学校一の美少女は真面目

「ご馳走様でした。美味しかったよ、倉敷さん」


「はい、お粗末様でした」


 先程俺が美味しいと言ってもらうのが嬉しいと話していたので実行してみたが、本当に嬉しそうな表情をしてるな。何か見てて、こっちまでくすぐったい気分になってしまう。


 ちなみに、この場に茜さんはいない。一応倉敷さんが一緒に食べないか誘ったが、「眠いからパス」と言って断ってしまった。


 そして仕事明けで余程疲れていたのか、さっさと二階の自分の部屋に行ってしまった。


「七倉君はこの後どうしますか? もしお風呂に入るのでしたら、私が掃除しておきますよ?」


「あー……いや、いい。今日はシャワーで済ますわ」


 この時期はまだ少しひんやりするので湯船に浸かりたいところだが、ギブスを濡らすわけにはいかない。


 シャワーならその辺はあまり心配しなくていいので、湯船に浸かることに比べると大分楽だ。


「分かりました。なら七倉君はお風呂に入っててください。私は食器を洗ってから行きますから」


「ああ、ありがと倉敷さん。それじゃあ遠慮なく、風呂に入らせてもらうよ」


 俺は席を立ち上がり、リビングを出た。






「ふう……」


 風呂場に用意された椅子に腰を下ろしながら、息を漏らす。それと同時にドっと全身を疲労感が襲った。


 昨日もだったが、今日も本当に色々とあったな。今までと比較にならないほど、濃密な一日だったと言ってもいい。


「それにしても、まさか倉敷さんがウチになあ……」


 昨日の俺なら想像すらしていなかっただろう。いや、学校一の美少女である倉敷さんが我が家に泊まるなんて、予想できる奴がいるのか?


「まあ、そんな奴がいるわけないよな」


 呟きながら左手で蛇口を捻り、壁のシャワーフックで固定されたシャワーから出た温かいお湯が、俺の頭を濡らす。


 今日は少し肌寒いこともあって、お湯が心地いい。湯船に浸かればもっと気持ち良かっただろうが、まあそれは仕方のないことだ。


 そんなことよりも、今考えるべきは今後のことだ。倉敷さんがしばらくウチで暮らすのはもう仕方ないとしても、それが学校の人間にバレるのはマズい。


 まずは登校する時間をズラすか? 少なくとも俺と時間差で家を出れば……いや、倉敷さんが了承するはずがないな。


 倉敷さんは、こっちがちょっと引くレベルで世話を焼いてくる。意図的に距離を取るのは難しい。


 そんな感じで黙々と思考していると、ドアの方からコンコンと控え目な音がした。


 誰だろうと疑問に思いながら、シャワーを止めてからドアの方に視線を向ける。するとそこには、


「……倉敷さん?」


 ドア越しのため影しか映っていないが、シルエットで分かった。というか、状況的に倉敷さん以外はあり得ない。


 色々と雑な性格の茜さんなら、ノックもなしに容赦なく突入してくるはずだからな。


「倉敷さん……だよな? こんなところまで来てどうかしたのかよ? 何かあったのか?」


「いえ、そういうわけではありません。ただ、七倉君が片手が使えなくて何か不便がないか確認しに来ただけです。どうですか? 何か困ったことはありませんか?」


「ああ、それなら大丈夫。片手が使えないから、ちょっと頭と身体を洗うのが不便なくらいだよ」


 付け足すなら、この不便さに若干の苛立ちを覚えているが、わざわざ倉敷さんに言う必要はない。


「そうですか。なら丁度良かったですね。七倉君、よろしければ私が洗うのを手伝ってあげましょうか?」


「……冗談だよな?」


「はい、冗談です。ふふふ、驚きましたか?」


 まあ、そうだろうな。いくら倉敷さんが世話焼きだからって、流石にそこまでしてくれるわけがないよな……別にがっかりなんてしてないからな?


