉敷さん、わざわざ夕食まで作らなくていいから。弁当だけで十分だから」


「いいえ、そういうわけにはいきません。七倉君のお世話をする以上、食事は全て私が担当させてもらいます。どうせ七倉君のことですから、私がいなかったら適当に出来合いのもので済ませるつもりだったんでしょう?」


「まあそのつもりだったな……」


 元々自炊はしてこなかった上に、今は片腕がこの様だ。とてもではないが、料理なんて危なくてできない。


「そんなものばかり食べていては、いつか体調を崩してしまいます。折れた腕を早く治すためにも、今の七倉君に必要なのはバランスの取れた食事です。私の言いたいこと、理解できますね?」


「一応は……」


 倉敷さんの言ってることは至極真っ当だ。実際、俺の食生活は自分でもちょっとどうかと思うぐらい乱れている。何度か自炊を試みたりもしたが、学校から帰ってからやるには面倒すぎてすぐに挫折した。


 その面倒事を引き受けてくれるというのは俺にとってかなり得な話だが、学校の奴らにバレた時のことを考えると、冷や汗が止まらない。


 倉敷さん自身に自覚があるのかは分からないが、弁当だけでなく夕飯まで作ってくれるとか、最早ほとんど通い妻みたいなものだ。どれだけ弁明しても、誤解を受けることは必至。


「倉敷さんの言いたいことは分かった。けど落ち着いてもう一度考えてみてくれ。弁当でもあの騒ぎだったのに、倉敷さんがこうして夕飯を作ったりしてることが学校の連中にバレたら、変な噂が立ったりするかもしれないんだぞ?」


「変な噂ですか……確かにそれは困りますね」


「だろ? だから――」


「ですか、それがどうしたというんですか?」


 俺の言葉を遮る形で、倉敷さんは逆に訊ねてきた。


「私は別にやましいことは何もしてません。七倉君をケガさせてしまった責任を取っているだけです。もしそれでおかしな噂が立ったとしても、私は気にしません。私は、自分が間違ったことをしてるとは思っていませんから」


 倉敷さんは一切の迷いを見せず、そう言い切った。


 人の噂というのは恐ろしいもので、広まるのはあっという間のくせに鎮まるまで、かなりの時間が必要になる。他人との距離感を常に意識してる俺は、そのことを十分すぎるほど理解している。


