学校一の美少女とお説教
――それは、俺の右腕が骨折してから初めての休日のことだった。
「今から大掃除をします」
倉敷さんお手製の美味しい朝食を食べ終えて、特にすることもなくリビングのソファーに寝転がっていた俺に、倉敷さんが唐突にそんなことを言った。
ちなみに休日なので倉敷さんは私服だ。ここ数日で見慣れてきたが、それでも油断するとあまりの可愛らしさに見とれてしまうから、密かに困っていたりする。
「いきなり大掃除なんて言い出してどうしたんだよ、倉敷さん?」
「どうしたもこうしたもありません。失礼を承知で言わせてもらいますが、この家は汚いです」
「ず、随分な言い草だな」
別にこの家がとても綺麗だと言うつもりはないが、ここまでハッキリと汚いと言われると、流石に傷付く。というか、言うほど汚いか?
「一応定期的に掃除はしてたんだけどなあ……」
「それは普段使ってる部屋だけですよね? それ以外の部屋は、滅多に掃除していませんよね?」
「うぐ……ッ」
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことか。
確かに倉敷さんの言う通り、俺はリビングや自室を始めとした使用頻度の高い部屋しか掃除していない。
本当は他の部屋もちゃんと掃除しなければならないのだが、単純に面倒臭くてズルズルと先延ばしにしてしまった。
おかげで、普段使用してない部屋は年末の大掃除の時ぐらいしか掃除してない。
この家の家主である茜さんは普段家にいない上、性格がアレなので掃除なんてするわけがない。
「この数日で家の中は一通り確認させてもらいましたが、普段使ってる部屋と使ってない部屋の落差が酷すぎます。そもそも家というのはですね――」
まるで説教でもするかのように、長々と話し始めた倉敷さん。
丁度食後でかすかな眠気があった俺にとって、倉敷さんの長話はさながら子守唄のようなもの。
ヤバい、抗いがたい眠気が……。
そこから大体数分ほど、倉敷さんの長話をBGMにうつらうつらしていたが、
「――というわけで、今日は休日なので大掃除を決行します。七倉君の部屋も私が掃除しますが、構いませんね?」
「え? あ、ええと……いいぞ」
睡魔に襲われ意識が半分ほど夢の世界へ行ってる最中に突然同意を求められ、つい反射的に返事をしてしまった。
ヤバい、ウトウトしてて話をほとんど聞いてなかった。倉敷さん、今何の話をしてた?
「それでは、まずは二階の部屋から掃除しますね。ケガ人の七倉君は、ここで大人しくしててください」
「ちょっと待てよ。それだと倉敷さんは大変じゃないのか? 窓拭きとかぐらいなら俺でもできるから、手伝うぞ?」
倉敷さんだけに働かせて、自分一人何もしないというのは流石に居心地が悪いしな。
「いいんですか?」
「ああ、任せろ。窓拭きぐらいなら片手でもこなせるよ」
「分かりました。なら、私が二階を掃除している間に、一階の窓拭きをお願いします」
そう言い残して、倉敷さんは早足にリビングを出た。
「さて、俺も準備するか……」
バケツと雑巾は……確か洗面所の方だったか? あまり使ってないから、場所はうろ覚えだ。
とりあえず俺は、洗面所に向かうことにした。
――そして三十分後。
水の張ったバケツを足元に置き、俺は窓拭きに勤しんでいた。
雑巾で窓を擦る度に、キュッキュッキュと小気味いい音が漏れる。
片手しか使えないので腕が結構疲れるが、ちゃんと拭くと目に見えて綺麗になるので、意外とやり甲斐があって楽しい。
倉敷さんの方はというと、掃除機特有の騒音がやむことなく二階からリビングまで届いてることから、向こうも順調なようだ。
この分なら、夕方辺りには大掃除も終わるだろう。
『きゃああああああああ!』
突如二階から、倉敷さんの甲高い悲鳴が聞こえてきた。
すわ何事かと思い、窓拭きを中断してリビングを駆け足で出る。
二階には使用中の掃除機のコードが伸びていたので、それを辿って倉敷さんの元へ駆け付ける。
すると辿り着いたのは、どういうわけか俺の部屋だった。どうして倉敷さんが俺の部屋まで掃除しているのか、という疑問が湧いたが今は後回しだ。
「倉敷さん、大丈夫か!?」
部屋の中に入り、倉敷さんの安否を確認する。
倉敷さんは掃除機を足元に置き、何か雑誌のようなものを持って立ち尽くしていた。
「な、七倉君……」
瞳を潤ませながら、倉敷さんがこちらに振り向く。何があったかは知らないが、恐ろしい目に遭ったことだけは一目で分かる。