「ところで七倉君。お風呂を上がった後は何か予定はありますか?」


「ないけど……それがどうした?」


「いえ、後で七倉君のお時間を少しいただけないかと思いまして……ダメですか?」


「いや、別に俺はいいぞ? これから倉敷さんには世話になるわけだし、俺にできることなら何でも言ってくれ」


「本当ですか? それは良かったです。なら私もお風呂に入った後、少しだけお時間いただきますね」


 そう言い残して、倉敷さんはその場を後にした。


 倉敷さんからのお願いか。いったい何の用だ? 多少強引だったとはいえ、倉敷さんにはかなり世話になっている。俺にできる範囲のことなら、彼女の要望に答えてやりたい。


 まあ何にせよ、まずは倉敷さんの話を聞いてからだな。






 時刻は午後十時半。あと二時間もしない内に日付が変わるような時間帯。


 俺は先程の約束通り、自室で倉敷さんと対面する形で互いに席に着いていた。いや、この言い方は間違ってるな。


 向かい合ってるのは身体だけ。顔に関しては、俺が一方的に逸らしている。


 これはとても失礼な行為だと理解しているが、同時に仕方のないことだとも思っている。


 なぜなら今の倉敷さんは、思春期男子の目にはとてもよろしくない姿をしているからだ。


 そもそも、風呂上がりというのがいけない。上気して赤みを帯びた頬。ドライヤーを使ったのか、ほとんど乾いているものの若干の湿り気を残した黒髪。


 そして持ってきたトランクケースの中に入っていたであろう、ピンクを基調に花柄をあしらった可愛らしいパジャマ。


 本人がどこまで自覚できているのか知らないが、これらの要素が妙な色気を醸し出している。とてもではないが、正視できるものではない。


「七倉君、この部屋に来てからずっと私と目を合わせてくれませんが、どうかしましたか?」


「いや、あの、その……気にするな」


 まさか本当のことを言うわけにもいかず、何とかそれらしい理由を口にしようとしたが、結局何も思いつかず雑な答えを返した。


「もしかして私、自分でも気付かない内に何か七倉君を怒らせるようなことをしましたか? もしそうなら、遠慮なく仰ってください。今後気を付けますから」


「いや、別に倉敷さんが悪いことしたわけじゃないから、本当に気にしないでくれ」


 むしろいいものを見せてもらったのだから、感謝して拝みたいくらいだ。


「七倉君がそこまで言うのでしたら深くは追及しませんが……私に不満があるなら、本当に遠慮なく仰ってくれて構いませんからね?」


「分かった。約束するよ」


 とは言ったものの、多少強引なところを除けば倉敷さんは特に欠点のない完璧超人。俺が不満を漏らすことなんて、そうそうないだろう。


 視線は変わらず微妙に逸らしつつ、俺は本題に踏み込む。


「それで要件って何だよ? 何か困ったことでもあったのか?」


「いえ、そういうわけではありません。ただ、これからしばらくの間お世話になるわけですから、この家の決まり事――所謂おうちルールというものを聞いておこうと思いまして」


 お家ルール。まあ呼んで字の如く、家内における決まり事のことだ。大抵の場合、どこも似たルールだが、稀にとても変わったルールの家庭もあるらしい。


「世の中には郷に入っては郷に従えという諺もあります。この家でお世話になる以上、私もその辺りのことは知っておくべきです」


「って言われてもなあ……ウチは特にそういった決まり事はないしな」


 保護者の茜さんは基本的に家にいないし、あーだこーだ口うるさく言ってくることもない。一見すると放任主義とも取れるが、実際は面倒だから干渉してこないだけだ。


 とはいえ、俺も別に不満があるというわけではない。いちいちやることなすことに口を挟まれるよりはマシだ。


「まあ強いて挙げるとすれば――茜さんの機嫌を損ねないことくらいか? 茜さんは一度キレると手がつけられないからな。女子でも容赦なしだから、倉敷さんも気を付けた方がいいぞ」


「そ、そうですか……」


 ちょっと脅かしすぎたか? いやでもここで茜さんの危険性を伝えておかないと、困るのは倉敷さんだしな……。


「まあとにかく、茜さんに注意しておけば大丈夫だろ。何か他に訊きたいことはあるか?」


「そうですね……あ、そういえば今晩、私はどこで寝ればいいですか?」


「あー、そういえば寝る場所を決めてなかったな」


 倉敷さんがウチに泊まるのが突然のとこだったので、すっかり失念していた。


 この家は俺と茜さんの二人暮らしだが、二人で住むにはちょっと広い。なので、部屋だけならそれなりに余っている。


 普段使ってない部屋なんかだと掃除もしてないから多少埃っぽいだろうが、そこは仕方ない。


「もし場所がないということでしたら、リビングのソファーをお借りしたいんですけど……」


「いや、流石に女の子をソファーで寝かせたりはしねえよ。いくつか部屋が余ってるから、安心しろ。それで倉敷さんはどんな部屋がいい?」


「七倉君の隣の部屋がいいです」


 即答だった。てっきり部屋を見てから決めると思っていただけに、少し目を見張る。


「何かあった時、すぐに七倉君の元へ駆けつけられるようにしておきたいので。ダメですか?」


「いや、ダメってわけじゃない。丁度部屋も空いてるし、大丈夫だ」


「それは良かったです。なら早速見せてもらえますか?」


「ああ、いいぞ」


 ――その後は倉敷さんを部屋に案内したり、余っていた布団を部屋に運んだりして夜は更けていくのだった。




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