 だから俺がここで取るべき選択肢は一つしかないのだが、俺なんかのためにあそこまで言ってくれた彼女のことを考えると、無下にするのは躊躇われる。


「……なあ倉敷さん、本当に俺なんかと噂になってもいいのか? 多分かなり面倒なことになるぞ?」


「構いません。そんなもの、相手にしなければいいだけの話ですから。……それとも七倉君は、私なんかと噂になるのは嫌ですか?」


「そ、その訊き方は卑怯じゃないか……?」


 本日三度目の瞳を潤ませながらの問い。三回目なのに胸が高鳴ってしまう自分が恨めしい。


 もしかして、前の二回で味を占めてわざとやってるんじゃないだろうな? もしそうだとしたら、倉敷さんのことは今後魔性の女と呼んだ方がいいかもしれない。


 まあそれはそれとして、女の子にここまで言わせておいて断るというのは、流石にカッコ悪すぎる。


 それによくよく考えてみると、今日の出来事だけでも噂になるには十分すぎる。俺の不安は今更のものだった。


「はあ……分かったよ。もう倉敷さんの好きにしていいよ。俺、もう文句は言わないから」


 もうこうなったらヤケだ。どうせ何を言ったところで、強引に押し切られてしまうんだ。


 それなら最初から全面的に許可を出しておいた方が、こういった不毛な問答をしなくて済む。


「七倉君。今の言葉は、今後私のすることに反対しないと受け取ってもいいですか?」


「ああ、もう好きにしたらいい。どうせ俺が何言っても聞く気はないんだろ?」


「酷い言い方ですね。それじゃあまるで、私が七倉君の言い分も聞かずに好き勝手してるみたいじゃないですか」


「まさにその通りだろ」


 むしろそれ以外にないだろ。すでに三回も似たようなことをしているんだ。流石に否定は苦しいものがある。


「七倉君、それは酷い誤解というものです。私は七倉君の言い分を聞いていないわけではありません。聞いた上で、ごり押ししてるだけです」


「余計タチが悪いわ!」


 ……というか、倉敷さんってここまで押しの強い人だったか? 俺の知る倉敷さんはもっとこう、大人しい感じだったような気がする。


「それでは話も一段落したので、私は台所に戻りますね」


 台所に向かう彼女を目で追いながら、俺は学校での倉敷さんとのギャップに頭を悩ませるのだった。






「ご馳走様でした」


 俺は空になった食器の前で食後の挨拶を済ませる。


「はい、お粗末様です。どうしでしたか、私の作った料理は?」


「メチャクチャ美味かったよ。昼の弁当食べた時も思ったけど、倉敷さんって料理かなり上手いよな」


「ふふふ。そう言っていただけると、私も腕を振るった甲斐があるというものです」


 俺の称賛の言葉に、倉敷さんが笑みを深める。


 昼の弁当の時点で予想はできていたが、倉敷さんの作った料理はどれも絶品だった。特にサバの煮付けは、ご飯が何杯でも食えるくらいの絶妙な味付けで、感動すら覚えてしまった。


 ちなみに利き手が使えなかったので、昼同様、倉敷さんに隣に来て食べさせてもらった。


 家にいるのは俺と倉敷さんの二人だけなので、誰かに見られるということはないが、それでも倉敷さんに食べさせてもらうというのは、妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。


 できればやめてほしかったが、先刻ヤケになっていたとはいえ、倉敷さんのすることに今後文句は言わないと約束をしてしまった以上俺は従うしかない。


 将来倉敷さんと結婚する男は、きっと倉敷さんに尻に敷かれるだろうな。まあ、こんな美人なら男は大歓迎だろうけど。


「さて。それでは私は食器を洗わせてもらいますね」


「いやそこまでしなくていいよ、倉敷さん。食器くらいは自分で洗えるから。それに親が心配してるだろうし、もう帰った方がいいんじゃないか?」


 時刻はすでに八時を過ぎている。倉敷さんのことだから事前に連絡ぐらいはしてるだろうが、こんな時間まで娘が帰ってこないとなれば、今頃彼女の両親はとても心配してることだろう。


「問題ありません。私は一人暮らしなので、帰りが遅くなってもそれを咎めるような人はいません」


「だとしても、それは人の家に長居していい理由にはならないだろ? 家までは送ってやるから、もう帰れ」


 後半は少し命令口調になってしまったが、多分倉敷さんはこれくらい言わないと聞いてくれないだろう。


 それに命令口調は想定通り効果はあったようで、倉敷さんは俺の言葉にぐうの音も出ないといった様子だ。


「……分かりました。七倉君の言うことにも一理あります。、大人しく従いましょう」


 明らかに渋々といった感じではあるが、一応は納得してくれた倉敷さん。


 流石の倉敷さんも正論で来られたら、反対するのは難しいか。


「ですが、片腕が使えない七倉君に食器を洗わせるのは危険です。せめて食器だけでも、洗わせてもらってからではダメですか?」


「まあ食器くらいならいいけど……」


 結構キツめに言った直後のこの申し出に、少し面を食らってしまう。


「では、十分だけ時間をください。食器を全部片付けてしまうので」


「俺も何か手伝えることはあるか?」


「いえ、私一人で十分ですから、ケガ人の七倉君はじっとしていてください」


 そう言い残して、倉敷さんは二人分の食器を手に台所に引っ込んでしまった。


 しばらくすると、カチャカチャと何かが当たる音と流れる水の音が台所から聞こえてくる。倉敷さんが食器を洗い始めたのだろう。


 俺は倉敷さんが食器を洗い終えるまで、リビングで待ち続けるのだった。


 



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