何があったのか訊ねようとするが、その前に倉敷さんがキッと目尻を吊り上げながら口を開く。
「……七倉君、これはどういうことですか? 説明していただけますよね?」
倉敷さんはベッドの下に隠していたはずの、健全な思春期男子なら必ず一冊は持っている本を片手に、怒りを滲ませた声音で問い詰めてきた。
「七倉君、これは何ですか?」
「……保健体育の参考書です」
「七倉君?」
「ごめんなさい……」
学校一の美少女の笑顔は可愛いだけじゃなく、言い様のない凄味があるようだ。竦み上がるほど怖い。
「た、確かに七倉君も年頃の男の子です。こういったことに興味を持つのは、決して悪いことではありません。ですが、こ、ここ、こんな雑誌を読むのはいけないと思います!」
倉敷さんはこれ以上ないほど顔を赤く染め、保健体育の参考書――エロ本を眼前まで持ってきた。
現在、俺は自分の部屋で正座を強いられている。もちろん自主的にしているわけではない。目の前で仁王立ちしている倉敷さんの指示だ。
エロ本を見つけてからの倉敷さんは凄まじいもので、俺は為すすべもなく彼女に従っている。
「す、少し落ち着けよ倉敷さん。確かに俺がその本を持ってるのは良くないことだけど、そもそも倉敷さんは何で勝手に人の部屋に入ってるんだよ? 俺、許可した覚えはないぞ」
「何を言ってるんですか、私はちゃんと確認しましたよ? 七倉君も了承してくれたじゃないですか。覚えてないんですか?」
「…………」
覚えてない以前に聞いてない。多分さっき反射的に答えたやつのことだな。
クソ。こんなことなら、もっと眠気に抗っておくべきだったな。過去の自分をブン殴ってやりたい。
「で、でもな倉敷さん? 今時、男子高校生ならこれぐらいの本は誰でも持ってるものなんだぞ?」
「そんなはずありません! こういった本は十八歳以上にならないと買えないんですよ? 普通の高校生が持ってるわけないじゃないですか!」
何という
しかし残念ながら、この世にエロ本を持ってない男子高校生はいない。いたとしたら、そいつは女に興味のないホモだ。
「倉敷さん、それは逆だ。むしろ普通だからこそ、エロ本を持ってるんだよ」
「意味が分かりません。ふざけてるんですか? 本気で怒りますよ?」
酷く冷淡な声音だ。これでまだ怒ってないとか、何かの冗談だろ? 今の時点でチビりそうなほど怖いぞ。
倉敷さんの本気の怒りとやらを想像して
「朝っぱらからうるせえぞ、ガキ共! ブッ殺されてえのか、あァ!?」
余程機嫌が悪いのか、茜さんはいつにも増して不機嫌な様子だ。
「てめえら、いったい朝から何騒いでんだよ? 人の二度寝を邪魔すんるじゃねえ」
「あー……茜さん、これはだな――」
「七倉君がいかがわしい本を持っていたので、お説教をしていました。七倉君はまだ学生の身なのに、こんなエッチな本を持ってたんですよ? 信じられますか?」
どう説明したものかと頭を悩ませていると、代わりに倉敷さんが状況を説明した。
すると茜さんは一瞬目を丸くしたが、次の瞬間には心底くだらないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「何だよ、お前らそんなことで騒いでたのか。くだらねえな。そいつぐらいの年頃なら、エロ本の十冊や二十冊ぐらいあっても別に何もおかしいことじゃねえだろ」
桁が一つおかしい。いくら俺がお年頃だからって、流石にそこまで性欲を持て余した覚えはないぞ?
「いいえ、明らかにおかしいことです。異性の身体に興味を持つだけならまだいいですが、未成年の彼がこんな本を持ってるなんて、許されていいわけがありません」
「そんな本一冊ぐらいでよくギャーギャー騒げるな。そっちの本棚の裏にはもっとエゲつねえのが隠してあるのによ」
「ちょ……ッ!」
あっさりとお宝の位置をバラした茜さん。この人はデリカシーってものがないのか?
いや、そもそも何で茜さんが俺のお宝の隠し場所を把握してるんだ? ……まさかとは思うが、俺が留守の間に勝手に部屋に入ってたのか!?
「へえ……それはとても興味深いですね」
倉敷さんが口元を笑みの形に歪める。しかし残念なことに、目は全く笑ってない。
メチャクチャ怖い。冷や汗が止まらねえ。
「七倉君、もう少しお話をしていいですよね?」
「……はい」
――その後、俺は数時間に渡って説教を受けるハメになるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます